行くと決めたは決めたのだが、それでも翌朝学校に着いてから、温室に向かう決意を新たにしなければならなかった。足が重い、だなんて本当にあるんだな、と思いながら足を進める。

 温室にたどり着くと開いた南京錠が掛けられていたから、一度深呼吸をして、それから、えいっとドアを開ける。
 しかし。

「げっ」

 思わず口をついて出た。

「げっ、とはなんじゃあ、げっ、とは」

 なんとそこには川内の代わりに浦辺先生がいたのだ。
 じょうろで鉢植えに水を遣っている。じょうろを持っていたおかげで、頭をギリギリとやられる刑を免れたらしい。

 けれど、これは完全に予想外だ。
 どうすればいいのかわからなくて、途方に暮れる。

「川内か?」

 仏頂面でそう言うので、曖昧にうなずいた。

「はあ……まあ……」
「今日は日直じゃけえ、もう教室じゃ。じゃけえワシが代わりにやりよる。まあ、たまにはの」
「あ……ああ……日直……」
「なにをボーッと突っ立っとるんじゃ。入れ」

 まるで脅迫されている気分で、素直に言う通りにする。浦辺先生と温室で二人きり。あまり嬉しくない状況だ。
 これはいったいどうしたらいいんだろう、と俯いて考えていると。

「お前、元気か?」
「えっ」

 急に話し掛けられて、慌てて顔を上げて浦辺先生に視線をやる。
 しかし浦辺先生はこちらを向いていなかった。

「お、お前は綺麗に咲いたなぁ」

 じょうろで水を遣りながら、先生は鉢植えに話し掛けていた。優しい声音で。

「せ、先生……」
「ん?」
「今……」
「ああ、似合わんか」

 にやりと笑って、俺のほうに振り向く。
 開いた口が塞がらない。まさか、浦辺先生も植物の気持ちがわかるのだろうか。川内だけじゃないのだろうか。実は他にもいるのだろうか。
 そんなことをぐちゃぐちゃと考える。

「お前、知らんのんか? サボテンにはテレパシーがあるいう話」

 呆然としている俺に向かって、浦辺先生は淡々と語る。

「あ、いや、知っとるけど……」
「ずっと話し掛けて育てたサボテンは綺麗な花を咲かせるらしいけえの。ホンマかどうかはわからんが、どうせならやってみてもえかろう(いいだろう)が」

 あまりにも有名な話だ。もちろんやってみる人もいるだろう。
 サボテンは、優しくされれば喜ぶし、侮蔑されれば悲しむ。

「人間となんら変わらんよのう」
「……うん」

 心なしか、しゃべっている内に、浦辺先生の表情が穏やかになってきたような気がする。
 カタギじゃない、だなんて言われて、学校で一番怖いと噂される先生とは思えない雰囲気だ。
 先生は温室の中をぐるりと見回すと、言った。

「ワシはの、神崎。川内は植物の言葉がわかるんじゃないかって思うとる」
「えっ!」

 ぎょっとする。なんで。なんで浦辺先生がそんなこと。先生は知っているんだろうか? 川内は浦辺先生には言っているんだろうか。
 自分の不思議な力のこと。

 完全に頭の中が混乱しまくっている俺には気付かない様子で、浦辺先生はにっ、と歯を出して笑う。

「バカバカしいじゃろ?」
「……いや」
「川内には言うなよ、笑われちゃあいけんけえのう」

 そう言って苦笑する。ということは、聞かされていないってことなのだろう。
 とりあえず落ち着こう、とこっそりと息を吐く。

「あの子がこの温室を世話するようになってから、明らかにここが変わったんよな。植物の言葉を聞いて、ほいで世話しとるんじゃ。じゃけえ、変わったんじゃないかのう」

 俺は先生の言葉を受けて、温室の中を見渡す。
 居心地の良い温室。いつだって温かで、心穏かになれる場所。
 川内が作り上げた温室。

 先生は、川内になにも言われなくたって、そこに近付いたのか。この温室で過ごすうちに。この温室を見ているうちに。
 なのに、俺はいったい、なにを見ていたのだろう。