サボテンの芽が出てからというもの、昼休憩は温室で過ごすようになってしまった。
 窓も全開で扉も開けて、それでも暑いけれど、サボテンのためだと思うと快適に思えるから不思議だ。
 サボテンは豆粒のような大きさなのに、トゲはちゃんとあるので、なんだか可愛い。

「水やってもええ?」

 尾崎は事あるごとにそう言って、川内を困らせている。

「サボテン枯らしたことがあるいうの、納得するわ」

 木下はそんな尾崎を見て、呆れたようにそう言っていた。

「全然水をやらんのも、やりすぎるのもいけんって、ワシでもわかるわ」
「だってー」
「水やっても良うなったら言うけえ」

 川内はなんとか尾崎を止めることに成功している。おかげで順調にサボテンは育っている様子だ。

「あっ、そうそう」

 尾崎は弁当の唐揚げをモグモグと食べながら言った。

「今日、じいちゃんの引っ越しなんじゃ」
「へえ、じゃあ今日からなんじゃ。よかったな」
「じゃけえ、ワシも駆り出されとる」
「あ、そうなんか」
「家具とか運ぶけえ、男手がいるいうて」

 木下は肩をすくめてそう言う。けれど嫌そうな様子ではない。

「ほいじゃけ、今日は千夏もワシも部活は休みじゃ」
「うん、わかった」
「まあ、たまには二人きりで帰るんもええじゃろ?」

 尾崎がニヤリと笑って、こちらに顔を向けた。
 川内は真っ赤になって、少し俯いている。
 ……うん。この様子だと、嫌だと思っているわけではなさそうだ、と心の中でほっと安堵の息を吐いた。

「俺らにそうは言うけど、それはそっちもじゃろ?」

 そう返すと、尾崎と木下は顔を見合わせて、それから同時に首を傾げた。

「なんかもう、小さい頃から一緒におりすぎて、ようわからんわ」
「まあのう」

 そんな二人を見ていると、ドキドキするとかキュンとするとか、そういう恋愛ではなく、まるでもう本当の家族みたいな関係なんだろうな、と思った。

 俺みたいに、ほんの少しのことで一喜一憂しているのはバカみたいだな、とちょっと情けなくなった。

          ◇

 ということで、放課後は二人きりで帰ることになった。
 尾崎と木下には申し訳ないが、少し嬉しい。

 川内はどう思っているんだろう、やっぱり尾崎がいないと寂しいのかな、二人きりは気まずいと思わないかな、と駐輪場から自転車を出しながら、ちらりと横目で川内を見る。

 しかし彼女は、近くに生えているツツジの木をじっと見つめていた。こちらには目もくれない。
 もしかしたら今、会話しているのかもしれない、と少し肩が落ちる。

「神崎ー!」

 しかし、どこかから大声で呼ばれて、顔を上げる。
 校舎三階、二年生の教室が並ぶ階の窓から、何人かの男子がこちらを見ていた。
 理系の教室。そしてそこにいるのは、一年生のときに同じクラスだったヤツらだ。この時間なら、補習なのだろうか。

「お前、裏切りかー!」
「なんじゃそれ、自慢かー!」
「文系、滅びろー!」

 ふざけたように笑いながら、そんなことを言っている。
 それを聞いていた、川内が驚いたようにこちらに顔を向けてくる。

「えっ……ど、どうしよう」

 どうしようもこうしようも。

「いいよ、放っておけば」
「で、でも。大丈夫なん……? 一年のときは仲良かったのに……」

 それを聞いて、思わず噴き出した。ああ、なるほど、そういう解釈か。

「いや違うし。あれ、イジメとかじゃないけえ」
「そ、そうなん?」

 不安げに首を傾げるので、俺は理系の教室に向かって手を振った。

「うっわ、余裕かー!」
ぶちはがええ(すげえムカつく)ー!」
「これだから文系はー!」

 それを見て、冷やかされているのだと気付いたらしい川内は、俺から少し距離を取った。

「帰ろう」
「う、うん」

 声を掛けると、おずおずと足を踏み出す。

 ふと上に視線を向けると、教室の中から「なにをしよるんじゃ、お前らはー! まだ補習がしたいんかー!」という怒号と、「うわっ、やべっ」とかいう声が聞こえた。
 あの声は、浦辺先生の次に怖いと噂の、数学の佐藤先生だ。ご愁傷様、と心の中で思う。

 二人で並んで校門を出る。
 川内のほうに視線を向けると、彼女は頬を紅潮させていた。
 やっぱり可愛いな、と思う。

「通学路、長いけど」
「うん」

 俺の声に、川内はこちらを見上げてくる。

「川内が彼女で、それを自慢できるみたいで、ええなって思う」

 そう言うと、川内はさらに顔を真っ赤にして、そして俯いてしまった。

「仁方は……ちょっと遠いけえ、無理じゃけど」
「うん」
「でも私も、みんなに自慢したいなって思うときある……」

 恥ずかしそうに、小さな小さな声で、そう言う。
 ヤバい。嬉しい。ものすごく、嬉しい。

「じゃあ今度、仁方に行こうか」
「なんにもないよ?」
「そうなん? でも焼山もなんにもない」
「じゃあやっぱり呉?」
「でも呉もそんなに遊ぶとこないよな」

 長い通学路をゆっくりと歩きながら、俺たちはこれからの未来について話をする。

「艦船巡りって知っとる?」
「知らんよ。なに?」
「呉桟橋から船乗って、潜水艦とか護衛艦とかを近くで見れるんと。一回、乗ってみたかったんじゃ」
「面白そうじゃね」
「今度、一緒に乗ろう」
「うん」
「あと、どっか行きたいとこある?」
「今は思いつかんけど……考えとく」
「うん」
「あっ、今年はもう終わったけど、来年は、音戸のツツジを見に行きたい」
「ええね」
「遠いけど」
「免許取ったら、姉ちゃんの車借りて、もっと遠くに行きたいな」
「危なくない?」
「たぶん、姉ちゃんの運転よりは危なくない」
「こないだ乗してもろうたときは、危ないって思わんかったよ?」
「そりゃあ短い距離じゃったけえじゃ。姉ちゃんの運転は怖い」
「そうなん?」

 川内はクスクスと笑う。
 こうしてずっと一緒にいられたらいいな、と思う。川内の隣は、とても安心する。

 通学路の横の竹林が、さわさわ、さわさわ、と静かな音をたてていた。