しかし、いつまでもここにいてしゃがみ込んでいても仕方ない。俺はひとまず立ち上がる。
そしてもう二人きりのデートは諦めた。
「どこ行く? 尾崎、そんなに時間はないんじゃないん?」
となると、一番忙しそうな尾崎に合わせるのがいいだろうと、そう訊いてみる。
すると尾崎は、ニッと笑って言った。
「いやー、ちょうど今日、じいちゃんがショートじゃったんよね」
「ショート?」
デイ、に引き続き、またわからない言葉だ。
「ショートステイ。何日か泊まりで預かってもろうとるんよ」
「ああ」
ショートステイなら、聞いたことがある。それでもなかなか空きがないから頼めない、とニュースかなにかでやっていたような気がする。
「実は、預け先の施設が決まりそうなんじゃ。じゃけえ、他所で過ごすのに慣れとかんといけんしね」
「ほうなんか、よかったな」
尾崎のじいちゃんを預ける施設が決まりそう。となると、尾崎も今のようにバタバタすることはないのかもしれない。尾崎のお母さんの負担も減るだろう。
「うん、ほんま、よかったわ」
尾崎は満足げに嬉しそうに、うなずいた。
「じゃあ、時間あるんか」
「まあ、夜までってわけにはいかんけど」
「ほいなら、一緒に遊ぼ」
ニコニコしながら、川内が言う。しかし尾崎は小さくため息をついた。
「ホンマは、あんたらの後をつけて遊ぶつもりじゃったんじゃけどなあ」
「おい」
突っ込むと、尾崎は少し舌を出して、へへへ、と笑った。
出てきてくれたので、こっそりと後をつけられるという惨事からは免れたということらしい。
「なんで出てきたん?」
「人数で勝とうと思うて。あっち三人じゃったじゃん? じゃけえ四人になろうと思うて」
「勝つって」
「数は大事よ?」
尾崎は真顔でそう言う。どうしてそう、喧嘩慣れしているようなことを言うのか。そんなだから、先輩に目を付けられるとかいうことになってしまったのではないのか。
唖然としている俺たちを尻目に、尾崎は続ける。
「あとねえ、男が出てきたら、ややこしいことになることもあるけえ、まあ仕方なくウチが出ようかなって」
「そうなん?」
じゃあ俺が出て行ったのは、愚策だったのだろうか。いやでも、放っておくわけにもいかないし。
鼻高々、といった感じで、尾崎は胸を張る。
「ほうよー。女の世界はねえ、いろいろと面倒なんよ」
「はあ……」
となると、癪ではあるが、尾崎がここにいることに感謝すべきなのだろうか。
「あとー、ハルちゃんは仁方じゃけえ、いっつもは傍におれんけえね。牽制しとこう思うて」
そう言って、尾崎は川内のほうに振り返って微笑む。
「ああいうタイプは、ウチみたいなんが苦手なんよね」
川内はその言葉に苦笑で返す。そこは否定できないらしい。
そこで少し会話が途切れて、その隙に木下が口を開く。
「どこ行くか決めとるん?」
「あ、いや、特には」
首を横に振ると、尾崎がはしゃいだ声で言った。
「ほいじゃあ、『てつくじ』行こうや、『てつくじ』」
「『てつのくじら館』?」
駅裏の海沿いに、資料館と隣接して本物の潜水艦が展示してあり、その内部に入れるのだ。
地元スーパーの目の前に、潜水艦がどーんと空中に鎮座している姿はものすごく目を引くが、最近は見慣れてきた。
それなのに、実は中に入ったことがない。すぐ近くの大和ミュージアムのほうは行ったことがあるのだが。
「あそこ、タダなのにけっこう面白いよ」
「へえー」
「ワシ、操舵席みたいなとこに座らせてもろうたで。マジ上がる」
「ハルちゃん、行ったことある?」
「私はないよ」
「じゃ、行こ行こ」
そう言って、四人で歩き出す。
最近は、尾崎が放課後にいないので、こうして四人で歩くのは久しぶりの気がする。
川内は楽しそうにニコニコと笑っていた。
木下が俺の横にそっと立ち、ひそひそと耳打ちしてくる。
「ワシのせいじゃないで?」
その言葉に苦笑する。
まあ、予想はつく。
たぶん俺の様子がおかしいのに気付いた尾崎が、今日がそのショートステイの日だということで、二人を張ろう、と言い出したのだろう。そして、木下はそれに付き合わされたのだろう。
そのとき、あ、と思いつく。
もしかしたら尾崎が木下と二人で出掛けたくて、理由をつけて引っ張り出したのかもしれないな。
その可能性については、木下には教えてやらないが。
「わかっとるよ。でも、四人のほうが楽しいし、二人じゃ何をしゃべってええかわからんかったけえ、良かった」
そう返すと、木下はほっとしたように息を吐いた。
実際、どこに行けばいいのか、とか、なにを食べたらいいのか、とか、いろいろ考えてはいたけれど、一番いい答えを四人で出せるような気がする。
なにより、川内が楽しそうだ。
まあちょっと、複雑な気持ちではあるけれど。
安心したのか木下は、隣から声を張って、前を行く女子二人に声を掛ける。
「『てつくじ』行く前に、腹ごしらえしようや。腹減ったわ」
「なに食べる?」
川内が尾崎に問うと、迷うことなく尾崎が言った。
「カレー食べよ、海自カレー」
「どこの?」
海自カレーは、海上自衛隊の艦艇それぞれ独自のカレーを、呉市内の飲食店で食べられるという代物だ。全部で三十種類くらいあるが、全部を食べて回ったことはない。
「『大和ミュージアム』のとこに一戸ある」
「一番近いのは、そこのホテルの中の」
「ホテルに入れる格好じゃなかろうが」
「近いのは、こっちも。呉駅の中」
「ホンマじゃ、幟がある。そこじゃん」
「なんなら全部、廻ろうや」
「ええー? そりゃ無理じゃろ。腹に入らんわ」
そんな風に話し合って結局、一番近い呉駅の一階にある食堂に入る。
四人で席に着いて、女子二人はハーフサイズにしよう、なんて言って、来たら来たで香辛料を入れるか入れないかで揉めて、出るときには姉ちゃんから軍資金を得たことがバレて四人分払わされて。
そのあとに『てつくじ』にも行って、モールス信号のクイズに挑戦してみたり、潜水艦の狭い寝台に寝転がってみたりして、楽しんだ。
あんまり楽しかったから、次はどうする? なんて言っていたんだが、尾崎がポン、と手を叩いた。
「ウチら、もう帰らんと」
「えっ」
「もう三時過ぎたし。遅うなるって言うて出てないけえ、帰らんと。ねっ、隼冬」
「あっ、ああ、うん。歩いて来たけえ、けっこう時間かかるしの」
大変わざとらしいが、どうやら二人きりのデートを邪魔するのはここまで、ということらしい。
「うん、わかった。じゃあまた明日」
というわけで、乗ることにする。
「明日のー」
「じゃあねー」
そそくさと二人は立ち去っていく。
ぽつんと二人で『てつくじ』前に残されて、なんだか急に辺りが静かになった気がする。
「川内は、まだ大丈夫?」
そう言って隣を見ると、彼女はしきりに足元を気にしていた。
「あっ、うん」
言われて慌てて顔を上げてくる。
どうしたんだろう、足が痛いのだろうか。
「足、痛い?」
「あっ、ううん、そうでもない」
そう言って首を横に振っている。
けれど川内はこういうとき、無理をしそうな気がする。けっこう歩いたし、痛くなっているのかもしれない。
「スーパーの中、カフェがあったよな。入ろ」
「うん」
川内はほっと息を吐き、うなずいた。スーパーはすぐ近くなので、これくらいなら大丈夫なんじゃないだろうか。
なるべくゆっくり歩いて、スーパーに入る。カフェを見つけて、コーヒーを買って席に着くと、人心地ついた。
「足、大丈夫?」
「あっ、うん。……新しいサンダルじゃったけえ、靴擦れできたみたい……」
「えっ、絆創膏、買ってくる?」
「あっ、大丈夫、持っとるけえ」
絆創膏なんて持ち歩くのか。俺はハンカチですら怪しいのに。
「でも、ビックリしたよな、二人、出てきて」
「うん、面白かった」
川内はくすくすと笑う。なんだかほっとした。
あの三人がいたときには、どうなることかと思ったけれど。
「あの……待ち合わせのとき」
「あ、うん」
尾崎が、『男が出てきたら、ややこしいことになることもあるけえ』と言ったことを思い出す。
「ごめん、いらんこと言うたかも」
「ううん」
川内はふるふると首を横に振った。
「嬉しかった。ありがとね」
川内はそう言ってにこりと笑う。心からそう言ってくれているような気がしたので、ほっと息を吐いた。
あまり遅くなってもいけないので、結局、カフェを出て帰ることにした。
「足、大丈夫?」
「うん、絆創膏貼ったし」
とはいえ、心なしかヒョコヒョコしているような気がして、ゆっくりと駅までの長い歩道橋を歩く。
改札口前まできて、時刻表を見上げる。
「いいの、ある?」
「うん、十五分後にあるよ」
そう言いながらバッグからICカードを取り出している。
「今日は楽しかった。ありがとね。お昼もご馳走になったし、お姉さんにもお礼言うといてね」
川内はこちらを見て、にっこりと笑ってそう言う。
今日のデートはこれでおしまい、の合図の気がしてなんだか寂しくなった。
本当に、あっという間だった。
明日には学校で会えるのだから、寂しく思うのはおかしいのかもしれないけれど、なんだか離れがたくて足を動かせなかった。
「バスは、大丈夫?」
川内が首を傾げる。
「あっ、ああ、うん」
ふいにそう訊かれて、慌ててうなずく。
明日も学校で会える。コミュニケーションアプリで連絡も取れる。デートだって今日に限らず何度だってできる。
でも、もっと二人で一緒にいたかった。
「あの……朝、温室に行ってもいい?」
だから、そう言った。
「えっ、朝?」
「うん、なるべく邪魔にならないようにするし、手伝うし」
放課後だって、昼休みだって、なんなら授業中だって席が前後なのだし、ずっと一緒といえばそうなのかもしれない。
けれどどうしても、わがままと思われても、二人きりの時間が欲しかった。
すると川内はしばらく困ったように考え込んだ。それからぼそりと言った。
「でも……私、変な人みたいなよ?」
「変な人?」
「うん……ずっと花に話し掛けよるよ? なんか……気持ち悪くない……?」
そう言って、おどおどとしてこちらを見上げてくる。
「大丈夫、こないだ見たとき、別におかしいと思わんかったし」
「そう……?」
少し不安げに考え込んでいるが、ちょっとして顔を上げる。
「ほいなら、大丈夫。いうて、私が許可出すのも変じゃけど。私のものじゃないんじゃし」
苦笑しながらそう言ってくれて、ほっと息を吐く。
「うん、じゃあ、明日」
「明日ね」
そう言って手を振る。川内は改札口の中に入っていく。入ってすぐにこちらに振り向き手を振ってきた。だから俺も手を振り返す。
離れがたくはあったが、いつまでもこうしているのもどうかと思って、踵を返す。
改札口の前の階段を降りる直前、もう一度振り返ってみたが、川内はもうそこにはいなかった。
◇
翌朝、温室に向かうと、やっぱり川内はもうすでに到着していた。
「いったい、何時に来よるん?」
この前と同じくらいの時間に到着したのだが、やっぱり遅かったらしい。
「さっき来たばっかりよ」
微笑みながら川内は言う。
ということはたぶん、これ以上早く来る必要はない、ということなのだろう。
俺はよこしまな気持ちでここに来ているが、川内は純粋に植物の世話をしているのだから、邪魔をするのも気が引ける。
「なにしようか?」
「あっ……あのね、じゃあ、天井の屋根開けて。今日、暑そうなけえ」
「うん、わかった」
制服も夏服ではないが、ブレザーは脱いで長袖のシャツで過ごすようになっていた。
温室はとても心地良いが、そのうち暑すぎて長い時間過ごすのはしんどくなってくるのかもしれない。
立て掛けてあった長い棒を手に取り、天井の窓を開ける。下から上に動かすので、けっこう力が必要だった。ギイッ、と嫌な音がするので油を差したほうがいいのかもしれない。
「下からハンドルとかで操作できるのじゃったらええんじゃけど」
もちろんそういう便利なもののほうがいいだろう。でも公立高校にある温室だし、できるだけ安価なものになっているのではないだろうか。
いや、もしかしたら歴代の園芸部員で手作りしたという可能性もある。ホームセンターに行ったとき、部品がいろいろ置いてあったから、それも不可能ではない気がする。
でもなんにしろ、こうして川内の役に立てるのなら、少々不便なほうがいい、と思ったのは内緒だ。
「元気?」
「えっ」
ふいに川内の声がして、慌てて振り返る。
川内も驚いたようにこちらに振り向いた。
違った。花に話し掛けていたのだ。
「あっ、ごめん、呼ばれたかと思うて」
「あっ、ううん」
「ごめん、気にせず続けて」
「う、うん」
川内はうなずくと、また一つ一つの植木鉢に声を掛けながら水やりをしていく。
「今日も綺麗なね」
「もうそろそろ?」
「じゃあ、今度、広いところに移ろうね」
俺はその優しく穏やかな声を聞きながら、次の窓を開けるのに取り掛かった。
「ショートは火曜日までなんじゃ。じゃけえ、今日は部活に出れるよ」
教室に戻ったあと、ニコニコしながら尾崎が言った。川内は少し首を傾げて言う。
「大丈夫? 無理せんでええよ?」
「無理なんかしよらんよー。がんばるけえね!」
そう言って、腕を上げて力こぶを作ってみせる。
「ほいじゃが、もうそんなにがんばることはないで?」
肩をすくめて木下が言う。
「花壇はチューリップ植えるの待ちじゃし、畑はもう耕して苗も植えとるし、温室の花の水やりは朝、川内がやりよるし、プランターは芽が出るの待ちじゃし」
「そうなん?」
少しがっかりしたように、尾崎が言う。
男子二人としては、力仕事がなくなって楽になってきた、という感じなのだが、張り切っていた尾崎としては肩透かしといったところだろう。
「まあ、畑とか温室とか様子を見に行くんでもええんじゃない? なんもなけりゃ帰りゃいいんじゃし」
そう言うと尾崎は肩を落とした。
「なんじゃあ。張り切っとったのになあ」
「でも毎日様子を見るんは大事なよ? 一緒に行こ」
川内がそう言うと、尾崎はうん、とうなずいた。
あんなに気が強いのに、相変わらず尾崎は川内の言うことだけはよく聞く。
◇
結局、特にやることもなく、放課後は温室内でワイワイとしゃべるだけになってしまった。
そこに浦辺先生がやってきて、尾崎の顔を見て嬉しそうに笑った。
「四人、揃ったのう」
「じいちゃんが施設に入居したら、また毎日部活に来れるよ。あと少し」
と尾崎がニコニコとして返した。敬語などどこにもないが、それに注意する気も失せたらしい。
「ほうか、そりゃあ良かったのう」
浦辺先生はその答えに小さく笑って、そして続けた。
「いうか、尾崎は案外、真面目じゃのう」
「案外って」
「最初は、名前だけの幽霊部員になるんか思いよったで」
腰に手を当ててそう言う。
「昔は、園芸部員もいっぱいおったみたいなが、ほとんど幽霊部員じゃったらしいんじゃ」
「へえー」
「まあワシが赴任する前の話じゃけえ、ようわからんが。ワシが山ノ神に来てからは、部員が一人か二人のときしか知らんのう」
それは顧問が浦辺先生だからでは……と思ったが、口には出さなかった。
そのとき、あ、と思いつく。なるほど。それは先生自身もそう思っていて、だから顧問が誰か黙っておけという話になったのか。
「でもお前ら全員二年生じゃけえ、三年になって引退したら、園芸部がまたなくなるで」
またなくなる。それはちょっと寂しい。
俺は川内目当てのようなものだけれど、それでも畑を耕したり花壇を整えたりして、それなりに愛着もある。
あれがまた元に戻ってしまうのは、ちょっと嫌だな、と思う。
「一年生、勧誘せんと」
「とりあえず、ポスターとか書くとか?」
「野菜育ててバーベキューやるいうて書いたら、釣られるヤツもおるんじゃないか」
「……それは……止めとけ。非公式なけえ」
「あっ、今までのポスターあるよ。たぶん生徒会室にある」
川内が立ち上がりながらそう言った。
「保存されとるんか」
「うん、参考にしようと思うて、一回、見してもろうたことある。取ってくる」
言うが早いか、川内は踵を返して温室を出て行った。どうやら張り切っている様子だ。
その背中を見送っていると、ちょいちょい、と尾崎が俺の肩を指で叩いた。
「え、なに?」
振り返ると、尾崎が神妙な顔をして口を開いた。
「あのあとさあ、あの三人に会わんかった?」
不安げな声音で、そう言う。どうやらずっと気になっていたのだろう。川内がいなくなるタイミングを計っていたのかもしれない。
「ああ、うん、会わんかった」
「ほうなん? ほいならええけど」
尾崎がほっと息を吐く。
「なんか感じ悪かったじゃん? じゃけえ、心配じゃって。ハルちゃん、なんかあっても我慢しそうじゃし」
それを聞いた木下が、肩をすくめる。
「心配しすぎなんじゃないんか。ちぃと過保護で?」
「ほうかもしれんけどー」
尾崎が口を尖らせる。
「ハルちゃん、なんか言われても言い返しそうにないし、心配にもなるわ」
「まあ、わかるけどのう」
そう言って、三人で黙り込む。
確かに、少し心配ではある。俺は、小学校、中学校時代の話も聞いたし、それで泣いていたのも見た。
俺の知らないところで、またからかわれたりしているのではないかと、不安にはなる。
そして川内は、たぶん、それを誰にも相談してこない気がする。
すると、それを黙って聞いていた浦辺先生が、ふいに言った。
「お前らって、全員中途半端なんよな」
「え……」
いったいなんの話が始まったのかと、三人とも浦辺先生のほうに振り返る。
先生は、腕を組むと、続けた。
「ワシはいろんな高校に行っとるけえ、そう思うんじゃが、学校自体が中途半端な立ち位置じゃけえかのう。ものすごい進学校でもないし、落ちこぼれとるわけでもないけえ、まあそういう生徒が集まっとると言われればそうなんじゃが」
……ひどい言われようの気がする。
というか、先生はどうして今、この話をし始めたのだろう。
「規則が厳しいだの、シャトルバスを出せだの、ブーブー言う割に、何もせんのんよな。生徒会を通して、みんなでそういう要望を出せばええのに、そういうことはやらん。ブーブー言うばっかりよ」
「だって……」
そうすると、心証が悪くなる気もするし、学校生活になんらかの影響があるかもしれない。
なにより面倒だ。
皆の意見を取りまとめ、学校に対して意見する、その労力はいかばかりか。
それなら三年間、我慢したほうが楽だ。
「気持ちはわからんでもないが、張り合いはないよのう」
ため息混じりに、そう言う。
「じゃあ、言うたところで先生らに張り合われるん?」
「そりゃそうじゃろ。まあ、何もせんほうが、ワシらは楽で?」
楽なら文句を言わないで欲しい。
しかし、浦辺は続けた。
「でも、川内はワシのところに来たで」
「えっ」
「園芸部はもうないんですか、って。昔はあったのに、どうしてないんですか、って」
その言葉に温室内は、しん、となる。
一年のときは園芸部の部員はたった一人だった。先輩もいなかった。
川内は一年間、ただ一人の部員として、活動していたのだ。
「部員がおらんだけで、別に復活させてもええで、言うたら、じゃあ入るから復活させてください、言うたで。あれは大人しそうじゃけど、けっこう強い子じゃわ」
そう言って、うんうん、とうなずく。
確かに。
もし俺だったら、たぶん、何もしない。仮にやりたいことがあったとしても、もうないのなら、と諦める。
「芯が強い、いうのはああいう子のことよ。強そうに見えて弱いとか、弱そうに見えて強い、いうのはいくらでもあるんじゃけえ、決めつけるなよ」
尾崎はその言葉に、少し目を伏せた。
気の強い尾崎。向かうところ敵なし、といった感じの彼女だけれど、お母さんが倒れたと聞いて、明らかに動揺して、冷静さを失っていた。もちろんお母さんが倒れただなんて大変なことだけれど、いつもの尾崎からは考えられないような狼狽えようだった。
そのことを思い出しているのかもしれない。
「ただ、助けを求められたら、絶対に手を貸せ。友だちて、そういうもんじゃろ」
言われて、俺たちは顔を上げる。
そして顔を見合わせてうなずいた。
それは大丈夫。絶対に見捨てたりしない、と無言で確認し合った。
浦辺先生はその様子を見て、口の端を上げた。
「あと、お前らでどうにもならんようになったら、ワシに言え」
そう言って胸を張る。
浦辺先生は怖いけど、頼もしい。確かに、なにかあったらなんとかしてくれそうな気がする。
なんだか少し、見直した。
「去年と一昨年のしかなかったー」
そのとき、川内が温室に帰ってきて、その話は終わりとなった。
それからも毎日、朝は温室に向かった。
あまり手伝えることはなくて、窓を開けたり、あるいは閉めたり、じょうろに水を汲んだり、その程度のことしかできなかった。
川内はいつも、「元気?」「かわいいね」なんて声を掛けながら水やりをする。
慣れているはずなのに、ときどき、自分が話し掛けられたのかと思ってパッとそちらに振り向いてしまうこともある。
川内はそんな俺に気付かないまま、柔らかな声で、穏やかな表情で、植物たちと接している。
もしかしたら本当は、俺が朝、温室に来るのは迷惑なんだろうか、と不安になってくる。
そもそも、最初から川内は、『一人でやりたい』と言っていた。
気弱そうに見えて頑固なところもあるから、そこはもう揺らがないのではないだろうか。
俺は実は、邪魔者なのではないだろうか。
俺だけが、川内と二人で過ごしたいと思っているのではないのだろうか。
俺だけが、この温室の中で異物なのではないだろうか。
そんな不安が、毎日、俺の中に降り積もっていく。
けれど今日も温室は、穏やかで暖かで居心地のいい空間なのだった。
◇
「そろそろ、芽が出るかも」
とコミュニケーションアプリで連絡が来たのは、朝、自転車を漕いでいるときだった。
グループでメッセージが来たので、当然、尾崎と木下にも届いているだろう。
俺は自転車を漕ぐ足の動きを速くして、心臓破りの坂を上りきる。
走って温室に向かうと、川内はしゃがんで植木鉢を覗き込んでいたが、こちらに振り向いてにっこりと笑った。
「よかった、授業中とかじゃったら、絶対無理じゃもん」
「どれ?」
「サボテンよ」
川内は植木鉢を指差す。
俺も隣にしゃがみ込んで植木鉢を覗いてみるが、どこにも緑色はない。
「え、出てない?」
「うん、これから出るんじゃもん」
川内は当然のようにそう言った。
「これ、種。土は被せてないけえ」
川内が指差して教えてくれる。俺には周りの土との違いはいまいちわからなかった。
「千夏ちゃんが来るの、待っとるんよねー」
そう言って、植木鉢に向かって笑う。
まさか本当に。芽が出るタイミングがわかるというのだろうか。
あの二人が学校に来るのは、あと一時間くらいか。いや、メッセージを受けて早めに来るのかもしれない。
「それまで、水やりしよこ?」
「あっ、ああ、うん」
じょうろに水を汲んで、そしてまた植木鉢を覗き込む。やっぱり土の茶色しかない。
そうしてソワソワと他の植木鉢への水やりの合間に何度も見てみるが、どこにも緑色は見つからなかった。
「まだよー」
くすくすと笑いながら川内が言う。
そうこうしているうちに、尾崎と木下が同時に温室に走り込んできた。
「出たんっ?」
「どれっ?」
ハアハアと息せき切って、川内のほうにやってくる。
「これ。サボテン」
川内が植木鉢を指差すと、二人はしゃがみ込んで土の表面を覗き込んでいる。
「まだ出てないんか? もしかして今から?」
「まさか、そんな都合よくは……」
「あっ、これ!」
尾崎が植木鉢の上を指差す。
俺も慌てて後ろから、膝に手を当てて屈み込んで見てみる。
まさか。そんな。
よくよく見ると、小さな小さな白い点があったのだ。
嘘だろう。さっきまで、絶対になかった。だってあんなに何度も見たのに。
「さっきは、なんにもなかった気がしたのに」
愕然とする俺を他所に、尾崎と木下ははしゃいだ声を出している。
二人はさっき来たから、なんとも思わないのだろうか。
「見落としとったんじゃろう」
「今出たとか!」
「ええー? さすがにそれはないじゃろ?」
いや、今、芽が出たのだ。
尾崎が来るのを待っていたかのように、発芽したのだ。
「うわあ、なんか感動するう」
「ホンマに芽が出るんじゃのう」
尾崎と木下は、弾んだ声でそんなことを言っている。
川内はニコニコとして、植木鉢を眺めていた。
そのとき初めて俺は、本当に川内は植物の声を聞いているのかもしれない、と思ったのだった。
サボテンの芽が出てからというもの、昼休憩は温室で過ごすようになってしまった。
窓も全開で扉も開けて、それでも暑いけれど、サボテンのためだと思うと快適に思えるから不思議だ。
サボテンは豆粒のような大きさなのに、トゲはちゃんとあるので、なんだか可愛い。
「水やってもええ?」
尾崎は事あるごとにそう言って、川内を困らせている。
「サボテン枯らしたことがあるいうの、納得するわ」
木下はそんな尾崎を見て、呆れたようにそう言っていた。
「全然水をやらんのも、やりすぎるのもいけんって、ワシでもわかるわ」
「だってー」
「水やっても良うなったら言うけえ」
川内はなんとか尾崎を止めることに成功している。おかげで順調にサボテンは育っている様子だ。
「あっ、そうそう」
尾崎は弁当の唐揚げをモグモグと食べながら言った。
「今日、じいちゃんの引っ越しなんじゃ」
「へえ、じゃあ今日からなんじゃ。よかったな」
「じゃけえ、ワシも駆り出されとる」
「あ、そうなんか」
「家具とか運ぶけえ、男手がいるいうて」
木下は肩をすくめてそう言う。けれど嫌そうな様子ではない。
「ほいじゃけ、今日は千夏もワシも部活は休みじゃ」
「うん、わかった」
「まあ、たまには二人きりで帰るんもええじゃろ?」
尾崎がニヤリと笑って、こちらに顔を向けた。
川内は真っ赤になって、少し俯いている。
……うん。この様子だと、嫌だと思っているわけではなさそうだ、と心の中でほっと安堵の息を吐いた。
「俺らにそうは言うけど、それはそっちもじゃろ?」
そう返すと、尾崎と木下は顔を見合わせて、それから同時に首を傾げた。
「なんかもう、小さい頃から一緒におりすぎて、ようわからんわ」
「まあのう」
そんな二人を見ていると、ドキドキするとかキュンとするとか、そういう恋愛ではなく、まるでもう本当の家族みたいな関係なんだろうな、と思った。
俺みたいに、ほんの少しのことで一喜一憂しているのはバカみたいだな、とちょっと情けなくなった。
◇
ということで、放課後は二人きりで帰ることになった。
尾崎と木下には申し訳ないが、少し嬉しい。
川内はどう思っているんだろう、やっぱり尾崎がいないと寂しいのかな、二人きりは気まずいと思わないかな、と駐輪場から自転車を出しながら、ちらりと横目で川内を見る。
しかし彼女は、近くに生えているツツジの木をじっと見つめていた。こちらには目もくれない。
もしかしたら今、会話しているのかもしれない、と少し肩が落ちる。
「神崎ー!」
しかし、どこかから大声で呼ばれて、顔を上げる。
校舎三階、二年生の教室が並ぶ階の窓から、何人かの男子がこちらを見ていた。
理系の教室。そしてそこにいるのは、一年生のときに同じクラスだったヤツらだ。この時間なら、補習なのだろうか。
「お前、裏切りかー!」
「なんじゃそれ、自慢かー!」
「文系、滅びろー!」
ふざけたように笑いながら、そんなことを言っている。
それを聞いていた、川内が驚いたようにこちらに顔を向けてくる。
「えっ……ど、どうしよう」
どうしようもこうしようも。
「いいよ、放っておけば」
「で、でも。大丈夫なん……? 一年のときは仲良かったのに……」
それを聞いて、思わず噴き出した。ああ、なるほど、そういう解釈か。
「いや違うし。あれ、イジメとかじゃないけえ」
「そ、そうなん?」
不安げに首を傾げるので、俺は理系の教室に向かって手を振った。
「うっわ、余裕かー!」
「ぶちはがええー!」
「これだから文系はー!」
それを見て、冷やかされているのだと気付いたらしい川内は、俺から少し距離を取った。
「帰ろう」
「う、うん」
声を掛けると、おずおずと足を踏み出す。
ふと上に視線を向けると、教室の中から「なにをしよるんじゃ、お前らはー! まだ補習がしたいんかー!」という怒号と、「うわっ、やべっ」とかいう声が聞こえた。
あの声は、浦辺先生の次に怖いと噂の、数学の佐藤先生だ。ご愁傷様、と心の中で思う。
二人で並んで校門を出る。
川内のほうに視線を向けると、彼女は頬を紅潮させていた。
やっぱり可愛いな、と思う。
「通学路、長いけど」
「うん」
俺の声に、川内はこちらを見上げてくる。
「川内が彼女で、それを自慢できるみたいで、ええなって思う」
そう言うと、川内はさらに顔を真っ赤にして、そして俯いてしまった。
「仁方は……ちょっと遠いけえ、無理じゃけど」
「うん」
「でも私も、みんなに自慢したいなって思うときある……」
恥ずかしそうに、小さな小さな声で、そう言う。
ヤバい。嬉しい。ものすごく、嬉しい。
「じゃあ今度、仁方に行こうか」
「なんにもないよ?」
「そうなん? でも焼山もなんにもない」
「じゃあやっぱり呉?」
「でも呉もそんなに遊ぶとこないよな」
長い通学路をゆっくりと歩きながら、俺たちはこれからの未来について話をする。
「艦船巡りって知っとる?」
「知らんよ。なに?」
「呉桟橋から船乗って、潜水艦とか護衛艦とかを近くで見れるんと。一回、乗ってみたかったんじゃ」
「面白そうじゃね」
「今度、一緒に乗ろう」
「うん」
「あと、どっか行きたいとこある?」
「今は思いつかんけど……考えとく」
「うん」
「あっ、今年はもう終わったけど、来年は、音戸のツツジを見に行きたい」
「ええね」
「遠いけど」
「免許取ったら、姉ちゃんの車借りて、もっと遠くに行きたいな」
「危なくない?」
「たぶん、姉ちゃんの運転よりは危なくない」
「こないだ乗してもろうたときは、危ないって思わんかったよ?」
「そりゃあ短い距離じゃったけえじゃ。姉ちゃんの運転は怖い」
「そうなん?」
川内はクスクスと笑う。
こうしてずっと一緒にいられたらいいな、と思う。川内の隣は、とても安心する。
通学路の横の竹林が、さわさわ、さわさわ、と静かな音をたてていた。
朝、少し寝坊して温室に向かうと、川内が長い棒を持って、天井の窓を開けようとしていた。
「あっ、やるよ」
「あ、おはよう」
「おはよう。いうても、早くもないけど」
そんな挨拶を交わして、川内から棒を受け取る。
「ごめん、寝坊してしもうて」
「ううん、そんな日もあるよね」
そう言って、にっこりと笑う。
「それより、窓が開かんのんじゃ」
天井を見上げて、川内が言った。
「ああ、最近、変な音がしよったけえ。油を差さんといけん思いよったんじゃけど」
言いながら、棒を持った手を伸ばす。しかし天窓はガタガタとは動くが、開きはしなかった。
「あれ、本当に開かん」
「どうしよう」
「とりあえず、開けてみるわ。あとで油貰ってくる」
「うん」
川内はうなずいて、そして普通に水やりにかかった。窓は任せる、ということだろう。
まいった。また今度また今度と、ついつい後回しにしてしまっていた。
たしか、温室の外に踏み台があったはず。棒で開けるのは困難でも、直接窓を手で押せば、力も入るし開くだろう。
俺は温室の外に回ると、そこに置いてあった木製の二段の踏み台を手に取り、温室内に持って入り、天井を見ながら足元に置く。足を乗せると踏み台はギシッと鳴った。
古いみたいだから、まずいだろうか。けれど、少しの間のことだし、とそのまま二段目に足を置く。
そして手を伸ばしてみるが、あと少しというところで届かない。
「たわん?」
下から川内が心配そうな声で言う。
「あと少しなんじゃけど……」
やむを得ない。踏み台から片足だけ上げ、植木鉢が乗っている棚に掛けてから、手を伸ばす。すると窓に手が届き、力を入れるとなんとか開いた。
ほっと息を吐く。油を差すなら脚立もついでに借りてこよう。
そんなことを思いながら、棚から足をどけて、踏み台に体重を掛けた途端。
「う……わ!」
ふいに足元が覚束なくなり、下に身体ごと落ちる感覚がする。ミシッという音とともに踏み台が崩れたのがわかった。
咄嗟に植木鉢が乗っていた棚に手を掛けるが体重が支えきれなくて、棚が揺れる。乗っていた植木鉢がグラグラと揺れているのが見え、これはまずいと手を離した。
「いっ……」
そのせいで、思いきり後方に倒れ、しりもちをつく。
同時に、何個かの植木鉢がガシャンと割れる音が聞こえ、目の端に、川内が駆け寄ってくるのが見えた。
「てー……」
見てみると、植木鉢が三つ、落ちていた。それ以外のものは、なんとか棚の上に持ちこたえている。
心臓がバクバクいっている。冷汗が出た。
目の前の惨状は、大変といえば大変だが、思っていたほどではなくてほっとする。
しかし、植木鉢の一つ、テーブルヤシといったか、小さなヤシが植えられていたものは哀れ、植木鉢が壊れただけでは済まず、茎のところから折れていた。
「あー……」
やってしまった。
「大丈夫っ?」
川内の声が聞こえる。
大丈夫、と言いかけて、留まった。
なぜなら彼女は、俺に向かってそう言ったのではなかったからだ。
こちらに駆け寄ってきた川内は、俺の傍にはやってはこなかったのだ。
「ああ、痛いね。うん、痛かったね」
彼女は俺のほうをちらりと見ただけで、しゃがみ込んでテーブルヤシの鉢植えに手を伸ばした。そして折れた箇所にそっと手のひらを添える。まるでそれが治療であるかのように。
俺は呆然とその光景を眺めていた。
そしてそのうち、苛立ちが沸き上がってきた。
そりゃあ確かに、俺はしりもちをついただけで、ケガ一つしていないけれど。
それはないんじゃないか、と思う。
「なに、それ」
思わず、口に出た。
「え?」
川内は、顔を上げる。
「先に俺に『大丈夫?』って訊かない? 普通」
自分で思っているよりも、冴え冴えとした声が出ている。
川内は、少し怯えたような目をしてこちらを見ていた。
「えっ……だって」
か細い声で返してくる。
「だって、神崎くんは……ケガしてないみたいだったから……。それで、この子は痛いって泣いているから……」
「はあ?」
言いながら、立ち上がる。威圧的になるのはわかっていたけれど、そうしたかった。
「でも俺も一応、危なかったんだけど」
「あ、うん……」
「おかしくない?」
そうやって川内を問いただすたび、怒りがだんだん大きくなっていくのがわかった。
膨らんでいったその感情は、自分自身で制御できるものではなかった。
今まで降り積もってきた不満が、一気に表に出てきたような感覚だった。
だから、思わず言ってしまったのだ。
「だいたい、本当に痛いって聞こえよるん?」
「え」
俺の言葉を聞いて、川内は動きを止めた。
しまった、と思ったときは遅かった。
川内は俯いて、なにも言わなくなってしまった。
『信じんでもええよ。でも、笑わんでほしい』
そう言われた。その通り、俺は笑わなかった。
けれど嘲笑の代わりに、怒りをぶつけた。
俺はどうしても、その気持ちを止められなかったし、止めようとも思わなかったのだ。
川内の瞳が潤んでいる。俺が、泣かせた。
そう思ったけれど、口元をきゅっと引き結んだ彼女の瞳からは、涙は零れなかった。
「……ごめん」
今さらながらそう言うと、川内はなにも言わずに首を横に何回か振った。
俺は再びしゃがみ込むと、割れた鉢植えのかけらを拾い集めた。
二人してしゃがんで向かい合って、その作業をしていたけれど、二人ともなにも言わないままだった。
そのあと、作業を終わらせ、教室に戻る。
「おはよー」
「はよー」
「昨日、どうじゃったん?」
「うん、割とすんなり、引っ越しできたよ」
「よかったな」
そんな話をして、席に着く。
いつも通り。
遅れて川内が教室に入ってきて、皆に声を掛ける。
「おはよう」
「おはよー」
これもいつも通り。
「今日からまた復活するけえね。よろしくー」
「ホンマ? 無理せんでもええけえね」
「大丈夫よー」
まるで、何事も起きていないかのような、朝の時間だった。
◇
そうして、尾崎のじいちゃんが介護施設に入居して、園芸部の活動はまた四人に戻ることになった。
サボテンはすくすくと育っていたし、畑のネギもピーマンもナスもあっという間にどんどん伸びていた。
俺たちのプランターに植えられたコスモスやマリーゴールドも九月には花を咲かせるのではないかと思う。
部員募集のポスターを何枚か描いて、生徒会のハンコを貰って、掲示板に貼ってもらった。
なにも、問題はない。順調すぎるくらいだ。
ただ、俺はあの翌日から、朝の温室に立ち寄らなくなっていた。
放課後の部活も、俺は主に畑や花壇の雑草を抜いていて、温室には向かわなかった。
なんとなくだが、あそこに今、立ち入りたくなかった。折れてしまったテーブルヤシがどうなったのかも見たくなかった。
帰り道はいつものように、四人で帰る。俺は自転車を引き、カゴには四人分の荷物が乗せられている。
けれど川内と俺は、必要最低限の言葉しか交わさなくなってしまった。
なにをしゃべればいいのかわからなかったし、元々そうだと言えばそうなのだが、川内も積極的に話し掛けてくることもなかった。
ときどき、尾崎と木下は心配そうに俺たちを見ていたが、その視線には気付かないふりをして、数日を過ごした。
◇
昼食は、サボテンの芽が出てからは温室で食べるようになっていたが、俺はあの日以来、教室で食べることにしていた。
お一人様、再び、だ。
「いやもう、ホントに暑くて。俺、暑さに弱いんよ。ホント、ごめん」
だのなんだの言ってなんとか逃れてきたのだが、ある日の昼休憩、温室に行く前、尾崎が俺の前に立った。
「ちぃと話があるんじゃけど、ええ?」
顔はニコニコと笑ってはいるが、目は笑っていない。これはご立腹だとすぐにわかった。
「先行っとこ。先」
「え、う、うん……」
木下は川内を連れて教室を出て行く。
それを見送ったあと、尾崎も俺を教室から連れ出した。
そして階段の踊り場に俺を引っ張っていく。
俺を壁際に置いてその前に立った尾崎は、いきなり足を振り上げて、ドン、と俺の横の壁に足の裏を押し付けた。
ご立腹なんてレベルではないようだ。というか、これも壁ドンというものに含まれるのかな、とそんなバカなことを考えた。
「ウチは怒っとる」
「うん」
見ればわかる。
「なにがあったか知らんけど、謝っときんさいね」
その言葉に返事はしなかった。
それが尾崎の怒りをさらに増幅させたらしい。
「なんなん? 謝る気はないん?」
そう言って、さらに目を吊り上げてこちらを睨みつけてくる。
「それは、川内からなにか聞いて、それで俺が悪いと判断して言うとるん?」
できるだけ冷静さを保った声でそう言い返すと尾崎は、はあ、とこれみよがしにため息をついたあと、足を下ろした。
「なんも聞いとらんよ」
「なのに俺が悪いと一方的に決めつけたん?」
「だって悪いに決まっとるもん」
苦笑が漏れた。ここまでくると、さすが、としか言いようがない。
「まあ……俺が悪いよ」
「やっぱり」
「でも、どうしたらええかわからん……いうか」
自分の中で、この感情をどう処理したらいいのかわからないのだ。そんな状態で謝ったって、それは意味のあることだとは思えない。
尾崎は今度は腕を組んで、こちらを睨んでくる。
「ウチ、言うたよね?」
「……なにを」
「ハルちゃんと一緒におってって」
言われた。確かに言われたけれど。
「あれは、尾崎が帰ってくるまでの話じゃないんか」
「そんなこと、一言も言うとらんのんじゃけど」
そう言って、じっとこちらを見ている。
どうやら、ご立腹なのはその約束を違えたからもあるらしい。
そう思いながら尾崎の顔を見ていると、口元がゆっくりと動き出した。
「まさかアレ聞いて、痛いとか思うとるんじゃないよね?」