「まあもう時間も経っとるし、大丈夫なんかなって気はするけど、やっぱり誰かに傍におってもろうたほうが、安心なけえ」
「尾崎って」
「うん?」
「過保護な姉みたいよの」

 前々から思っていたことを、口にしてみる。
 言われてまんざらでもなかったのか、尾崎はふふんと鼻を鳴らした。

「ま、ウチはしっかりものじゃし?」
「そういうことにしといてもええけど、疑問は残るのう」

 ニヤつきながらそう返すと、尾崎は少し唇を尖らせて、返してきた。

「タカちゃんは意地悪なねー」

 ふいにそう言われて、思わず頭を下げて顔を隠した。

「……忘れとったのに……」

 くそ、姉ちゃんのせいだ。
 あはは、と笑いながら、尾崎は何度も俺の肩を叩く。

「まあまあ。とにかく、ウチのお願い、聞いてくれる?」

 そう言われて、ゆっくりと顔を上げる。
 尾崎は穏やかに微笑んで、こちらの返事を待っている。
 けれどきっと、答えはわかっているのだ。

「うん」

 俺はうなずいた。

「うん、大丈夫。なるべく近くにおるけえ」
「ほうね。ほいなら安心じゃわ」

 そう言って、ほっと息を吐いた尾崎だったが、なにかに気付いたようにこちらに顔を向けた。

「あ、トイレにまで付き合わんでもええんよ」
「当たり前じゃろ!」

 いったいなにを言い出すのか。
 慌てふためく俺を見て、尾崎はまた楽しそうに笑う。
 そして腕時計をもう一度見て、立ち上がった。

「時間じゃね。はあー、たいぎい(かったるい)わ」

 俺も立ち上がって、パイプ椅子を畳んで片付ける。
 温度計を見るとちょうどよさそうだったので、窓はそのままにして、そして二人で温室を出た。

 そして教室までの道のりで、ぽつぽつと話をする。

「名字が変わったら、尾崎って呼べんな」
「じゃあ、千夏って呼ぶ?」

 からかうように、そう言ってくる。

「ううーん……」

 名前呼びはさすがにちょっと、抵抗がある。
 なんというか、気恥ずかしいというか。

「ほいでもウチは、どうせ何年かしたらまた名字が変わるじゃろ。じゃけえ、なんでもええよ」

 ああ、なるほど。いつか結婚したら、また名字が変わるかもしれないのか。
 ふいに、からかいたくなって、こう言った。

「木下、に変わるかもしれんよ」
「さあ、それはわからんけど」

 そう言って、尾崎は微笑む。
 からかいは不発だったようで、特に恥ずかしがることもなく、穏やかな返事だった。

 わからない、か。
 絶対にない、ではないんだな、とちょっと温かな気持ちになった。

 俺のそういう思いに気付いているのかいないのか、横にいる尾崎は続ける。

「まあでも、離婚をここまでせんかったのは、良かったんかもしれん」
「え? なんで?」
「お母さんの旧姓、村上、なんよね」
「うん」
「そしたら、ウチらの出席番号、四人並べんかったじゃん?」
「ああ」

 なるほど。
 もしも尾崎が村上だったら、四人がここまで仲良くなっていなかった可能性もあるのか。

「なんでも、良し悪し(わるし)なんかもしれんねえ」
「うん」

 そんなことを話しながら、俺たちは教室への道のりを歩いたのだった。