部屋を見渡す。自分のことながら、よくまぁこんな部屋に男を入れたもんだと言いたい。
ゴミ箱から外れた丸めたティッシュ。洗濯して乾かしっぱなしの服、下着。洗濯は嫌いじゃないのだが畳むのが面倒なだけ。掃除は四角いところを丸く掃除機。テーブルの上には食べ終わったカップ麺と看護書と旅行雑誌。ポストから引きずり出して床に投げっぱなしにしたチラシ。小さな本棚には漫画本。それも一巻から順番には並んでいない。傾いているし、本と本のあいだには、得体の知れない紙切れが挟まっている。あれなんの紙だっけ。仕事の書類ではないはず。インテリアで置いているサボテンは、頻繁な水やりが必要ないから。水が無くても枯れたりしないから。テレビの画面には白く埃がついている。
仕事に行く以外、面倒だと風呂にも入らない。帰ってきて酒を飲んで寝て、ご飯を食べて働いて、そして化粧も落とさないで寝ちゃうときもある。だらしない干物女だ。
挙げ連ねてみると……いやになる。やめよう。そんなことを再確認していったって、情けなくなるだけだ。
「旅行雑誌がありますが、誰かと行く予定があるんですか?」
「え、いや……」
もう目を凝らしても女子力高いものは皆無で、見えるのは汚い部屋だけだ。
正宗くん、目ざとく雑誌とかを見つけるのやめて。きちんとしていない女だっていうことは部屋を見ればわかるでしょう。
「い、行かない」
「だって、雑誌」
 正宗くんがテーブルを指さす。
「み、見るのが好きで……行かないだけで。ひとりで行ってもつまんないし……」
なにを説明しているのか。ばかじゃないの。一緒に旅行へ行く相手がいないから雑誌を見ているだけなのよ。
「ふうん」
正宗くんはこっちを見て少し笑った。馬鹿にしているの? 呆れて笑っているの?
「取引しましょう」
爽やかな声で言った。あざ笑う感じではなく、いたずらを思いついたみたいに。あれ、これはあまり良くないのではないだろうか。
心の奥で鳴るのは危険を知らせるアラームなのだろうか。
「取引?」
「そう」
どういうことだ。
「少しのあいだ、ここに置いて貰うかわりに、炊事洗濯は俺がやります」
「すいじせんたく……」
わたしにとって一番面倒くさい作業かもしれない。
「そう。だからお願いします。昨日は勢いで押し切っちゃったけど、あたらめて、お願いします」
正宗くんは、三つ指をついて頭を下げている。ここで「うるせぇ出ていけ」なんて言ったら鬼かな。いや、でも。
迷惑は迷惑だ。女ひとりのスペースに男がひとり増えるなんて。しかし、暮らしだしどうせ仕事から帰ってきてご飯食べて寝るだけだし。わたし、干物女かつお金かからない女だからお休みには旅行に連れていけとか言わないし、高級でインスタ映えするランチに行こうとか言わないし。休日なんかほぼテレビの前から動かないからスペース一畳で済むし……って、なにを言っているのか。
「……ちょっとの間なら」
気付けば、答えてしまって。
「やった。ありがとうございます」
喜んでいるが、いいのかな?
屈託のない笑顔はキラキラ輝いている。二日酔いでどんよりしていたのは嘘だったのだろうか。正宗くん、一晩でキャラが変わってない? いままで猫かぶっていたのかな。飲み過ぎて、俺はもうだめだ、死ぬかもしれないとかって泣いていたくせに。
「あ、洗濯したら着るものなくなっちゃうな……このへん、コンビニあります?」
「コンビニなら、徒歩10分くらい……ここ出て左に行って」
「ちょっと下着と歯ブラシ買いに、行ってきますね」
「あ……うん」
正宗くんはにっこりと笑って、部屋を出ていってしまった。
「……どういうことだ」
脳内処理が追いついていかない。いま取り乱すのも格好悪い。しばらくとはどのくらいか分からないけれど、彼女とのほとぼりが冷めたらきっと帰るだろう。ちょっとの間、置くしかない。どうもできない、仕方ない。だって、困っているのだから放っておけない。だって涙ながらにお願いされたのだから。
帰ってきたら洗濯をするみたいだから、わたしは洗面所へ行って洗濯機の一時停止ボタンを押した。

時々強めの風が吹き、日差しも手伝って洗濯物はあっという間に乾いた。出かけるまでは干しておくことにしよう。
洗濯物の確認をしてベランダから戻ったわたしに、正宗くんは「軽く食べましょう」とコンビニで買ってきてくれたサンドイッチを出した。なにか作らないといけないかなと思っていたので、気が利く。
「コーヒー、ミルク入れますか?」
「ありがとう」
インスタントではなくドリップを入れてくれたのだ。至れり尽くせりだな。コーヒーのいい香りに包まれながら、たしかこういう取引だったけれどもとため息をつく。
なんだろう、この感じ。久しぶりに感じる安心感とでもいおうか。そばに人がいるこの感じ。
いやいや。舞い上がっているし勘違いをしているだけだと思う。血圧もいつもより高い。たぶん。測っていないけれど。
「千代先輩、実家はどちらなんですか?」
 長いことひとりでいるからこの空気感に酔っているだけだ。しっかりしろ。
「生まれは九州なんだけど、中学で仙台に来たの」
「へぇ。ご両親の転勤ですか?」
わたしについて、正宗くんに話すことはこの数ヶ月なかったな。聞かれなかったからだけれど。
「母親は早くに死んで、父親はわたしが中学の時に海外転勤。いまは台湾だかバンコクだかにいるけど……どっちか忘れた。ああ、元気だから心配いらないの。で、母方の祖母が宮城にいたので中学二年生でこっちに来たの」
「そう、ですか」
声のトーンが低くなった。
「ああ、母親は死んじゃっているけれど父さんとはたまに会えるし、お祖母ちゃんが居たから寂しくなかったよ」
顔に「母親が亡くなり父は海外で祖母に育てられた=寂しい少女時代」って書いてある。
「だらか、別に寂しくはないのよ」
「そうですか」
「うん」
「よかった」
よかったなんて言わないで欲しい。寂しさを全く感じていなかったのに、自覚していないだけみたいに見えるじゃないか。
「正宗くんは世間一般的な、両親揃っていて引っ越しや転校をしたことはなく真っ直ぐ育った印象」
「きっとそうなんだと思います。幸せだったのだと」
「うん。正宗くんが幸せだったと思うように、わたしも子供時代は幸せだったよ」
正宗くんは、居心地の悪そうな顔をした。わたしにだって幸せを感じる思い出や心があることを知らせたかった。
「……変な気を使って、すみません」
優しさは彼のいいところだけれど、考え過ぎなのだと思う。
「なにに対してすみません?」
「ちょっと、可哀想かなって思ってしまって」
「うん。なんとなく分かった。それに対してわたしは腹を立てないから、謝らなくていいよ。ただ、ひとによっては怒るかも」
「注意します」
「優しい後輩ができて、わたしは幸せよ」
しゅんとしていた正宗くんはわたしの言葉で表情を柔らかくしてくれた。
強引にここへ居座ったり、取引を持ちかけたり、しゅんとなったりと忙しい人だ。
話し込んでしまったなと思って、時計を見た。
「そろそろ準備しないと。ちょっと早めに行こう」
「わかりました」
出勤の準備をしなくちゃ。残っていたサンドイッチを口に放り込んでコーヒーで流し込む。
「準夜明けの帰り、大丈夫そうだったら少し着替え持ってきます」
「……はぁ。家に行けるといいね……」
「すみません。ご迷惑かけませんから」
「大丈夫。わたしのことはいいけれど、これからどうするかはきみのことだから」
「ハイ」