白い眼帯で全容はいまいち分からないものの、わりと整った顔立ちをしていることは知っているし、切れ長の目と黒髪、少しだけ生やした顎の髭が逞しい感じに見えるのだ。
意外なことだがうちの病院、髭が禁止じゃないらしい。男性医師でもモジャモジャはアレだがお洒落程度の髭なら蓄えている人がいる。
この顔と物腰はモテるんだろうなぁ~と口を開けて見てしまう。年上のお姉さまに色気誘惑攻撃を食らう物件でもあろう。
性格としては、我が強いわけでなく素直にひとの話を聞き、自分の意見も伝えることができる。ちょっと気が弱いかな。あとは予想通り、入院患者のおばあちゃんたちのあいだで人気になった。
「さあ、飲んで飲んで! 正宗くんの歓迎会なんだからぁ」
いい具合に酔った先輩が正宗くんにビールが半分入ったグラスを飲み干し空けるよう促す。それから彼は見ればビールを注がれている場面しかなかった。
数時間後、予定時刻できっちり解散した職場のみんなを見送る。
しこたま飲まされた正宗くんは、店の座敷でうつ伏せになっていた。まるで群がる女たちに襲われてぼろ雑巾のように捨てられたみたいだ。
主任が「あとタクシーでも乗せればいいよ」と千円札を数枚くれたけれど、これで間に合うのかな。
「正宗くん、大丈夫? もうみんな帰ったよ」
「うう、死ぬかもしれません。俺はもうだめだ」
正宗くんの腕から脈拍を取ってみる。うん、少し早いぐらいで大丈夫でしょう。
「バイタル異常なし。血圧は分からないから勘弁して。意識レベルも問題無いと思うけど会話困難かな」
「せんぱい、仕事の話しないでくださいうう」
「なに言ってるの。しっかりして。帰るよ。こんなに飲まされて……明日が遅番でよかった」
「せんぱい、俺の骨は拾ってください……」
「なんできみの骨をわたしが」
「広瀬川に散骨してください……」
なにこいつ、面倒くさい。
「水、貰ってくるから」
「うう、俺は伊達家とは関係がないんだ……子供のころからずっと……まさむねは苗字なんだよおおう」
苗字が正宗ってだけだし、漢字が違うし。わたしは分かっているよ。
「関係がないだろうなってことは分かるよ。かわいそうに、いつも聞かれるのね。仕方ないから諦めろ。あときっと患者さんにも言われるようになるよ」
「うう……つらい……」
店員さんからお水をもらい、うつ伏せで泣いている正宗くんを引っ張って起こす。無理矢理にでも起こして家に帰さないと迷惑がかかる。「任せたからねー!」といって帰ってしまう先輩達は鬼だと思う。
「タクシーに乗るよ。しっかり立って。正宗くんち経由するから」
住所、彼の持ち物から分かるかな。自分で話せるだろうか。あと、お願いだから車内で吐いたりしないで欲しい。
自分の荷物と正宗くんの鞄を持ち、店員さんにタクシーを呼んでもらう。
のろのろと起き上がった彼は、顔は赤いものの、とりあえず自分で動ける感じだ。寝て動けなくなる前でよかった。
「すみません……千代子先輩……調子に乗って飲み過ぎました」
「だいぶ飲まされていたもんね。立てそう?」
正宗くんの腕をつかむ。家に着くまで気をしっかり持っていて欲しい。わたしが大変だから。
店の前にタクシーが到着したので、少しだけ待ってもらい近くの自動販売機でペットボトルの水を二本買い急いで戻る。先に正宗くんをタクシーに押しこみ、続いて乗りこんだ。
「正宗くんち、水の森のほうだったよね?」
「……すみません、千代子先輩。お願いが」
「どうした?」
「……マンション前で、ちょっとだけ停まってください」
「は?」
わたしに伝えたあと正宗くんは深いため息をつき、呂律がうまく回らない様子でタクシー運転手に行先を告げて、シートに深く沈んだ。
なにを言っているのだろうか。
わたしは街の灯りを窓から見ながら、だし巻き卵を食べ損ねたことを後悔していた。あそこのお店のだし巻きは美味しいのに。冷蔵庫に卵はあったかしら。お店の味は出せなくても、雰囲気だけ作って帰ったら少し飲み直したいくらいだ。
しばらくすると、正宗くんが体を起こして「コンビニを曲がって、その先で……」と運転手に伝える。
「歩けそう?」
正宗くんは頷く。部屋に入るまでは見ていてあげよう。あとは面倒見きれない。
「ちょっと、待って。ストップしてください」
視線の先に、五階建ての白いマンションがあった。ここに住んでいるのか。
「だめだ……すみません。行って、出してください」
「え?」
意味不明の要求に運転手も困った様子で、わたしも理解できないでいる。
「お願い、出してください」
「ちょっと、正宗くん?」
「彼女がいた」
彼女? 彼女って恋人か? なんだ、彼女がいるの。
少しだけがっかりしている自分に呆れる。そんなことを思っている場合じゃないのに。
「玄関の前に、いたんで」
ちゃんと喋ってよ。単語ばかりで、想像しないと意味が汲み取れない。
「なんで、彼女が来てくれているなら安心じゃないの」
そうだよ。早く帰って、彼女に介抱してもらってよ。わたしはもう面倒見たくないんだけれど。
「家に、帰りたくないんです」
「は?」
「彼女が、来るから」
いや、なに言ってんのかな、この人。
「お願い。千代子先輩のところに泊めてください……お、お願いしますう……」
「なに言ってんの?」
正宗くんは、眼帯をしていない方の目を涙で濡らして懇願する。タクシーから転がしてしまえば終わりなのに逆らえなかった。 
タクシーの運転手さんが困っているのが目に入り、わたしは「すみません。出してください」とお願いし、自分の家の住所を伝えた。
タクシーはぐるりと回ってまたしばらく走った。
わたしのマンションへ行き、ヨタヨタと歩く正宗くんの背中を蹴り飛ばしそうになりながら、部屋へ到着。気温的には暖かくなる季節だけれど夜はまだ寒い。早く部屋を暖めるためにエアコンとヒーターを同時に作動させる。
わたしが住む部屋は1LDKの間取りの割には家賃がお手頃で、理由としては建築年数が古いからだ。
「ちょっとの間は寒いだろうけれど、我慢して」
飲み直そうと、だし巻きを作ろうと思ったのに。でも、冷蔵庫を開けたら卵がなかった。悲しい。いまからコンビニに行く気にもなれない。
「シャワーは明日でもいいなら、お布団敷くし寝なよ。わたしはまだ起きているから」
来客用のお布団は圧縮袋で潰してあるけれど、出せばそのまま使えるはずだ。
「すびばぜん……ご迷惑をおかけして……」
本当に迷惑だよ。でも、放置するのもかわいそう。
飲み過ぎたからなのか、寒いからか、かすかに声が震えている。ああもう、どっちでもいいけれど。わたしは冷蔵庫から缶ビールを取り出した。
「飲む?」
「いいえ、もう見たくないです……」
だろうね。これ飲んだらシャワー浴びてこようかな。彼をリビングで寝かせて、わたしは寝室の自分のベッドで寝るけれど。