「悩んでいないで元気出しなさいって、言ってる」
今日のことも、見ていたの? お祖母ちゃん。
「笑って千代子。あなたの笑顔が、ばあちゃんはねぇ。好きだったよ」
「おばあ、ちゃん……お祖母ちゃん」
不思議だ。正宗くんが喋っているのにお祖母ちゃんの声に聞こえるの。
「泣かないで。よしよし」
「お祖母ちゃん……ごめんね、ごめん」
「気にしてないからねぇ。ほら、泣かないんだよ」
頭を撫でてくれる手がお祖母ちゃんのそれで、涙が止まらない。
「千代子がバイト代で買ってくれたサンダルとかスカーフとか、ほら、ばぁちゃん夏生まれだから涼しいものばっかり」
「そうだね。懐かしい」
優しく抱き締めてくれる腕と胸と、匂い。なぜだかとても懐かしい。
お祖母ちゃんに抱き締められているみたい。大好きだったんだよ、本当に。
天国に旅立ったお祖母ちゃんのことを忘れないよ。わたしのことをずっと見守っていてほしいと。火葬場から見上げた空に願ったんだよ。
「大好きだよ、お祖母ちゃん」
これから、わたしはがんばって生きていくよ。この先どういう人生が待ち受けているか分からないけれど、生きていく。見守っていてね。おばあちゃん。
わたしが泣き止むまで抱きしめていてくれたのは、お祖母ちゃんなのか正宗くんなのか。
「ねぇ、先輩。聞いて」
「……うん」
正宗くんの声がして、そうだったわたしを抱きしめてくれているのは正宗くんだと思い出す。
「しっかりして。俺はお祖母さんじゃない。けれど負けないくらい先輩のこと思っていますよ」
そうだ。しっかりしなくちゃ。
「う、うん」
「俺、先輩のそばにいたいって思っています」
「ほ?」
わたしは彼から体を離した。涙できっとぐちゃぐちゃの顔に違いないけれど、正宗くんはまたティッシュで顔を拭いてくれる。
「お祖母さんがいるいま、ここで言います。俺は千代先輩が好き」
まずい。心臓が早鐘を打ち過ぎて止まるかもしれない。うちは整形外科だから循環器科へ行かないと。
「このタイミングで、言う?」
プリセプターとの恋愛が非常に多いとよく聞く。非常にまずい。自分の身に起こるなんて思ってもみなかった。
「命の危機を感じる吊り橋効果で、好きだと勘違いしてるんじゃなくて?」
「違います。命の危機ってなんですか」
「お祖母ちゃんの幽霊を見ている」
心霊体験は命の危機とは違うのか。
「お祖母さんは怖くないです。俺の告白に優しく頷いてから空気を読んでもうどちらかへ行かれました」
「お祖母ちゃんひどい!」
そんなところで空気を読まなくていいよ。
「野中千代子のバイタル、ずっと取っていくよ」
「そんな告白ある?」
「腰が悪かったら支えるし、膝が痛かったら担ぐよ。歳を取って足腰弱ったら俺が介助する」
「どうしてそんなに満身創痍になる予定なの、わたし」
正宗くんは、どのさくさに紛れてまたわたしをまた抱きしめた。
「は、離してよ」
なんなの。ずるいよ。
「ずっと触れたかったのに、俺は我慢してきたんです。先輩、無防備全開の自分を自覚していましたか?」
床にジャージで寝転んでいたのが無防備だというのなら、女子力の高い女性はみんな全裸みたいなものでしょうが。こんなわたしを好きだなんて、正宗くんの物好き。
「ちょっと、正宗……」
「お祖母さんに言われたんで。千代子を頼みますねって」
「そんなのうそだ!」
「千代子はひとりで抱え込むところがあるのと、しいたけの石づきが嫌いだから取ってねって教えてくれました」
どうしてわたしには見えないし聞こえないんだろう。自分のお祖母ちゃんなのに。
「俺は、先輩とずっと一緒にいたいです」
「わたし……」
「いやですか? 片方の目で幽霊が見えるなんて、だから眼帯をしていて気持ち悪いですか? こんな俺ではだめですか?」
「そんな、質問攻めにしないで」
いきなりザバザバと水攻めにしないで。干物は戻すのに時間がかかるんだから。
「先輩は押しに弱いって、俺、知っているから止めません」
「うるさいよ!」
正宗くんから離れたくて腕に力を入れた。でも強く抱かれて離してくれない。
「返事、聞かせてください」
聞かせてくださいと言われてもなんて返事をすればいいの。どうしていま告白なんてするの。
「いま、このタイミングだと、わたしなに言うか分からない」
「じゃあイエスでいいですね」
「ちょっと待って」
「どうして」
「う、わ、あわ」
正宗くんは、わたしの頬に唇を寄せる。死ぬ。体が硬直して熱くて出火しそう。急激な血圧上昇はくも膜下出血や脳出血の危険性がある。
「わたしみたいなので……いいの」
「先輩がいいんですよ」
両方の目でわたしをしっかり見て、真っ直ぐに言うの。
そんなの、逆らえないじゃない。
「あ、あの、プリセプターシップが終わってからでいい?」
「そんなの俺は待てません!」
「我慢して!」
「救急搬送されてきて痛がる患者さんにも同じこと言えるんですか?」
搬送患者に例えるなんてずるい。
「俺、心が痛いんですよ。先輩が好き過ぎて痛い」
「わぁ!」
最後の悪あがきは、聞き入れてもらえなかった。
正宗くんに触れられて、わたしはそんなに嫌だったかな? だったら押し倒されるのを力ずくで押しのけて、大声出しして拒めばよかったのに。

その日、プリセプターが終了する前に処女人生を終了し、わたしたちは初めてひとつのベッドで寝ました。
と、言いたいところだけれど、正宗くんは深夜勤だから出勤前にちゃんと叩き起こしました。
帰ってきたら、また眠ればいい。同じベッドで。