やっぱり、ちゃんとベッドで眠るって気持ちがいい。
きちんとした生活をするって素晴らしい。昨日の気持ちよさがまだ続いていて、なんにでも感動してしまう。冷蔵庫の煮物にも感動したし、缶ビールがわたしのだけいつもと違って特別なんじゃないかって感動したし、感動しすぎて正宗くんにメッセージ返信するのを忘れた。
なんだか興奮して眠れず、結局家にあった缶ビール三本飲んじゃった。眠りについたのは白々と夜が明けていた頃だった。何時だったのかよく覚えていないけれど、正宗くんはまだ帰ってきていなかった。 
いまの時間もよく分からない。明るいから昼間なのは理解できるけれど。昼くらいかなぁと思いながらベッドから起き上がってリビングへ向かった。
「洗濯するか」
ひとりごとを言いながら、あくびをしてソファーを見ると正宗くんが寝ている。どうして布団があるのにソファーで寝るんだ。
「わお、帰っていたの。気付かなかった」
スウスウといびきと寝息のあいだみたいなものが聞こえる。ああ、これは起こすのは可哀そうかな。わたしは今日、夜勤だしな。
昨日は正宗くんもがんばった。そっと寝かせておこう。彼の寝顔を崩さないよう。目が覚めるまで部屋の空気はこのままに。
看護書を開きつつ、リビングのテレビの音量を低くして見ながら静かに過ごしていると、午後二時頃に正宗くんが目を覚ました。
「お、おはよう」
開いた看護書はテーブルの上でわたしは片腕で頭を支え寝転がってテレビを見ていた。読んでないじゃないかとか言わないでね。
「起こしてくれればよかったのに~」
「んーなんか気持ちよさそうだったから」
「すみません~ご飯の用意をしますね」
よたよたと起き上がり、寝癖を気にした。眼帯は相変わらずきちんと装着されている。なんだかな。家にいるときぐらい、はずせないものかな。
「ねぇ、正宗くん」
「家にいるときは、それ外せないの? 眼帯」
よく見れば政宗くんは服のまま寝ていたらしい。わたしにリビングで寝るなとかいうくせに。
「外せません。いつなにがあるか分かりませんから」
「見える? うち出るのかな」
「……さぁ」                    
そのちょっと余裕を持った反応はなんだ。病院ではデルデルって震えていたくせに。
「わたしなんともないから大丈夫だと思う。ここに住んで数年、なにもないよ」
「先輩は鈍感だから信用なりません」
「なにそれひどい」                   
外したくないなら無理には言わない。眼帯の顔も慣れたし正宗くんがいることにも慣れたわ。寝転がっていてもなんとも思わないし。
「今日、俺は休みなんで日用品の買い物とかしてきます。遠くまで行かなくても周辺で用意できるし」
「車、使えなくてごめんね」
日勤の時はバスを使うけれど、夜勤の時は車を出すので買い出しに使わせてあげられない。
「なんか、欲しいものとかあります? 食べたいものとか」
「なんでも美味しいよ。いつもありがとう」
「いえ。好きでやっていますから」
「こんな干物の世話……あ、そうだ思い出した。冷凍庫に干物があるんだ」
朋美に貰った干物を冷凍したまではいいが、正宗くんに報告するのをいままで忘れていた。
「干物ですか。じゃあ、先輩が行く前に焼いて食べましょう」
「それとお味噌汁あったらもう最高だよね」
「漬け物ありますし」
「文句ないね」
「和食最高ですよね」
「そうね」
決定だな。干物を焼くのはわたしじゃないけれど。
お味噌汁なんかインスタントでいいのに、たぶん彼は出汁と味噌であとなんか具材を入れて作るに決まっている
そのような味噌汁を続けて食べていたら、インスタントじゃ物足りなくなっちゃうよ。胃袋をつかまれたってこのことなのかな。
正宗くんは「着替えます」と言って寝室へ行った。
正宗くんの荷物はスポーツバッグ周辺に散らかることなく汚してもいない。仮の宿とはいえ、わたしだったら荷物は鞄から全部出しているだろう。
テレビをぼーっと見ていると、正宗くんが炊飯器にお米を研いでセットしている。
「先輩、気をつけてくださいよ」
「うん? 今回はリビングで寝てないよ」
「違いますよ。上岡さんです」
「上岡さんに気をつけるって、なにを?」
「口説かれているからですよ。それにチャラいから。なんか先輩すぐ丸め込まれそう」
「どういう意味よ。そんなに簡単に丸め込まれるわけないし、上岡さんそういう意味でわたしに接してないと思う」
だいたい、男性の患者さんが看護師の女性を口説くなんてよくあることで、わたしだって過去に経験している。そのままお付き合いしたり、結婚したりすることも多い。わたしはないけれど。
「あれ?」
それはわたしにもチャンスがあるってこと? モテ期なのかな。
「なんですか、変な声出して。大体先輩は押しに弱いでしょう。だから上岡さんがグイグイ押してきたらそのままホイホイ。お千代ホイホイ」
「ちょっとひとのことをゴキブリみたいに言わないで。いくら上岡さんが有名選手だからってわたしそんなに意志弱くないもん。」
「意思と反する場合もあるじゃないですか。好き好き言われていたらもしかしたら自分も好きかもみたいな錯覚しちゃう場合もあるし。俺もそういう経験あるし」
「なにそれ本の読み過ぎじゃないの? それに、わたしが押しに弱いってなんで分かるのよ」
「俺のことをすんなり部屋に入れ、しかも追い出さない」
「お」
本当のことをズバッという。その通りでございます。
別に邪魔じゃないし、家のことをやってくれるし、いてもらったほうが助かるような……あれ?
「蒸し返すのもアレなんで、先輩が押しに弱ということを発見できたし俺が弱みを握ったってことでいいんです。それに俺の秘密を先輩は知っているしお互い様です」
押しに弱いことはわたしの弱み事項で且つ正宗くんに握られたのか。
「出ていってほしい」
反応を見てみたくて言ってみた。
「なにその棒読み。もう遅いです」
「なにがよぉ」
「気持ちがこもっていないので、出て行きません」
「なんだそれ!」
「先輩、干物が焼けました」
「え、もう焼けたの」
「味噌汁もできますよ」
話をしていても手を止めない正宗くんは手際よく料理をしていたのだ。お皿に乗った干物から香ばしい香りがして空腹を刺激し、お腹が鳴る。
「先に食べますか?」
「食べる、食べる!」
正宗くんのスルー能力なのか、わたしはいま彼に出ていってと言ったのに、料理を目の前にしたらどうでもよくなってしまった。