「ご気分どうですか?」
「うん。よくなった」
「そうですか」
安心した。これで眠れるともっといい。眠くなるまでそばにいよう。寝癖のついた髪の毛が薄暗い照明のせいで昼間とは違った色に見えた。髭もすこし伸びて来ている。
「入院期間中に、資格取得の勉強でもしようかなと思ったんだけどな。勉強するにはちょっと期間が短いしなにも準備してなくて」
「ああ、そうかもしれませんね」
「読書くらいかな」
「なに読まれます?」
「漫画本とサッカーの本かなぁ」
わたしが看護書を読むのと同じことだよね。
「はやく復帰したいわぁ」
「そうですね」
「とはいえそんな簡単な話じゃないんだけどな。ハハハ」
笑う上岡さんを見ていて、正宗くんが言っていたことを思い出した。
「もう上岡は終わったなって思っているよ、たぶん。けれどそう簡単に下がれないよね。復帰に時間かかるだろうけれど、リハビリがんばろう」
「そうですね」
余計なことを言えないので、あたりさわりのない返事をしている自覚はある。上岡さん、話し相手というより、聞いてくれる相手がほしいのかもしれないし。
「お千代ちゃんみたいな美人に会えたし、入院生活も捨てたもんじゃないけど」
「はは、ありがとうございます。お見舞いのチームの方とかいらっしゃったら院内で目立っちゃうでしょうね」
「体格いいしな。ジャージ着て浪人生かよみたいなやつもいるけど」
「プロのオーラあると思いますけど」
「そのときは、お千代ちゃんにそばにいてもらおうかな」
「どうしてですか?」
「お気に入りの看護師だからって」
ハハハと屈託のない笑顔を向けてくる。上岡さんはとても明るい。
ふと、ひとの気配を感じたのでそちらを向くと正宗くんだった。
「あ、お疲れさま」
「お話し中すみません。さっきからそこにいたのですが」
いつからいたのだ。立ち聞きしていたのかな。
「どうしたの」
「清四郎くんが、眠れないというので連れてきたんです」
「清四郎くん?」
よく見るとすこし離れたところに車椅子に乗った清四郎くんがいた。
「清四郎くんもこっちこようか」
「ステーションで先輩に聞いたら、ちょっとお話ししましょうかって。なので、連れてきました。そしたら、上岡さんが見えて」
なるほど、もしかして?
「清四郎くんが興奮しています。先輩どうしよう、ますます眠れなくなるんじゃないかな」
「やっぱり」
わたしたちの会話を聞いて、上岡さんがきょろきょろしている。
「清四郎くんて、あの子?」
「はい。サッカー少年なんです」
「おお。おいでよ」
上岡さんが清四郎くんのほうを向き、手招きをした。清四郎くんは肩を上げて緊張している様子だった。上岡さんを知らないはずがない。
「連れてきていいですか」
「おいでおいで」
正宗くんは清四郎くんへ駆け寄り、車椅子を嬉しそうに押してきた。
「こんばんは」
「こ、こんばんわっ」
「サッカーやってるんだって?」
「ハイッ。小坂清四郎です。十歳です」
「ポジションは?」
「FWです」
一気に場の雰囲気が運動部になった。ここは病院だということを忘れそう。
「元気いいな、足どうしたの」
「自転車で車と衝突しました」
「ずいぶんはっきり言うね」
「素直な子で……」
子供の素直さに、わたしたちは苦笑する。
「上岡選手の、僕、ファンですっ」
「ありがとう」
「試合、テレビでも見るし観戦もいきました」
「おう。じゃあ早く復帰しなくちゃな。清四郎くんに見られても恥ずかしくない試合しないと」
清四郎くんと上岡さんが話をはじめたから、わたしと正宗くんはベンチに座った。ここはふたりの間に入らないほうがよさそう。
「上岡選手、い、痛いですか。十字靭帯断裂って」
「そりゃぁ痛いぞー。ブチぶちぶちーっていって、動けなくなったわ」
「えー。うわぁ……」
「脅かしちゃったな。まぁでも、サッカーは怪我がつきものだからな。怪我をしないようにしているんだけれど」
「そうか……僕、さっき言った交通事故で骨折です」
「骨折か。そっちも痛そうだな」
途端に、清四郎くんは暗い表情をしたから上岡さんが気付く。
「どうした」
「サッカー……もう前みたいにできないかもしれないって言われて」
「そうなのか」
「前みたいにできないなら……サッカーを続けても意味ないのかなって、思って」
「辞めるのか。サッカー」
「……わかんない」
清四郎くんは、ふっとため息をついた。
わたしと正宗くんは透明人間になったみたい。上岡さんと清四郎くんのほかには誰もいなくて静かな夜がこの場を包んでいる。少し間をおいて上岡さんが話し出す。
「清四郎くん、俺が試合に出なくなったら、辞めたら、どう思う?」
「え……そんな、悲しいし寂しいです」
「そうか。清四郎くんがサッカー辞めちゃったら、俺は悲しいし寂しいよ」
清四郎くんは悲しそうな顔をして上岡さんを見た。
「お父さんは、サッカー好きなのかな」
「うん。チヴェッタのサポーターです」
「ありがたいねぇ。お母さんも?」
「お母さんは観戦行かないけど、僕の送り迎えとかもしてくれます。スポーツ洋品店に一緒に行ってくれるし。お父さんもお休みの時は練習に来てくれるよ」
清四郎くんのご両親、とても清四郎くんのサッカーに協力してくれるんだな。清四郎くんは今まで通りにサッカーができないかもしれないと聞いて心になにを思うのだろうか。
「応援してくれているんだね。みんな、清四郎くんが好きだから」
「うん…ありがたいと思っています」
そう思うからこそ、前と同じようにサッカーができなくなることがとても辛いのだろう。
「俺も、けっこう大きい怪我だからなぁ、これ。前みたいにサッカーできないかもしれない。でも、応援してくれるファンとか家族とか友達がいるから、がんばる。リハビリがんばるよ。前と同じようにプレーできるように。それ以前にね」
上岡さんは、清四郎くんの頭をくしゃっと撫でた。
「俺はサッカーが好きなんなんだよね」
上岡さんは子供のような笑顔だった。
「清四郎くんは? サッカー好き?」
「うん、大好き」
清四郎くんも笑顔だ。
「じゃあさ、がんばろうぜ。一生懸命やって、それでだめなら諦めもつくけど、やる前から辞めちゃうなんて、もったいない」
「うん……」
静かに、清四郎くんは返事をした。
「うん。よくなった」
「そうですか」
安心した。これで眠れるともっといい。眠くなるまでそばにいよう。寝癖のついた髪の毛が薄暗い照明のせいで昼間とは違った色に見えた。髭もすこし伸びて来ている。
「入院期間中に、資格取得の勉強でもしようかなと思ったんだけどな。勉強するにはちょっと期間が短いしなにも準備してなくて」
「ああ、そうかもしれませんね」
「読書くらいかな」
「なに読まれます?」
「漫画本とサッカーの本かなぁ」
わたしが看護書を読むのと同じことだよね。
「はやく復帰したいわぁ」
「そうですね」
「とはいえそんな簡単な話じゃないんだけどな。ハハハ」
笑う上岡さんを見ていて、正宗くんが言っていたことを思い出した。
「もう上岡は終わったなって思っているよ、たぶん。けれどそう簡単に下がれないよね。復帰に時間かかるだろうけれど、リハビリがんばろう」
「そうですね」
余計なことを言えないので、あたりさわりのない返事をしている自覚はある。上岡さん、話し相手というより、聞いてくれる相手がほしいのかもしれないし。
「お千代ちゃんみたいな美人に会えたし、入院生活も捨てたもんじゃないけど」
「はは、ありがとうございます。お見舞いのチームの方とかいらっしゃったら院内で目立っちゃうでしょうね」
「体格いいしな。ジャージ着て浪人生かよみたいなやつもいるけど」
「プロのオーラあると思いますけど」
「そのときは、お千代ちゃんにそばにいてもらおうかな」
「どうしてですか?」
「お気に入りの看護師だからって」
ハハハと屈託のない笑顔を向けてくる。上岡さんはとても明るい。
ふと、ひとの気配を感じたのでそちらを向くと正宗くんだった。
「あ、お疲れさま」
「お話し中すみません。さっきからそこにいたのですが」
いつからいたのだ。立ち聞きしていたのかな。
「どうしたの」
「清四郎くんが、眠れないというので連れてきたんです」
「清四郎くん?」
よく見るとすこし離れたところに車椅子に乗った清四郎くんがいた。
「清四郎くんもこっちこようか」
「ステーションで先輩に聞いたら、ちょっとお話ししましょうかって。なので、連れてきました。そしたら、上岡さんが見えて」
なるほど、もしかして?
「清四郎くんが興奮しています。先輩どうしよう、ますます眠れなくなるんじゃないかな」
「やっぱり」
わたしたちの会話を聞いて、上岡さんがきょろきょろしている。
「清四郎くんて、あの子?」
「はい。サッカー少年なんです」
「おお。おいでよ」
上岡さんが清四郎くんのほうを向き、手招きをした。清四郎くんは肩を上げて緊張している様子だった。上岡さんを知らないはずがない。
「連れてきていいですか」
「おいでおいで」
正宗くんは清四郎くんへ駆け寄り、車椅子を嬉しそうに押してきた。
「こんばんは」
「こ、こんばんわっ」
「サッカーやってるんだって?」
「ハイッ。小坂清四郎です。十歳です」
「ポジションは?」
「FWです」
一気に場の雰囲気が運動部になった。ここは病院だということを忘れそう。
「元気いいな、足どうしたの」
「自転車で車と衝突しました」
「ずいぶんはっきり言うね」
「素直な子で……」
子供の素直さに、わたしたちは苦笑する。
「上岡選手の、僕、ファンですっ」
「ありがとう」
「試合、テレビでも見るし観戦もいきました」
「おう。じゃあ早く復帰しなくちゃな。清四郎くんに見られても恥ずかしくない試合しないと」
清四郎くんと上岡さんが話をはじめたから、わたしと正宗くんはベンチに座った。ここはふたりの間に入らないほうがよさそう。
「上岡選手、い、痛いですか。十字靭帯断裂って」
「そりゃぁ痛いぞー。ブチぶちぶちーっていって、動けなくなったわ」
「えー。うわぁ……」
「脅かしちゃったな。まぁでも、サッカーは怪我がつきものだからな。怪我をしないようにしているんだけれど」
「そうか……僕、さっき言った交通事故で骨折です」
「骨折か。そっちも痛そうだな」
途端に、清四郎くんは暗い表情をしたから上岡さんが気付く。
「どうした」
「サッカー……もう前みたいにできないかもしれないって言われて」
「そうなのか」
「前みたいにできないなら……サッカーを続けても意味ないのかなって、思って」
「辞めるのか。サッカー」
「……わかんない」
清四郎くんは、ふっとため息をついた。
わたしと正宗くんは透明人間になったみたい。上岡さんと清四郎くんのほかには誰もいなくて静かな夜がこの場を包んでいる。少し間をおいて上岡さんが話し出す。
「清四郎くん、俺が試合に出なくなったら、辞めたら、どう思う?」
「え……そんな、悲しいし寂しいです」
「そうか。清四郎くんがサッカー辞めちゃったら、俺は悲しいし寂しいよ」
清四郎くんは悲しそうな顔をして上岡さんを見た。
「お父さんは、サッカー好きなのかな」
「うん。チヴェッタのサポーターです」
「ありがたいねぇ。お母さんも?」
「お母さんは観戦行かないけど、僕の送り迎えとかもしてくれます。スポーツ洋品店に一緒に行ってくれるし。お父さんもお休みの時は練習に来てくれるよ」
清四郎くんのご両親、とても清四郎くんのサッカーに協力してくれるんだな。清四郎くんは今まで通りにサッカーができないかもしれないと聞いて心になにを思うのだろうか。
「応援してくれているんだね。みんな、清四郎くんが好きだから」
「うん…ありがたいと思っています」
そう思うからこそ、前と同じようにサッカーができなくなることがとても辛いのだろう。
「俺も、けっこう大きい怪我だからなぁ、これ。前みたいにサッカーできないかもしれない。でも、応援してくれるファンとか家族とか友達がいるから、がんばる。リハビリがんばるよ。前と同じようにプレーできるように。それ以前にね」
上岡さんは、清四郎くんの頭をくしゃっと撫でた。
「俺はサッカーが好きなんなんだよね」
上岡さんは子供のような笑顔だった。
「清四郎くんは? サッカー好き?」
「うん、大好き」
清四郎くんも笑顔だ。
「じゃあさ、がんばろうぜ。一生懸命やって、それでだめなら諦めもつくけど、やる前から辞めちゃうなんて、もったいない」
「うん……」
静かに、清四郎くんは返事をした。