「さ、上岡さんのところへも行きましょう」
「そうですね」
「サインねだっちゃだめだよ」
「しませんよ、そんなこと」
あははと笑う正宗くんだった。
ステーションを出ようとしたときに先輩スタッフに呼び止められる。
「お千代ちゃん。正宗くんと行くなら上岡さんに説明もしてきてくれる?」
「わかりました」
治療プランなどを余計なことを言わない程度に説明してくる役目を仰せつかった。
こういうことも、正宗くんひとりでできるようにならないといけないからしっかりと状況を把握しわたしのつたない説明でも学び取って欲しい。
「本当は説明わたしが行きたいところなんだけれど、他の患者さんの介助いかないといけないから」
「どうしてですか?」
「上岡さんはかっこいいわぁ。たくましい」
「先輩……ご主人かっこいいじゃないですか」
「主人とタイプが違うので」
「はぁ」
なんの話なのか。勝手にして。
ひととおりラウンドと様々な介助をこなしてから、上岡さんの病室へ向かった。術後は安定しているらしいので、無茶をしないで大人しくしていてくれる患者さんだといいな。
上岡さんの病室へ入る。ここは個室になっているのだがやはり少し特別扱いとなるのだろう。
「上岡さーん。ご気分はどうですか?」
上半身を起こした状態でベッドにいた上岡さんがこちらに会釈をした。固定された右足が痛々しい。
「痛みはないけれど、足の付け根がだるいような、痛いような」
上岡さんは答えながら読んでいた雑誌を閉じて横に置いた。
「手術で血流抑制のため血管を締め付けていたと思うので、だるさはそのせいですね。心配ありませんよ。ずーんとした違和感があると思いますが」
「それそれ」
「まだ麻酔が残っているかもしれませんが、痛みはどうですか?」
「美人の看護師さんが来たから、痛みは引いたよ」
そう言ってにっこり笑った。フレンドリーな患者さんでよいと思う。
よく日に焼けて、スポーツ選手らしいがっちりした体躯と茶色く染めたツンツンの髪の毛。
ちょっとチャラい……かな。どうやらもうお気に入りの看護師ができたらしい。
「次はその看護師さんに来てもらいますね。声かけておきます」
わたしたちより先にスタッフが誰か来たのだろう。というか、正直どうでもいいことではある。
「いやいや、きみのことだよ」
「は?」
わたし? きょとんとしていると上岡さんがにっこりと笑った。
「先輩のことでしたね」
「あ、う」
お世辞だとわかっていても、柄にもなく頬を赤らめてしまう。正宗くんといい上岡さんといい、干物に無駄に水分を補充しないでほしい。
「あ……食事、水分もお昼から大丈夫でしたね。気持ち悪かったりしませんでしたか?」
「いまのところそれは大丈夫。がっつりと肉を食べたい気分」
食欲があるということはいいことだ。
「そっちのきみはどうしたの。眼帯、ものもらい?」
上岡さんは政宗くんに声をかける。
「は、はい。すみません」
「大変だね。仕事に支障出るだろ」
「あ、いいえ……大丈夫です」
政宗くん、なんで患者さんに心配されてんの。
自分が術後で気落ちもしているだろうに、ひとの心配をするなんて心が広いというかなんというか。
ここまでの会話と雰囲気で、上岡さんはチームでも兄貴的存在であろうことがわかる。大怪我でチームを離れるわけだから、悔しいはずなのに。おくびにも出さず明るくふるまっている。
「痛みが酷いようでしたら、すぐ呼んでくださいね」
「ありがとう。ええと、千代子さん。指名で呼ぶから」
「はは」
ネームを確認しどうやら覚えてくれたらしい。
フレンドリーなのはいいけれど、ずいぶんとグイグイくるものだ。これが普通なの? わたしが知らないだけなの? 世の中の男性はみんなこうなの? 余裕のある対応ができない。政宗くんが部屋にいても二十七歳の処女は対応ができない。泣きたい。
「たまに話し相手になってよ。退屈だから」
そうはいってもすぐリハビリ始まるだろうから、退屈だなんて言っていられないと思うのだが。
「ご希望であれば。わたしサッカーのことよく分からなくて申し訳ないのですが」
話ながら点滴を見る。以上なしだ。
「別にそこはいいよ。サッカーの話題を求めないし」
まぁ、たしかに。わたしだってもしも怪我をして入院しお気に入りの男性看護師ができたとして、怪我や治療の話を求めない。
「眼帯くんはいいから、千代子さんひとりで来てね」
上岡さんの言葉に、正宗くんは少し口をとがらせた。
「僕、上岡さんのファンなのに、ひどいです」
「え、そうなの。ありがとう」
「なんでも僕に言ってください。駆けつけますから」
「だから、彼女だけでいいんだってば」
「いやいや、上岡さんにお会いできて光栄です」
なんだ、このふたり。……正宗くんも、本当にファンなのだろうか。単に知っているだけだろうが。上岡さん、気分を悪くしないといいけれど。
ふたりのやりとりを見ながら時間を確認する。このあとは清四郎くんのところに行こう。
「明日、先生からご説明あるはずですので。ご家族の方は来られますか?」
「いや。俺ひとりで大丈夫ですか? 母親がさっきまでいたんですけど、帰っちゃったし」
「そうですか。大丈夫ですよ」
おひとりで暮しているのだろうか。奥様はいらっしゃらないのだろうか。
「抗生剤の点滴、術後三日まではやるので、ちょっと苦しいかもしれませんが。詳しくは明日、先生からうかがってください」
「はぁ……怪我なんてするもんじゃないな」
「早く良くならないといけませんね」
「動けないのが一番辛いよ」
寝返りをうつもの大変だ。わたし自身は下半身を固定するほどの怪我は経験がないけれど想像以上に辛いんだと思うんだ。実習で患者さんの不自由さを経験してみることがあっても、実際とは違うよね、やっぱり。
「じゃあ、痛み酷かったりご気分が悪くなったりしたら呼んでくださいね」
「はぁい。千代ちゃんじゃないといやだからね。俺ね」
「あはは」
なぜかもうちゃん付で呼ばれているが笑ってごまかすしかない。ひらひらと手を振る上岡さんに硬い笑顔を投げながら、病室をあとにした。