正宗くんは返事をしない。レンタルショップに行くなら、もう少し先の交差点を左折で、家に帰るなら曲がらない。相談してくれればいいのに、一緒に住んでいるんだから。職場のことなら、手に取るように分かるんだから。
「……小学生の男の子ってなにが好きなんですかね。アニメでもいいかな」
「一緒に探しに行くよ」
政宗くんは交差点の手前で左折ウインカーを出した。
「アニメもいいかもね」
車はゆっくり左折し、レンタルショップへ向かった。
到着して車を降りる。家から一番近いこの大型レンタルショップは書店も併設されていて、わたしもよく利用する。DVDレンタルコーナーへ行き、新作の棚から見て回る。
「ちゃんと事前調査をしてから映画を決めるべきですね。早まるところでした」
小さくため息を吐いた政宗くんは、左目の眼帯を抑えた。
「ネットでも調べてみたんですけど、なんか悶々としちゃったから気分転換にもなるなって思って。ショップに来たかった」
「言ってくれればよかったのに」
なんとなく手に取った新作DVDはサスペンスだった。そうやじゃないと思って棚に戻した。
「清四郎くんは、足のこと」
「まだ、知らないみたいだよ」
店内では流行の曲がかかっていて、少し耳障りだなと思う。心に重苦しく降り重なる思いがあるからだろう。
なんだろうね。わたしたちは子供時代を過ごして、いまはちゃんと大人なのにそれなのに分らないことがたくさんありすぎる。
アニメ、コメディ、お笑い。自然とそのジャンルコーナーに行ってしまう。あまり深く考えなくて面白く見ることができるもの。
「こういうときにひとりじゃなくて良かったかなって思うんですよね」
「はは……わたしなんかでも」
役に、立てているのだろうか。
「わたしなんかなんて思わないでくださいよ。俺は助かっています」
「それはなにより」
患者さんへの役目で悩む後輩へわたしはなにができるのだろうか。
「なにを見るのか決まらないならまた来ればいい。一緒に考えようよ」
教えられることは伝えなくちゃ。支えて考えるんだ、一緒に。
「ひとりじゃないから。ね」
「……はい」
たぶん、借りるものが決まっていたわけじゃないのだろう。わたしにはわかる。政宗くんは本当にただ気分転換したかっただけなのだろう。
清四郎くんが足のことを知るのなら一緒に映画を見ることは叶わないかもしれない。叶わないかもしれないけれど、それでも正宗くんは一生懸命に清四郎くんのことを考えている。
アイドルの軽快な曲が流れる店内とは真逆にわたしの心は静かにざわついていた。そして正宗くんの心も、きっと。
帰宅して出勤まで少し眠るといい、正宗くんは布団にくるまった。洗濯物は干してあり、食事の準備もしてあった。
干物をもらったことを言いそびれてしまった。袋ごと冷凍庫に入れておく。メモにでも残せばいいだろう。
彼が眠るので静かにするように心がけ、冷蔵庫にあったかまぼこをつまみに缶ビールを飲む。寝転がってテレビを見た。せっかくレンタルショップに行ったんだから、なにかDVDを借りてくればよかったような気がする。
そんなことを思いつつ、うとうとする自分を自覚して下がる瞼と戦った。わたしは勇敢に戦い起きていようとがんばった。寝たっていい、仕事は終わったのだから、お疲れ様わたし。寝るならベッドだよ。ベッドなのに。睡魔に抗えなかった。
寝落ち。
「せんぱい! 起きて!」
もうちょっと優しく起こせないのかな。男の声は誰だと、ここはどこだと一秒ほど考え、考えているあいだに覚醒が進み……。
「おお」
「ほら、また床で寝る。まったく、俺もう行きますよ。ベッド行ってください」
「お、起きるよお」
またベッド以外で寝てしまった。あれほど政宗くんにソファーで寝ると疲れるのじゃないかだの言っておいて、自分はこれだ。体が痛い。
「夕飯はレンジできるように冷蔵庫、洗濯物はしまっておきましたから。じゃあね、いってきまーす! ベッド行ってくださいよ!」
「あ、う、いってらっしゃい~」
完全に目が覚めたのは彼がバタバタと出て行ってしまってからだ。
「うう、もうちょっと話したかった……」
なんでもいい。仕事のことでもテレビのことでも他愛のない話でよかった。干物のこともまだ伝えていないのに。帰ってきたら清四郎くんと見る映画は、なにがいいかまた相談したい。
「お腹すいたな……」
悩んでいてもお腹は空くからとりあえず食事をしよう。話はそれからだ。
言われた通り冷蔵庫のパスタをレンジで温める。鍋にあったコンソメスープをマグに移しレンジを途中で開け、マグカップをパスタの皿と一緒に入れた。
適当に温まったところで取り出し、テーブルへ持っていく。今日はナポリタンで、ちゃんと粉チーズも準備してあった。自分ならまず用意しない。
咀嚼しながら部屋を見渡す。本棚は整理され、すっきりと掃除をされたリビング。食べこぼしが落ちていないテーブル。いままではため込んで洗濯機からあふれていた洗濯物。小まめに洗われるのであふれることまく、干された洗濯物はきちんと片付いている。
彼は本当に凄い。わたしが家事が下手だからここから名誉挽回だなんて思わないけれど。
「もうちょっと、ちゃんとするか」
できないことはないと思う。自分以外の誰かのためにしたことないけれど。
仕事でそこの神経をすり減らすから私生活でやっていけないのだろうか。いやそんなことはないだろう。ひとりでも丁寧な生活をしようとやってみて、挫折したことはたくさんある。できなかったことがストレスにはならなかった。できなくても考えるうちに面倒になるからだ。
食事をしたらお風呂掃除をしようかな。それくらいはできるのよ。
思い立ったら吉日ということで、さっさと食事を済ませ食器を洗った。いつもはこの時点で洗わない。シンクにバンと置いて水をジャーッとかけて後日まとめて洗う。だって、面倒くさ……いや、だめよ、千代子。少しずつ変わらないと。無理すると続かないから、少しずつ。急に走り出すと怪我をするって言うじゃない。準備運動が必要よ。
仕事上の後輩ではあるけれど、女性としてなにより人間として呆れられては、先輩としての威厳が保てない。お千代先輩、仕事はきっちりだけど穴の空いたパンツを履いているんでしすよって言われていたら悲しい。言ってないよね。わたしも政宗くんの眼帯の理由を言わないのだからパンツの穴のことは誰にも言わないで欲しい。
バスルームへ入りシュッシュと洗剤を噴射する。年末に掃除をしたような気がする。違ったかな、忘れた。きっと、正宗くんが掃除をしてくれているんだろうな。していないわけがない。わざわざバスルームの掃除しておきましたなんて言うひとじゃないし。シャンプーボトルのぬめりや、目地の黒ずみが少ない気がする。
「……小学生の男の子ってなにが好きなんですかね。アニメでもいいかな」
「一緒に探しに行くよ」
政宗くんは交差点の手前で左折ウインカーを出した。
「アニメもいいかもね」
車はゆっくり左折し、レンタルショップへ向かった。
到着して車を降りる。家から一番近いこの大型レンタルショップは書店も併設されていて、わたしもよく利用する。DVDレンタルコーナーへ行き、新作の棚から見て回る。
「ちゃんと事前調査をしてから映画を決めるべきですね。早まるところでした」
小さくため息を吐いた政宗くんは、左目の眼帯を抑えた。
「ネットでも調べてみたんですけど、なんか悶々としちゃったから気分転換にもなるなって思って。ショップに来たかった」
「言ってくれればよかったのに」
なんとなく手に取った新作DVDはサスペンスだった。そうやじゃないと思って棚に戻した。
「清四郎くんは、足のこと」
「まだ、知らないみたいだよ」
店内では流行の曲がかかっていて、少し耳障りだなと思う。心に重苦しく降り重なる思いがあるからだろう。
なんだろうね。わたしたちは子供時代を過ごして、いまはちゃんと大人なのにそれなのに分らないことがたくさんありすぎる。
アニメ、コメディ、お笑い。自然とそのジャンルコーナーに行ってしまう。あまり深く考えなくて面白く見ることができるもの。
「こういうときにひとりじゃなくて良かったかなって思うんですよね」
「はは……わたしなんかでも」
役に、立てているのだろうか。
「わたしなんかなんて思わないでくださいよ。俺は助かっています」
「それはなにより」
患者さんへの役目で悩む後輩へわたしはなにができるのだろうか。
「なにを見るのか決まらないならまた来ればいい。一緒に考えようよ」
教えられることは伝えなくちゃ。支えて考えるんだ、一緒に。
「ひとりじゃないから。ね」
「……はい」
たぶん、借りるものが決まっていたわけじゃないのだろう。わたしにはわかる。政宗くんは本当にただ気分転換したかっただけなのだろう。
清四郎くんが足のことを知るのなら一緒に映画を見ることは叶わないかもしれない。叶わないかもしれないけれど、それでも正宗くんは一生懸命に清四郎くんのことを考えている。
アイドルの軽快な曲が流れる店内とは真逆にわたしの心は静かにざわついていた。そして正宗くんの心も、きっと。
帰宅して出勤まで少し眠るといい、正宗くんは布団にくるまった。洗濯物は干してあり、食事の準備もしてあった。
干物をもらったことを言いそびれてしまった。袋ごと冷凍庫に入れておく。メモにでも残せばいいだろう。
彼が眠るので静かにするように心がけ、冷蔵庫にあったかまぼこをつまみに缶ビールを飲む。寝転がってテレビを見た。せっかくレンタルショップに行ったんだから、なにかDVDを借りてくればよかったような気がする。
そんなことを思いつつ、うとうとする自分を自覚して下がる瞼と戦った。わたしは勇敢に戦い起きていようとがんばった。寝たっていい、仕事は終わったのだから、お疲れ様わたし。寝るならベッドだよ。ベッドなのに。睡魔に抗えなかった。
寝落ち。
「せんぱい! 起きて!」
もうちょっと優しく起こせないのかな。男の声は誰だと、ここはどこだと一秒ほど考え、考えているあいだに覚醒が進み……。
「おお」
「ほら、また床で寝る。まったく、俺もう行きますよ。ベッド行ってください」
「お、起きるよお」
またベッド以外で寝てしまった。あれほど政宗くんにソファーで寝ると疲れるのじゃないかだの言っておいて、自分はこれだ。体が痛い。
「夕飯はレンジできるように冷蔵庫、洗濯物はしまっておきましたから。じゃあね、いってきまーす! ベッド行ってくださいよ!」
「あ、う、いってらっしゃい~」
完全に目が覚めたのは彼がバタバタと出て行ってしまってからだ。
「うう、もうちょっと話したかった……」
なんでもいい。仕事のことでもテレビのことでも他愛のない話でよかった。干物のこともまだ伝えていないのに。帰ってきたら清四郎くんと見る映画は、なにがいいかまた相談したい。
「お腹すいたな……」
悩んでいてもお腹は空くからとりあえず食事をしよう。話はそれからだ。
言われた通り冷蔵庫のパスタをレンジで温める。鍋にあったコンソメスープをマグに移しレンジを途中で開け、マグカップをパスタの皿と一緒に入れた。
適当に温まったところで取り出し、テーブルへ持っていく。今日はナポリタンで、ちゃんと粉チーズも準備してあった。自分ならまず用意しない。
咀嚼しながら部屋を見渡す。本棚は整理され、すっきりと掃除をされたリビング。食べこぼしが落ちていないテーブル。いままではため込んで洗濯機からあふれていた洗濯物。小まめに洗われるのであふれることまく、干された洗濯物はきちんと片付いている。
彼は本当に凄い。わたしが家事が下手だからここから名誉挽回だなんて思わないけれど。
「もうちょっと、ちゃんとするか」
できないことはないと思う。自分以外の誰かのためにしたことないけれど。
仕事でそこの神経をすり減らすから私生活でやっていけないのだろうか。いやそんなことはないだろう。ひとりでも丁寧な生活をしようとやってみて、挫折したことはたくさんある。できなかったことがストレスにはならなかった。できなくても考えるうちに面倒になるからだ。
食事をしたらお風呂掃除をしようかな。それくらいはできるのよ。
思い立ったら吉日ということで、さっさと食事を済ませ食器を洗った。いつもはこの時点で洗わない。シンクにバンと置いて水をジャーッとかけて後日まとめて洗う。だって、面倒くさ……いや、だめよ、千代子。少しずつ変わらないと。無理すると続かないから、少しずつ。急に走り出すと怪我をするって言うじゃない。準備運動が必要よ。
仕事上の後輩ではあるけれど、女性としてなにより人間として呆れられては、先輩としての威厳が保てない。お千代先輩、仕事はきっちりだけど穴の空いたパンツを履いているんでしすよって言われていたら悲しい。言ってないよね。わたしも政宗くんの眼帯の理由を言わないのだからパンツの穴のことは誰にも言わないで欲しい。
バスルームへ入りシュッシュと洗剤を噴射する。年末に掃除をしたような気がする。違ったかな、忘れた。きっと、正宗くんが掃除をしてくれているんだろうな。していないわけがない。わざわざバスルームの掃除しておきましたなんて言うひとじゃないし。シャンプーボトルのぬめりや、目地の黒ずみが少ない気がする。