洗濯もしてくれるのはとても助かるけれど、下着問題。当たり前だよね、洗濯は分けないのだから。色気のないものを着けているなと思っただろうか。きっと、パンツの穴から正宗くんのわたしに感じる女らしさとかなにか大事なものが漏れていっただろう。
「どうぞ、召し上がれ」
下着は捨てて忘れよう。次に穴が開いたら捨てよう。すぐ捨てよう。即刻捨てよう。千代子は学んだ。そうか。これがプリセプティからも学ぶということなのか。
「お腹空いているでしょう。食べましょう」
「そ、そうだね!」
ぎこちなく着席して、麦茶をひとくち飲んだ。政宗くんも席に座る。
「さっきまで、朋美と一緒にいたの。お茶してきた」
「そうなんですか」
「帰りにプリン買ってきたよ。甘いもの食べたいって言ってたから」
「……ありがとうございます」
「いただきます」
マグカップに入っているわかめスープに口をつけた。ああ、とても美味しい。
「風邪ひいたら、プリンですよね」
「うちのお祖母ちゃんと同じこと言ってる」
ケーキと迷ったのだがプリンを選んで良かった。
テーブルの上に並ぶ料理は、想像を裏切らなかった。みじん切りのたまねぎが絡みつくエビチリを箸で口に運ぶ。幸せの瞬間爆発。美味しいだろうという予想は裏切られなかった。
「んおー! 美味しい! 幸せ!」
「あはは。よかったです」
「正宗くん、本当に料理うまいなぁ」
「手の込んだもの作れなくてすみません。また今度」
「簡単なものをちょちょいって作っちゃうのがいいんじゃないの」
自分がそのちょちょいと作れないのだが。
眼帯の笑顔にはまだ違和感はあるけれど、とても温かい笑顔だ。病院で見るのとまた違っていて。とても安心すると感じるのは勘違いじゃないと思う。彼は、いい看護師になる。きっと。
「清四郎くん、あの可愛い男の子ですけれどサッカーをやっているんですってね。少年サッカーチームに入ってがんばっていると」
「そう。お話した?」
「しました。将来は地元のチームに入りたいんですって」
サッカー少年と男性看護師は仲良くなったのだな。患者さんと話をできるというのはひとつの自信になると思う。彼から嬉しいという気持ちが伝わってくる。
わたしたちが住む仙台には、プロサッカーチームが存在しJ1で熱き戦いを見せる戦士たちがいる。そのチームに入ってプレーしたいと憧れる子供たちはたくさんいると思う。
県内にはサッカーワールドカップ日本大会で使用したスタジアムがあるし、プロチームの存在もあって競技人口も多い。
「なんかすごい気があっちゃって。俺もちょっとサッカー分かるんですよ。だから話していると楽しいんで、つい時間を忘れてしまいます。そのうち、サッカー映画のDVDを一緒に見ようかなって思っていまして」
政宗くんの考えを聞いてずいぶん簡単に言うなと少しびっくりした。
「あ、もちろん師長に相談します」
わたしの顔色を見て感じ取ったのか、すぐ付け足した。眉間にしわでも寄っていたかしら。
「映画って、なに見るの?」
「DVD借りようと思っているんですけれど『GOAL』というサッカー少年の成長物語です」
「ふうん。聞いたことないや」
「面白いですよ。子供が見ても大丈夫だと思うんですよね。泣けるし」
わたしは、スポーツものの映画はなかなか見ないかも。単純に興味の問題だけれど、邦画のほうをよく見るかな。
「日韓ワールドカップの日本代表ドキュメンタリーもあるんですけど、あれレンタルできるのかな……2002年のやつなんですが清四郎くん生まれてないですよ。時が流れるのって早いですよねぇ」
興味はないけれど日韓ワールドカップのことは記憶にある。
ワクワクする気持ちを隠せない様子の政宗くんもまる子供みたいだ。自分は仕事中なのに清四郎くんと一緒に映画を見るなんて、その発想はいったいどこからくるのか。
「呼び出したらすぐに来てよ。なにも無いといいけど」
「はい、もちろん。清四郎くん喜んでくれますかね」
「嬉しいよ。喜んでくれるよ。入院生活に退屈してると思うし」
わたしが考え付かなかったこと気付いて、相手の為にしてあげたいというとても優しい気持ち。とても素敵だと思った。
勤務中、一緒にDVDを見ることについては許可が下りるか分からない。まるまる一本ずっと一緒に見ることはできないだろうな。うちは小児科じゃないし。ここは師長の判断に任せよう。
「どうやって見せるの?」
「ノートパソコンで見せようかなと。あ、病室じゃなくて談話コーナーとかに行けるようでしたら、そっちで。イヤホンもありますし」
「なるほどね」
美味しい夕食と楽しそうに話す正宗くん、わたし。はたから見れば幸せそうな光景だと思う。
幸せって、なにが? 誰が? モヤモヤしている。彼と出会ってからモヤモヤしっぱなし。
政宗くんの料理を食べながら、わたしは話のタイミングを見計らっていた。食事が終盤に差し掛かったので「プリン、食べる?」と提案した。
「はい、いただきます」
「ここのケーキも美味しいんだよ。焼き菓子もある」
「今度、食べましょうね」
だから、きみは懐に入りすぎる。
「えー? うーん」
わたしの中に、進入しすぎている。時間とかは関係なくて、一気に濁流のように押し寄せてこないで。干上がっていたわたしは防御策も防護服も持っていないのだから。
職場が一緒で少しのあいだシフトも一緒で、家でも一緒。これでは、おかしくなるだろう。
おかしいってば。わたしたちは先輩と後輩だ。
椅子から立ち上がり冷蔵庫に入れていたプリンふたつを取ってくる。可愛いスプーンなどないから、ためているコンビニ割箸の束から、アイスのスプーンをふたつ取りテーブルへ戻る。
「ねぇ正宗くん。思ったんだけれどさ……」
「はい?」
お互いの判断力が鈍りきらないうちに、少し考えたほうがいい。そして判断は早いほうがいいに決まっている。込み入った話や頼み事をするには、食後が一番いいと聞いた。雑誌の受け売りだが本当なのだろうか。
「彼女と、別れたんだよね?」
「はぁ、そうですね。もういまは電話も鳴りませんし。まだ続くようなら解約を考えていましたがそうすると友達とかに連絡するのが面倒だなって思っていたので」
いくら彼女が鈍くても、あんな別れかたをしたならもう理解できるだろう。普通なら電話もメッセージもできず当然だがマンションに行くなどできない。
彼氏が自分に会いたくないから、別れたいからと他の場所に寝泊まりしているなんて知ったら、わたしなら絶望する。
「綺麗に別れることはできませんでしたが。先輩にも迷惑をかけましたし」
ほら、別れた彼女にまだ優しさをかける。そして優しさに無駄はないけれど、わたしに対する優しさは無駄なものだと思うの。
じゃあ、完全に別れたということで問題がひとつ解決してよかったです。そこでだ。きみと彼女との別れに、わたしは関係ないのよ。わたしたちには仕事があるんだよ。
「じゃあさ、政宗くんもうここにいる必要なくない?」
面倒になる前に、おかしくなる前に。彼は麦茶を飲んでグラスを置く。
「……出ていけってことですか?」
そうです。政宗くんの言葉に対してなにも言わないわたしの雰囲気だけ読み取って欲しい。
最初から、少しのあいだだけという約束なのにずるずる延びる予感があるから、いまのうちに。そんな予感さえも取り越し苦労であるうちに。わたしの勘違いであるうちに。
「少しの間、彼女から隠れるつもりだったんですけれど、もうその必要ないかもしれませんね」
 目の前のプリンに手を付ける前にわたしが話を始めてしまったから、ふたりともまだありつけない。
「別れたなら、もう彼女が部屋に来ないなら」
せっかく買ってきたのだからプリンを食べたい。この話の決着をつけて食べたい。プリンに意識を向けないと、政宗くんの視線が怖い。
「さすがにもう来ないとは思いますが、でも、来るかもしれません」
「う」
判断をひとに任せるような感じで言うなんてずるいひとだ。わたしの反応を見て苦笑した正宗くんは、徐にプリンの蓋を開けた。