「どうせなら、結婚相手のために処女を取っておくつもり」
「おお、お千代かっこいい」
取っておいて桐の箱入りで献上してやる。押し付けてやる。
「ねぇ~男ってなに食べるの……もう疎過ぎて分からないよ。未知の生物だよ。遠い昔にわたしに彼氏がいたのなんて1週間だけだし外食しただけだし記憶もないし、しかも政宗くん年下だし今時の男はなに食べて生きているのか分からないよお」
お父さんやおじいちゃんと違うし、種類の違う人間だと思うし。もしかして同じ部屋の空気を吸っていたら死んじゃうんじゃないのかって。わたしじゃなくて、向こうが。
落ち着いているように見せかけて実は内心慌てふためきどうしたらいいのか分からない。考えて分からないから考えるのが面倒になってくる。一日や二日の宿泊じゃないのだから。
「つき合っているんじゃないなら、なんでそんなことで悩んでるのよ。食事なんか自分と一緒でいいでしょ。子供じゃないんだから、お腹空いたら自分でコンビニにでも行くでしょ」
「自分と一緒……炊飯器から直接食べるのでもいいの?」
「それはお茶碗に分けろ」
「そ、そうだね……」
勝利が得意じゃないから作ってあげることはまずすぐには無理だ。自分が食べるものも適当だというのに。作ってみても、美味しくなくて結局惣菜を買いにいったり、作りながら鍋から食べたりもするよ。お皿が汚れなくていいよ。
「誰にも言わないでね。お願い」
「大丈夫よ。言うわけないでしょ。でもさ……」
メンチカツに添えられたキャベツの千切りをバリバリと食べ朋美は言う。
「話を聞いていて思ったんだけど、彼女と別れたならもうお千代のところにいる必要無いんじゃないの?」
想像していなかったことを言われてスプーンが止まる。バニラのしずくが滴る。
そうか。そうだよね。
「ほ、本当だ」
政宗くんも言っていたがあの修羅場が決定的なお別れの日だと思う。持ってきた荷物は解かずにそのまま自分の部屋にお持ち帰りくださってけっこうだったのだ。
「困っているなら、嫌なら追い出せばいいよ」
「なんか、可哀そうだったから彼女とのことが」
おかしいな、嫌だと思っているわけじゃないんだよな。
「短い間ですけれどお世話になりましたって涼しい顔して出て行くよ、きっと。お千代はなにも心配することないんじゃない?」
そう言って朋美はにやりと意味ありげに笑った。
話はそこまでで、残りのメンチカツ定食をたいらげて朋美が出勤しなくてはいけない予定時刻となった。そのまま病院へ行くというのいうので送ろうと言ったのだが「いいから早く部屋に帰りなよ」と彼女はファミレスを出ていった。
わたしはファミレスで少しだけひとりの時間を過ごしてから、朋美が置いていったお金と一緒に会計を済ませて店を出た。
たしかにそうだ。彼女と別れたならわたしの部屋にいる必要ない。そのうち出て行くだろう。あんまり深く考えなくてもいいだろう。
悩んで損した……気がする。
車に乗り込みエンジンをかける。帰り道にあるケーキ屋に寄って、なにか買って帰ろう。甘いのが食べたいと言っていたし。
先輩としてそれくらいはしてあげないと。風邪ひきなわけだから。
家でも職場でも一緒という恋人や夫婦って大変だな。どうやって過ごしているのだろう。
別に、わたしたちはただの、職場の先輩後輩だけれど。

 ◇

「ただいま……」
玄関を開けるとき部屋にひとがいると思うと緊張する。ドアを開けたらいい香りが鼻をくすぐった。まさか、起きているの?
「あ、おかえりなさい」
「起きていて大丈夫なの?」
「はい、具合悪いのは取れましたし」
火の入った鍋、料理の痕跡を見つつテーブルに視線を移す。
「うおあ! なにこれ今日なんかの祭り?」
「なんで祭りですか。普通ですよ」
 テーブルに並べられた料理が煌めいて食欲をくすぐる香りを発している。
「出前?」
「作ったんですよ! 失礼な」
家から持ってきたものだろうか、政宗くんはエプロンをしてキッチンでサラダを盛り付けている。買ってきた材料がこんな風に化けるなんて凄い。わたしなんかなにを買ったのかさえ覚えていないのに。
「早めに準備して先輩が帰ってきたら温めなおそうと思っていたんです。ちょうど用意できたところです。温かいままでよかった」
「すごーい」
ご飯を作ってくれると言っていたけれど、今日は期待してなかったんだよね。まず、寝ているんだろうなって。
「言ったじゃないですか。置いてもらうかわりに炊事洗濯はしますって」
「ああ、まぁ」
たしかのそうなのだけれど。まだいるつもりなのだろうか。
政宗くんはエプロンで手を拭きながらメニューを説明してくれる。豚バラと玉ねぎの炒めもの、エビチリ、レタスのサラダ、わかめのスープ。目にも美味しいカラーリングだった。
「ご飯は炊きあがっていますから」
「炊飯器、使えた?」
「使えましたよ。先輩、前回炊飯器を使ったの最近じゃないでしょ。しかもカピカピになったらご飯が少し残っていました」
なにも言えない。最後に使った日を思い出せない。
「ひとり暮らしなのに5号焚きって大きいですよね」
「たくさん炊いて、冷凍しようと思って買ったんだよね」
「思っただけでやってないんですね」
「よく分かったね。さすが鋭い」
「偉そうに言わないでください」
空腹に耐えられず、バッグを放り投げてテーブルにつく。朋美と一緒に定食を食べないでよかった。
「着替えないんですか?」
「面倒くさいもん」
 着替えたってジャージなんだけど。
「そうですか」
心の底からお腹が空いたという気持ち。香りが食欲を刺激してくるから尚更。正宗くんは、グラスにペットボトルの麦茶を注いでくれて、至れり尽くせりだ。
「洗濯ものも畳んでありますから」
「そうなの、ありがとう」
さすが気が利いている。ああ、外食ではなくて、ひとが作ってくれた料理を食べるなんていつぶりなんだろう。
「……穴が空いていましたよ」
「え?」
「下着に」
背筋に冷たいものが走った。どうして捨てなかったのだろうと、自分のだらしなさを恨んだ。ソファーの横に積み上げられた洗濯物に気付く。穴のあるパンツはあとで捨てようと心に誓った。
「あ、か、風邪どう?!」
「昼寝したら、よくなりました」
「そう。よかった」
新しいパンツ買ってきてよかったし、もっと前に捨てるべきだった。面倒で、そのままにして履いてから気付いたこと数回。あのときどうしてと後悔しても遅い。