次の日、正宗くんは鼻をすすっていいた。どうやら風邪をひいたようだ。
政宗くんが脇に挟んでいた体温計が鳴ったので取り出してふたりで数値を確認した。
「軽い鼻風邪だと思う。熱も無いし」
「すみません……」
「わたしはひと寝して復活したけれど疲れていたのは政宗くんなんじゃないの。仕事の疲労がどっと出たのかもね」
せっかくの休みなのだし、買い物をしたり本屋に行きたかった。つき合うという彼を止めて、休んでいるように言った。高熱が出たら置いてはいけなかったけれど。
「キッチン適当に使っていいから。温かいものでも食べてゆっくりしていて。なにか欲しいものある?」
環境が変わって疲れが出る頃だろう。いまのうちに直しておかないと、休まれては困る。
「特には……わがまま言えば、甘いものが食べたいです」
「わかった。帰りに買ってくる」
「すみません」
車であちこち行って気分転換をしたいだけで、そんなに遅くなるつもりはない。
ソファーで寝ているから冷えたのかなぁ。布団はあるのに使わなくていいなんて言うからだ。転がり込んできた時点でどんな遠慮も効力を持たないよ。
もう一度ちゃんと休んでいるように念を押して家を出た。
車を走らせるときのお気に入りの音楽と、通勤と違う道。お休みの日はこれに限る。基本ぐうたら過ごしているけれど、外に出る時は車でピューンだ。気分転換、ストレス発散は必要で、ドライブというお金がかからない方法で解消できる人間で良かった。
行動範囲が一畳でも、それが毎回だと飽きるので。外出したい気分の時だってある。
今日は何曜日だっけ。
パンツに穴が空いていたことを思い出して新しい下着を買った。ベージュしか持っていないから気分を変えようと赤のブラとショーツを三着買った。正宗くんがいるから新しい下着を買ったんじゃないよ。あの穴空きパンツはいい加減もう捨てよう。運気が下がる気がする。
次は本屋へ行こう。昼過ぎに出てきたのだが、暗くなる時間ではない。明日は日勤だし、夕飯までに帰ればいいだろう。あんまり早く帰ると、政宗くんが落ち着けないだろうから。
ひとりで暮らしていればこのように気を遣うことはない。
今日は出かけたい日だったからいいけれど、引きこもりたい時は厄介かもしれない。
「面倒くさ……」
あ。いま自然に口から出てしまった。いけない。
アウトレットの駐車場に停めた車まで歩く。いいな、有意義なお休みって感じ。引きこもっているよりはこっちのほうが健康的。分かっているけれどつい寝転がって過ごしちゃうよね。
その時、携帯が鳴った。画面を見ると朋美だった。
「はーい、もしもし」
『お疲れー。あれ、もしかして出かけてる?』
「あ、うん。ちょっと買い物に出ていただけ」
『そうなの? わたし今日は準夜なんだけど、その前にご飯どう?』
なるほど、それもいいな。
「いいね。朋美はいま家にいるの?」
朋美とはよく食事に行くし、夜勤が一緒だと帰りに飲みに行くこともある。先日もふたりで夜勤明けの愚痴大会になり飲み過ぎちゃった。
わたしが車で移動したほうがいいと思ったので、待ち合わせは朋美のマンション近くのファミレスになった。三十分かからないはずだ。本屋に行くのはまた次の休みでもいいかな。
渋滞もなく、少し早めにファミレスへと到着したので先に入店して待つことにする。
窓際に席を取りメニューを見ながら待った。ほどなくして朋美がやってきた。
「ごめーん。出かけているところに呼んじゃって」
「いいの、いいの。どうせ暇だったから」
出勤の時間まではゆっくりできる。朋美もひとり暮らしの独身で、同じ看護師として友人として誰かとご飯を食べに行きたい気持ちは分かる。朋美はわたしみたいな干物女ではなく女性らしいひとだけれど。
メイクもちゃんとしてるし、美容室にも定期的に行ってヘアスタイルを変える。美容室に平気で半年は行かないわたしと違う。パンツに穴が空いていても履いちゃうわたしと違うのよ。仲良くしてくれてありがたい。
「昨日準夜だったけど、帰って深酒しないで寝たんだよね。だから今朝は午前中に起きたよ」
「深酒はよくないね。だめだね」
「夜勤明けで飲み過ぎて、目覚めたら夕方だったりするよりいいよね」
「お休みなのに損した気分になるしね」
看護師あるあるみたいな話をしてしまう。なに食べようかなぁと、朋美がメニューをめくった。
「肉が食べたいね、肉」
「わたし、食事は帰ってからするわ。アイスでも食べようかな~」
「そうなの? 焼き鳥とビール飲んでもいいよ」
「車だし。だいたい、ファミレスに焼き鳥は無いよね」
本当に無いのかとつい確認してしまった。
「うん、無いね。間違いないね」
帰ったら、昨日の食材でなにか作るか。いや、正宗くんが作ってくれているかもしれない。炊事はするっていうのが居候の条件だけれど、体調不良なら無理させられない。
「正宗くんさぁ」
「んえ!!」
ガヤガヤした店内にわたしの声が響いてしまった。
「……なに驚いてんの。どうした」
「う、ごめん」
びっくりした。考えていることが脳から漏れたかと思った。
「政宗くん頭いい子だよね。飲み込みも早いし」
「そうだね。ちょっと気が弱くて恐がりだけれど」
頭も手際も覚えもいい。強引なことをするわりに、夜の病院が怖い。たぶんお墓とか廃墟とかもだめだと思うので、それに携わる職業が全部だめなのではないだろうか。親族が亡くなった時とかどうするのだろうか。
とはいえ、怖いと思う特別重大な、万人にはあまり理解されない理由があるのだから。
「お千代がいない日勤でも、心配で目が離せないってことはないかな」
「そう。それはすごいね」
ほかのスタッフにも言われたことがある。プリセプターへの報告で政宗くんについて悪評は上がってこない。
「政宗くん、夜勤が少し苦手みたいなの」
朋美の耳には夜勤が苦手という情報をちょっと入れておきたい。
「へぇ、そうなの? まぁ、わたしも最初は苦手だったけれど」
「うん……ちょっとね」
「まぁ、昼間と雰囲気とかも違うしね。あ、店員さん呼ぶね」
 わたしも最初は慣れなくて大変だったなぁと言いながら、朋美は注文をするためにボタンを押した。
「夜勤苦手でも、慣れてもらうしかないもんね」
「そうだね。怖がっている場合じゃないし」
「怖いの? ああ、もしかして、夜の病院が怖いのかな」
朋美は鋭い。元来看護師は「状況や様子から察する」という能力が必要で、実際彼女は長けていると思う。患者さんが全部言わなくても分かってくれるところ。相手が患者さんでなくてもその能力は発揮される。
「ひとには苦手なものや怖いも、いろいろあるよね」
「ん? うん」
才能のある好青年は、秘密を抱えて生きている。それはいまわたしだけが知っている。あと元カノ。まぁ元カノはここに登場させなくてもいいか。