「……以上です。よろしくお願いします」
深夜勤担当に引継をし、さらに細かいことをリーダーに報告したりして、ひとまず今日の準夜勤は終わりである。深夜のスタッフに交代だ。
明らかに憔悴しきった正宗くんを引き連れて帰りの支度をするよう促す。あんなにフラフラで大丈夫だろうか。
更衣室でナースウェアを脱ぎ、私服に着替える。
「お疲れさま」
ため息はロッカーさえ吹き飛ばしそう。
「ああ、つかれた」
憑かれたでもいいよ。漢字が違うけれど。とりあえず早く帰ろう。明日は休みだし。
なにもなければ朋美を誘って、明け方までやっているお店に飲みにいきたいところだ。でも、正宗くんがいるし……。一時的にとはいえ帰る場所が一緒なんだもの。
バッグがいつもより重く感じるのだがなにか余計なものが入っているのだろうか。心配や悩みなのであればここに残して行きたい。
女子更衣室から出ると、少し離れた廊下の壁にもたれ掛かって正宗くんがいた。
「お疲れさまでした。質問したいことがあるので、下まで一緒に」
「あ、はいはい」
わたしは察する。帰りが一緒であるので、深夜のスタッフの目もあり誰に聞かれてもいいようにしたまでだ。とはいえあたりに誰もいないのだけれど。
小さくため息をつく。こんな回りくどいことしなくちゃいけないんだなぁ、面倒くさいなぁ。早く帰ってビール飲んで寝たい。おつまみはなににしようか考えながら正宗くんとエレベーターで関係者出入口まで降りてきた。
「このまま一度、自分の家に帰ってみます。もうこの時間だから来ていないと思うんですよ。彼女」
「そう?」
「彼女、一応は建設会社の事務員なんで。昼間の仕事だし」
じゃあ普通に考えて深夜に外出はしないかなぁ。その彼女が普通であればの話だが。
「先輩も、一緒に来て欲しいんですけれど」
「は? ちょっと待って、なんで?」
予想外の申し出に、少しイライラしてしまう。
「どっちみち先輩の家に帰るんだし。万が一、彼女が部屋の前にいたら困るから」
自分の家に帰って荷物を持ってくる気なのか。帰るんじゃなくて寄るのか。それにつき合えと。はぁ。もしもドアの前に彼女がいたら、わたしになにをやらせるつもりだろうか。バイタル取ったらいいのかな、彼女の。いや、ブチ切れた彼女が正宗くんにビンタ食らわせるかもしれない。そうなったら介助かな。
「合鍵は持っているんでしょ? 彼女」
「うち、ナンバーキーなので」
あっそ。でも、ナンバーを知っていれば入れるじゃないの。
「勝手にナンバー変えたから、彼女が激怒しているんですよ。入れなくて」
「そうなの?」
「携帯にメッセージバンバン入ります。無視ですけれど。俺、先輩に言いませんでしたっけ」
「知りません」
どうでもいいわ。
でも、いままで自由に出入りしていだろうに勝手にナンバーを変えられるなんて、そりゃ彼女は怒るだろう。
「電話でぶっ殺すって言われました」
これはやはり彼女と鉢合わせしたら殴られるケースだな。
「……彼女、物騒だね」
「元ヤンキーなんです」
「はぁ」
正宗くん、トラブルを吸い寄せる体質なのかしら。どうして元ヤンと交際することになったのか馴れ初めを聞いても話してくれなさそう。
聞きたいなぁと思っていると「別れ話はしているんです」と小さく言った。
「なかなか別れてくれなくて」
深く長い溜息をついている。弱気になったり、泥酔したり。夜の病院を怖がるし。部屋に置いてくれと強気で押し切るところもある。どれも正宗くんなのだろうけれど忙しいひとだな。
「別れを切り出しているの?」
ただ逃げているのとは違うのか。なるほど。
「そうなんです。でも、本気で聞いてくれないというか、別れ話を冗談だと思っていて。だから適当に理由つけてナンバー変更して、タイミング見計らって携帯番号も変えちゃおうかなって思っていました」
ずいぶん強引だけれど、それなのに強気で押し切れる相手じゃないのか。どっちも強引で似たもの同士だと思う。
「言っておくけど、新しくできた女の役とかしないからね」
「なんの話ですか?」
「……いや、なんでもない」
勝手に先走ってしまった。
「彼女の役じゃなくて、彼女になってください」
「え」
一瞬の静寂。いまなんて言った?
「えええ、え、え?」
ちょっと、なに?
「冗談ですって」
……ぶっころ……いや、なんでもない。本当にむかつくな。ふざけるな。こっちはいま心配しているというのに。
「先輩をからかうな」
「すみません。でも、お願いします。一緒に来てください」
この状況で普通なら行かないだろうかと思いながらも、放っておけないわたしはお人好しなのか。正宗くんの頼みかたは計算なのか天然のものなのか。一度強引に押してみてから柔らかく頼んでくるから、嫌だと言えない空気を作っている。それにはまっているのはわたしだけかもしれないが。
「仕方ないなぁ……いまからタクシーで行けっていうのもかわいそうだから。一緒に行くよ。どうせ同じうちに帰るんだもんね」
「ああ、ありがとうございます。助かります」
彼は安心したように、車に乗り込んだ。わたしも、まわりに誰もいないことを確認して乗り込んだ。
 深夜の道路は車が少ない。スピードを出して走るバカなドライバーもいたりするので、空いているといっても安全運転である。後輩も乗っていることだし。というか、むしろ運転をして欲しいのですが。
案内をして貰いながら、正宗くんが住むマンションまで来た。先日も見たあの白い建物だ。
「ゆっくり行ってくださいね……三階の右端なんですけれど。たぶん、大丈夫かな」
「大丈夫そうなら早く行って、着替え取ってこようよ」
わたしは早く帰りたいのだ。帰ってご飯を食べてゆっくりしたい。正直、正宗くんと彼女とのことにわたしは関係ないし、面倒になればこのままきみをここに放り出して帰ってもいいんだ。しないけれど。すると思ったろ、でもそれはなんか、やっぱりかわいそうだからしないよ。甘いかもしれない。
「そうですね。時間的に大丈夫だと思うんですけれど、夜中に突然思い立って来ちゃった~なんてこともあるから、用心しないと」
来ちゃった~にずいぶんと警戒している。
彼女が正宗くんをとても愛しているとするならば、こんなに避けられたら辛いだろうな。会ったこともない元ヤンの彼女を思う。
わたしたちはエレベーターで三階へ行った。エレベーターのドアが開くと、まるで刑事ドラマのように壁伝いで前に進む。ふたりともなにをやっているんだろうか、よく分からない。
正宗くんは自分の部屋の前までくると、キーを解除してドアを開ける。部屋は真っ暗だった。ナンバーを変更していて彼女伝えてなければ部屋に入れるわけがない。
ドアを破壊しない限りは。
照明を点けるとオフホワイトの壁の短い廊下が浮かび上がり、おそらく右側にトイレとバスルーム。奥にもうひとつドアがあって先は見えない。1Kの間取りといったところか。他人の部屋をジロジロのぞき込むわけにもいかない。と考えたところで、正宗くんはうちに入っているんだったと思い直す。ばかみたい。どうしてわたしひとりでこんなに気を回さないといけないのだろうか。くだらないことに巻き込まれたくない。プンスカ。