準夜スタッフが気を利かせてくれて、わたしと正宗くんは同時に夕食休憩を入れることができた。
「どう? 初めての準夜。まだ始まったばかりだけれど」
わたしが新人のころは準夜勤と深夜勤に慣れず、続けられるか不安だった。まず、夜勤から帰宅して睡眠を取るのが大変だった。疲れていても外は明るくて体が眠る体制にならない。だからお酒を飲むわけなんだけれど。こんな生活を続けていて飲酒に歯止めが利かなくなる人もいるので飲み過ぎ注意の意識は現在進行形。
眠ることも起きることも仕事であるがリズムがめちゃくちゃなのではやり慣れないと大変。朝に起きたり、夕方に起きなきゃいけなかったり。起きられなかったらどうしようとか考えると眠れなくなるから。眠れないかもしれない、寝ないと仕事に響くし、起きられないかもしれないという不安が積み重なって、辞めたいと思ったこともあった。夜寝て朝起きる仕事へ変えようかと考えたことも。いまも辛いことが続くとふと辞めようと思っていたことを思い出す。しかし、看護師という職業は得られるものも多いしやりがいもあるのだ。なにごとも経験である。
「なにごとも経験ですね」
正宗くんも同じこと思っていたみたい。
「忙しいのは分かっていたけれど、想像以上でした」
「もっと、まだまだいろいろあるよ。これから、これから」
「はい。がんばります」
買ってきたサンドイッチをかじる。食べたらすぐ勤務に戻らないと。
「分からないことがあって、たぶんなにを聞いたらいいのかが分からなかったりすると思うけど、素直にそう言った方がいいよ。わたしもそうだった」
「なるほど。いまその状態ですもん」
「でしょ」
自分もそうだったなぁと懐かしくもある。分からない事柄がはっきりしているならまだいいのだ。質問ができて答えが返ってくるから。経験したからこそ分かるし、だからこそ教えてあげられるというか。
「忙しい時はわたしの言っていることが分からなかったりすると思うけど」
「いまは指示通り動くので精一杯といった感じです」
「大丈夫。正宗くんならできる」
飲んでいた一リットル紙パック飲料をドンと机に置いた。
「はい……」
なんだ。まだ夜勤は半分過ぎたところなのに、本当に元気ないな。予想以上に忙しくて参ったのか、相当疲れているのかな。昼と夜と違いはあるけれど今夜が特別忙しいわけじゃないと思うのだけれど、初めてのことだから無理もないか……。
食事を終わらせてふたりでステーションへ戻った時だった。スタッフがパタパタと走っていくところが視界に入る。コールの表示を見ると……柏木さん? 残っていたスタッフをつかまえて声をかける。
「どうしたんですか?」
「見回りに行った佐藤さんがコールしたみたいなんだけど。いまもうひとり、南さんに行って貰ったから」
「ひとり対応が難しい感じですね」
正宗くんが不安そうにしている。
「先輩。柏木のおじいちゃん、なんかあったんですかね」
「かもしれないね……」
手数が必要ならすぐ行けるようにしておかないといけない。考えていると、南さんが戻ってきた。
「柏木さん、点滴抜いてベッドから立とうしていて」
その報告にかぶさるように、廊下から声が聞こえてきた。
「帰るんだよぉ、だいじょうぶだって」
ああ、始まったのか。心に緊張の糸が張られる。
南さんが戻ってきたところで「わたしと正宗くんで行ってきます」といって、柏木さんの病室へ向かう。病室の前まで来ると入口で佐藤看護師が、床を這うようにしている柏木さんに手を貸しているところだった。
「危ないですからね、ね、ベッドに戻りましょう」
そばに点滴が倒れていて危ない。駆け寄って点滴の先を確認すると、外れている。柏木さんと佐藤さんのふたりから離して壁側に移動させた。
「明日、また奥さん来てくれますから」
「いやいや、もう大丈夫だから! 帰るから俺」
柏木さんは、怪我がなければもとから悪い膝以外は丈夫なひとなのだろう。たしかカルテによれば体重八十kgあり体格がいい。女性看護師だと支えるのがやっとだ。
「触るなって、帰るんだ」
「柏木さん、傷にさわりますから」
なだめてもいうことを聞いてくれない。柏木さんにわたしたちの声が届かない。
「ああー! 痛い、痛ぇよー!」
だめだ。影響して痛みを感じることで騒ぎ出してしまった。わたしは急いで柏木さんに駆け寄った。
「ベッドに戻りましょう」
「痛ぇよ先生を呼んでよー」
「正宗くん」
びっくりしたのか、立ったまま呆然としている正宗くんを見る。
「ここお願い。わたし当直の先生を呼んでくるから」
おびえた様子の正宗くんに、わたしが驚いてしまう。不穏の患者さんを見たのは初めてなのかもしれないけれど、冷静になって。だめだ、しっかりしてよ。こんなことで驚いていてはいけない。
「正宗くん!」
仕方ない。指示を変えないと。突っ立ってなにもできない正宗くんを厳しい声で呼んだ。
「ステーション行って、先輩に伝えて。先生を呼んでくださいって」
「離せってばよー!」
「柏木さん、ベッド戻ろうね!」
佐藤看護師も必死である。
騒ぎを聞きつけて起きてしまったほかの患者さんが病室から顔を出している。この状況を早く収めないないといけない。指示したにも関わらず、正宗くんはなかなか動こうとしなかった。
「正宗くん、どうしたの? 早く!」
「……ろ、廊下、暗い……」
嘘でしょう。怯えた様子で動こうとしない。なにをばかなことを言っているんだ。
「なにを言っているの……佐藤さん、ちょっとごめん」
柏木さんから手を離して正宗くんに駆け寄って腕を揺すった。なんなの、なんで動かないの。
「じゃあわたしが行くから、ほらきて! しっかりして! 手を貸して!」
彼の手を引っ張り、柏木さんの体を支えるように誘導した。これ以上、暴れないように掴んでいてくれ。
「す、すみませ」
彼の返事を聞かず、わたしは小走りにその場を離れた。
「どう? 初めての準夜。まだ始まったばかりだけれど」
わたしが新人のころは準夜勤と深夜勤に慣れず、続けられるか不安だった。まず、夜勤から帰宅して睡眠を取るのが大変だった。疲れていても外は明るくて体が眠る体制にならない。だからお酒を飲むわけなんだけれど。こんな生活を続けていて飲酒に歯止めが利かなくなる人もいるので飲み過ぎ注意の意識は現在進行形。
眠ることも起きることも仕事であるがリズムがめちゃくちゃなのではやり慣れないと大変。朝に起きたり、夕方に起きなきゃいけなかったり。起きられなかったらどうしようとか考えると眠れなくなるから。眠れないかもしれない、寝ないと仕事に響くし、起きられないかもしれないという不安が積み重なって、辞めたいと思ったこともあった。夜寝て朝起きる仕事へ変えようかと考えたことも。いまも辛いことが続くとふと辞めようと思っていたことを思い出す。しかし、看護師という職業は得られるものも多いしやりがいもあるのだ。なにごとも経験である。
「なにごとも経験ですね」
正宗くんも同じこと思っていたみたい。
「忙しいのは分かっていたけれど、想像以上でした」
「もっと、まだまだいろいろあるよ。これから、これから」
「はい。がんばります」
買ってきたサンドイッチをかじる。食べたらすぐ勤務に戻らないと。
「分からないことがあって、たぶんなにを聞いたらいいのかが分からなかったりすると思うけど、素直にそう言った方がいいよ。わたしもそうだった」
「なるほど。いまその状態ですもん」
「でしょ」
自分もそうだったなぁと懐かしくもある。分からない事柄がはっきりしているならまだいいのだ。質問ができて答えが返ってくるから。経験したからこそ分かるし、だからこそ教えてあげられるというか。
「忙しい時はわたしの言っていることが分からなかったりすると思うけど」
「いまは指示通り動くので精一杯といった感じです」
「大丈夫。正宗くんならできる」
飲んでいた一リットル紙パック飲料をドンと机に置いた。
「はい……」
なんだ。まだ夜勤は半分過ぎたところなのに、本当に元気ないな。予想以上に忙しくて参ったのか、相当疲れているのかな。昼と夜と違いはあるけれど今夜が特別忙しいわけじゃないと思うのだけれど、初めてのことだから無理もないか……。
食事を終わらせてふたりでステーションへ戻った時だった。スタッフがパタパタと走っていくところが視界に入る。コールの表示を見ると……柏木さん? 残っていたスタッフをつかまえて声をかける。
「どうしたんですか?」
「見回りに行った佐藤さんがコールしたみたいなんだけど。いまもうひとり、南さんに行って貰ったから」
「ひとり対応が難しい感じですね」
正宗くんが不安そうにしている。
「先輩。柏木のおじいちゃん、なんかあったんですかね」
「かもしれないね……」
手数が必要ならすぐ行けるようにしておかないといけない。考えていると、南さんが戻ってきた。
「柏木さん、点滴抜いてベッドから立とうしていて」
その報告にかぶさるように、廊下から声が聞こえてきた。
「帰るんだよぉ、だいじょうぶだって」
ああ、始まったのか。心に緊張の糸が張られる。
南さんが戻ってきたところで「わたしと正宗くんで行ってきます」といって、柏木さんの病室へ向かう。病室の前まで来ると入口で佐藤看護師が、床を這うようにしている柏木さんに手を貸しているところだった。
「危ないですからね、ね、ベッドに戻りましょう」
そばに点滴が倒れていて危ない。駆け寄って点滴の先を確認すると、外れている。柏木さんと佐藤さんのふたりから離して壁側に移動させた。
「明日、また奥さん来てくれますから」
「いやいや、もう大丈夫だから! 帰るから俺」
柏木さんは、怪我がなければもとから悪い膝以外は丈夫なひとなのだろう。たしかカルテによれば体重八十kgあり体格がいい。女性看護師だと支えるのがやっとだ。
「触るなって、帰るんだ」
「柏木さん、傷にさわりますから」
なだめてもいうことを聞いてくれない。柏木さんにわたしたちの声が届かない。
「ああー! 痛い、痛ぇよー!」
だめだ。影響して痛みを感じることで騒ぎ出してしまった。わたしは急いで柏木さんに駆け寄った。
「ベッドに戻りましょう」
「痛ぇよ先生を呼んでよー」
「正宗くん」
びっくりしたのか、立ったまま呆然としている正宗くんを見る。
「ここお願い。わたし当直の先生を呼んでくるから」
おびえた様子の正宗くんに、わたしが驚いてしまう。不穏の患者さんを見たのは初めてなのかもしれないけれど、冷静になって。だめだ、しっかりしてよ。こんなことで驚いていてはいけない。
「正宗くん!」
仕方ない。指示を変えないと。突っ立ってなにもできない正宗くんを厳しい声で呼んだ。
「ステーション行って、先輩に伝えて。先生を呼んでくださいって」
「離せってばよー!」
「柏木さん、ベッド戻ろうね!」
佐藤看護師も必死である。
騒ぎを聞きつけて起きてしまったほかの患者さんが病室から顔を出している。この状況を早く収めないないといけない。指示したにも関わらず、正宗くんはなかなか動こうとしなかった。
「正宗くん、どうしたの? 早く!」
「……ろ、廊下、暗い……」
嘘でしょう。怯えた様子で動こうとしない。なにをばかなことを言っているんだ。
「なにを言っているの……佐藤さん、ちょっとごめん」
柏木さんから手を離して正宗くんに駆け寄って腕を揺すった。なんなの、なんで動かないの。
「じゃあわたしが行くから、ほらきて! しっかりして! 手を貸して!」
彼の手を引っ張り、柏木さんの体を支えるように誘導した。これ以上、暴れないように掴んでいてくれ。
「す、すみませ」
彼の返事を聞かず、わたしは小走りにその場を離れた。