とにかく、わたしが心配しているのはそこじゃない。彼の生い立ちはどうでもいいです……。生い立ち、そうなのか、なるほど。親戚に医者がいるのか。どうして医者にならなかったのだろうか。いや、だからそうじゃなくて。
「仕事がやりにくいだろうなと思うし、患者さん、あの眼帯で不安に思いませんでしょうか……」
病人か怪我人に看られたくないとか、患者さんに言われないだろうか。もしそんな風に言われたら、彼も傷つくんじゃないだろうか。
「ものもらいですって言っておけばいいでしょう。本人も不自由を訴えないですし、そんなに気にすることないと思いますよ。師長も特になにもおっしゃっていませんし」
うふふと主任は笑った。いいのか、それで。
「そうですか……」
まぁ、仕事をちゃんとしてくれればいいけれど。
きっと一時の目の違和感かなにかだと思っているのかもしれない。いずれ眼帯は取れるのだろうと。しかし本人に聞かないところがゆるい。問題が起こらないといいな。なにかあったらまた相談しよう。
準夜勤担当だけで軽く打ち合わせをする。それから夜のスタートだ。
「正宗くん、検温の準備」
「正宗くん、マウスケアの用意」
「正宗くん、夕食の介助いくよ」
「正宗くん、オムツ準備してね。ある場所覚えてる?」
「正宗くん、測定票準備」
わたしの言うことを理解して反応し、段々動けるようになった。飲み込みが早くてとてもいい。正宗くんが日勤、わたしが準夜勤や深夜勤などでシフトが合わないときでも、ほかの先輩の言うことをよく聞いているらしいし。
まだ迷ったりはするけれど、わたしが新人のころより飲み込みが早いと思う。
夕食までラウンド、検温、夕食が始まったら食事の介助。やることは山盛りで、時間と大勢の患者さんは待ってはくれない。彼らはわたしたちを待っている。
「忙しくてちゃんと説明しきれなくてごめんね。質問はあとで受け付けるからまとめておいて」
「分かりました。昼間も忙しいけれど、夜は夜で忙しくて目が回りそう」
「がんばれ。深夜勤もまた違うからね。じゃ点滴確認いくよ」
「ハイ」
ふたりでまた患者さんのもとへ向かう。
確認すると就寝時間が近かった。うちの病院は就寝時間が二十一時と決まっている。それを頭に入れてまた病室を見回り、最中にナースコールが鳴ったりして駆け回る。早い場合だと、もう眠っている患者さんもいるので廊下は静かに移動しなくてはいけない。緊急時はどうしてもバタバタになってしまうけれど。わたしと正宗くんは、とある四人部屋に入り、そっと声をかけて手前のカーテンを開ける。
「清四郎くん~……あ、テレビ見ていたね。ごめんね、邪魔して」
「ううん。ねぇ、いまから見たい映画がはじまるんだ。見てもいい?」
名前は清四郎くんという十歳の男の子だ。人見知りしない性格らしく看護師みんなと仲良しだ。交通事故で右足首を骨折の重傷を負い搬送され、手術をして入院となった。
自転車で走行中に車と衝突したと聞いた。搬送されたのは昼間で、わたしは夜勤だったのでいなかった。
怖かっただろうに。痛かっただろうに。わずか十歳の子供で交通事故の患者さんに出会うとどうしても胸が詰まる。
交通事故の患者さんは、事故のことを覚えている場合フラッシュバックして泣いたり叫んだり、夜眠れなくなったりすることがある。清四郎くんの場合、搬送時意識はあったが落ち着いていたと聞く。入院中のいま、手のかかる患者さんではない。泣いたり不安になったりすることは、いまのところなかった。
「なに見るの?」
「ルパン。野中さんも一緒に見る?」
「うわぁ~見たい。終わるまで何回か来てもいい?」
清四郎くんは、わたしのネームを見てちゃんと「野中さん」と呼んでくれる。
その映画、本当に見たいんだけれど。凄く見たい。仕事じゃなければビール片手にごろんと寝転がって見たい。充実の息抜き時間であろう映画鑑賞の妄想を飲み込んで仕事モードを維持しなければならない。
「ここにいて、見ればいいのに」
「お仕事あるよおー」
「そうだよね~」
えへへと笑う顔がとても可愛い。可愛い笑顔は天使で、休んでしまえという悪魔のささやきか。
「ねぇ、後ろの大きいお兄さん」
人懐っこいからね、清四郎くん。声かけられて良かったね、正宗くん。
わたしは目配せをして正宗くんと場所を代わる。昼間、何度か顔を合わせているとは思うから、清四郎くんの中で段々と興味が湧いたのかな。
「覚えてくれたの? 嬉しいなぁ」
「お兄さん、まさむねっていうんだよね。知ってる!」
ネームプレートを嬉しそうに小さい声で読んでいる。まわりに迷惑かからないように静かにしようという心遣いができる賢い子である。正宗くんとおしゃべりしたいんだろうなぁ。
「同じだね、伊達政宗とね。その目、怪我したの? 痛いの?」
「そう。ちょっとだけね。俺のこと、正宗って呼んでいいよ」
「まじか!」
盛り上がっているね。男同士、気が合いそう。
「清四郎くん、イヤホンあるよね」
「うん。大丈夫。静かに見るから」
「俺も、また来るから」
「うん!」
おやすみと声をかけて病室をあとにした。ステーションに戻り「よし」と気合いを入れる。
「ラウンド終わったら交代でご飯食べてね」
「お腹空きましたもんね~」
正宗くんはなんかのんびりしているなぁ。引きずられてのんびりしたくなっちゃう。
それから眠れない患者さんの呼び出しが数件。行ったり来たりしつつ、再度病室の見回りをしてナースステーションに戻たとき、二十二時を過ぎていた。
ふと思ったのだけれど、なんだか段々正宗くんの口数が減っていっているような気がする。
「疲れた?」
「……少し。というか、夜って苦手で」
「そう? 変なの」
準夜初日にそんなことを言うなんてこれからどうするんだ。眠いのかな。夜になると疲れが出やすい体質だとか……と様々考えても本人しか分からない理由があるのだろう。
眼帯然り、夜が苦手ということも含めて正宗くんはなにかを隠していると思う。
とはいえ、問いつめる権利はわたしには無いしいまのところ弊害も無い、かな。
「仕事がやりにくいだろうなと思うし、患者さん、あの眼帯で不安に思いませんでしょうか……」
病人か怪我人に看られたくないとか、患者さんに言われないだろうか。もしそんな風に言われたら、彼も傷つくんじゃないだろうか。
「ものもらいですって言っておけばいいでしょう。本人も不自由を訴えないですし、そんなに気にすることないと思いますよ。師長も特になにもおっしゃっていませんし」
うふふと主任は笑った。いいのか、それで。
「そうですか……」
まぁ、仕事をちゃんとしてくれればいいけれど。
きっと一時の目の違和感かなにかだと思っているのかもしれない。いずれ眼帯は取れるのだろうと。しかし本人に聞かないところがゆるい。問題が起こらないといいな。なにかあったらまた相談しよう。
準夜勤担当だけで軽く打ち合わせをする。それから夜のスタートだ。
「正宗くん、検温の準備」
「正宗くん、マウスケアの用意」
「正宗くん、夕食の介助いくよ」
「正宗くん、オムツ準備してね。ある場所覚えてる?」
「正宗くん、測定票準備」
わたしの言うことを理解して反応し、段々動けるようになった。飲み込みが早くてとてもいい。正宗くんが日勤、わたしが準夜勤や深夜勤などでシフトが合わないときでも、ほかの先輩の言うことをよく聞いているらしいし。
まだ迷ったりはするけれど、わたしが新人のころより飲み込みが早いと思う。
夕食までラウンド、検温、夕食が始まったら食事の介助。やることは山盛りで、時間と大勢の患者さんは待ってはくれない。彼らはわたしたちを待っている。
「忙しくてちゃんと説明しきれなくてごめんね。質問はあとで受け付けるからまとめておいて」
「分かりました。昼間も忙しいけれど、夜は夜で忙しくて目が回りそう」
「がんばれ。深夜勤もまた違うからね。じゃ点滴確認いくよ」
「ハイ」
ふたりでまた患者さんのもとへ向かう。
確認すると就寝時間が近かった。うちの病院は就寝時間が二十一時と決まっている。それを頭に入れてまた病室を見回り、最中にナースコールが鳴ったりして駆け回る。早い場合だと、もう眠っている患者さんもいるので廊下は静かに移動しなくてはいけない。緊急時はどうしてもバタバタになってしまうけれど。わたしと正宗くんは、とある四人部屋に入り、そっと声をかけて手前のカーテンを開ける。
「清四郎くん~……あ、テレビ見ていたね。ごめんね、邪魔して」
「ううん。ねぇ、いまから見たい映画がはじまるんだ。見てもいい?」
名前は清四郎くんという十歳の男の子だ。人見知りしない性格らしく看護師みんなと仲良しだ。交通事故で右足首を骨折の重傷を負い搬送され、手術をして入院となった。
自転車で走行中に車と衝突したと聞いた。搬送されたのは昼間で、わたしは夜勤だったのでいなかった。
怖かっただろうに。痛かっただろうに。わずか十歳の子供で交通事故の患者さんに出会うとどうしても胸が詰まる。
交通事故の患者さんは、事故のことを覚えている場合フラッシュバックして泣いたり叫んだり、夜眠れなくなったりすることがある。清四郎くんの場合、搬送時意識はあったが落ち着いていたと聞く。入院中のいま、手のかかる患者さんではない。泣いたり不安になったりすることは、いまのところなかった。
「なに見るの?」
「ルパン。野中さんも一緒に見る?」
「うわぁ~見たい。終わるまで何回か来てもいい?」
清四郎くんは、わたしのネームを見てちゃんと「野中さん」と呼んでくれる。
その映画、本当に見たいんだけれど。凄く見たい。仕事じゃなければビール片手にごろんと寝転がって見たい。充実の息抜き時間であろう映画鑑賞の妄想を飲み込んで仕事モードを維持しなければならない。
「ここにいて、見ればいいのに」
「お仕事あるよおー」
「そうだよね~」
えへへと笑う顔がとても可愛い。可愛い笑顔は天使で、休んでしまえという悪魔のささやきか。
「ねぇ、後ろの大きいお兄さん」
人懐っこいからね、清四郎くん。声かけられて良かったね、正宗くん。
わたしは目配せをして正宗くんと場所を代わる。昼間、何度か顔を合わせているとは思うから、清四郎くんの中で段々と興味が湧いたのかな。
「覚えてくれたの? 嬉しいなぁ」
「お兄さん、まさむねっていうんだよね。知ってる!」
ネームプレートを嬉しそうに小さい声で読んでいる。まわりに迷惑かからないように静かにしようという心遣いができる賢い子である。正宗くんとおしゃべりしたいんだろうなぁ。
「同じだね、伊達政宗とね。その目、怪我したの? 痛いの?」
「そう。ちょっとだけね。俺のこと、正宗って呼んでいいよ」
「まじか!」
盛り上がっているね。男同士、気が合いそう。
「清四郎くん、イヤホンあるよね」
「うん。大丈夫。静かに見るから」
「俺も、また来るから」
「うん!」
おやすみと声をかけて病室をあとにした。ステーションに戻り「よし」と気合いを入れる。
「ラウンド終わったら交代でご飯食べてね」
「お腹空きましたもんね~」
正宗くんはなんかのんびりしているなぁ。引きずられてのんびりしたくなっちゃう。
それから眠れない患者さんの呼び出しが数件。行ったり来たりしつつ、再度病室の見回りをしてナースステーションに戻たとき、二十二時を過ぎていた。
ふと思ったのだけれど、なんだか段々正宗くんの口数が減っていっているような気がする。
「疲れた?」
「……少し。というか、夜って苦手で」
「そう? 変なの」
準夜初日にそんなことを言うなんてこれからどうするんだ。眠いのかな。夜になると疲れが出やすい体質だとか……と様々考えても本人しか分からない理由があるのだろう。
眼帯然り、夜が苦手ということも含めて正宗くんはなにかを隠していると思う。
とはいえ、問いつめる権利はわたしには無いしいまのところ弊害も無い、かな。