教室には既に僕を待っている生徒たちが幾人も居たようで、席に着くとあっという間に囲まれてしまう。

「鳥海君凄いね。強姦魔を撃退したんだって」
「ありがとう。わたしあの噂が出てから怖くて、怖くて」
「それより怪我は平気なのか?」
「どんな感じだったのか聞かせてくれよ」

 話したことのないクラスメイトに囲われて困惑する。
 事件が起こったのは昨日の夜だというのに、僕の事は既に広まっているらしい。この調子だと町全体に広がるのは時間の問題だ。

「おい。鳥海」

 答えに窮していると館山に声を掛けられる。

「ちょっとこい」

 僕の返事を待つことなく館山は教室を出ていく。

「ごめん。ちょっと」

 このまま大勢に囲まれてもどんな反応をすれば良いのかわからないので、クラスメイト達に軽く謝りながら僕も教室を出る。

 先日と同じように館山は屋上にいた。

 僅かしか日にちが立っていないというのに、屋上に吹く風は冷気を帯びて体温を容赦なく奪っていく。さらに、二週間もすれば風は刺すような冷たさになる。その頃にこの町はどんな風になっているのだろう。

 館山は何も話さず、フェンスに寄りかかって屋上から見える景色を眺めていた。

「僕に用があったんじゃないの?」
「そんなもんねえよ」
「じゃあなんで」

 別にどうでもいいだろうと怒鳴られると思ったが、今日の館山はどこかきまりの悪そうな顔をしていた。

「お前ああいうの苦手だろ」

 それだけ言って再び風景に視線を移す。

「ありがとう」

 まさか、館山が僕を助けるなんて思わなかった。槍でも降って来るかと不安で空を見上げるが、遠くの空で白い鳥が旋回しているだけだった。

「それにお前が怪我したのは俺の所為でもあるからな」
「どういう意味? もしかして不審者にキサさんの場所を教えたの?」
「違う。そうじゃない」

 声を鋭くして責めるように迫る僕の剣幕に館山はたじろぐ。

「親父にやばい奴がうろついてるから駐在を動かせって言ったんだ。だけどあいつは俺の言葉なんてまるで信用してなかった。俺がもっと真剣に働きかけたらこんな大事には……」

 悔やむように唇を噛んで視線を落とす。

 実は館山は思っているほど悪い奴ではないのかもしれない。

「そんなの館山の所為ではないよ」

 極まりの悪い空気が僕らの間に漂う。こういう時にどう振る舞うのが正解なのだろうか。

 いままでどうでも良いと思っていたことが最近は気になっている。

「怪我はどうなんだ?」
「平気だよ。切られたのは左腕で利き腕じゃないから」

 腕を切られたと聞いた館山はまた僕の方へ視線を戻して、険しい表情のまま迫って来る。

「切られて平気なわけねえだろう。痛みは? 動くのか? 後遺症は?」

 珍しく取り乱した館山は、ガラス細工に触れるような手つきで僕に触れようとする。

「本当に平気だから。傷は深くないし痛みはあるけど、安静にしていればちゃんと治るよ」
「……そうか」

 すぐに冷静さを取り戻した館山はフェンスに寄りかかって座り込むと空を見上げる。

 少し考え方を変えてみる。館山がいつも険しい表情をしているのは、ただ感情表現が苦手なだけなのだとしたら。今までの言葉の意味が違ってみるかもしれない。

「館山ってもしかして、前から僕のこと心配してる?」
「あ? 当たり前だろ。それ以外に何があるんだよ」

 少し照れを隠すように頭をかき乱す館山を見て笑いがこみあげてくる。

「おい、何がおかしいんだよ」
「ごめん。ちょっと、こっちの話」

 確かに外見から受けるイメージは悪い。金髪だし、言葉は汚いし、機嫌を損ねたらすぐ物に当たるし。

 ただ、僕に昼をおごろうとしていたり、囲まれているのを心配して連れ出したり、見方を変えれば僕は助けられていた。

「ありがとう」
「別に」

 館山は険しい表情を崩さずはるか上空を旋回する白い鳥に視線を逸らす。キサさんとは対照的にその表情からは何も読み取れない。

「お前、変わったな」
「かもしれないね」
「あの女の影響か?」
「……うん」

 キサさんが来てから僕の世界は少しずつ変わってきている。そしていつかひっくり返るのだろう。ひっくり返ったその先に、僕の望んでいる世界はあるのか。

「以前に、俺の叶えたい望みって何か聞いてきただろ」
「そんな事もあったね」

 聞いたら怒鳴られたけど。今思えばきっとあれは照れ隠しだったのだ。傍から見たら怒っているとしか見えないけれど。

「俺の望みはさ。お前にもう一度絵を描いてもらう事なんだよ」

 サラッと明日の天気でも言うような軽さで望みを伝えられる。

 どう応えれば良いのか迷う。僕は未だに絵を描こうとは思えていない。

「忘れられねえんだ」

 白い鳥は旋回をやめて町の方へ飛んで行く。それを見送りながら館山は続ける。

「ここの景色見ると思いだすんだよ。お前が描いたあの絵をさ」

 あの絵とはコンクールで受賞した絵のことをいっているのだろう。どんな構図だったのか今でもはっきりと思い出せる。確かにここから見える景色によく似ている。

「でも、館山はそれで絵を辞めたよね? 僕の所為で」
「俺は別に絵を辞めたわけじゃねえよ」

 僕の言葉を掻き消すように吐き捨てる。

「確かに俺はお前の絵を見て自分の平凡さに気づかされたよ。その所為で絵画教室に行くこともしなくなった。お前には敵わないと思ったからな。だから違う方法で絵を描くことを始めたんだ」

「違う方法?」

「お前は変な責任を感じてるようだけど、余計なお世話なんだよ。お前は俺の分も描け。それが才能のある奴の義務だと思ってる」

 そんなこと言われても困る。自分に才能があるなんて思えない。それに才能があれば周りの人間を不幸にしていいか。そんなことはあり得ない。

 僕が答えに迷っている間に予鈴のチャイムが鳴る。
はっきりとしない僕の態度に嫌気がさしたのか、館山は軽く舌打ちをして空を仰ぐ。

「下絵、描けよ。どうせあんなもん適当で構わないんだ。リハビリにはぴったりだろ」
「もう誰が描くかは決まってるから」
「じゃあ誰が描くか決まってなければ良いのか?」

 直ぐに、何かを思いついたように視線を僕に向けるが、悪人がするような笑い嫌な予感が背中を伝う。

「何?」
「なんでもない」

 恐る恐る聞いてみても館山は質問に答えず校舎の中に入って行った。

 館山の不敵な笑みの意味は放課後に知ることになる。