「僕には将来を約束した人がいるから、その思いは受け取れないよ。すまないね」
 目の前の彼が私にそう言った。思わず目頭が熱くなる。
「そうですか。その、失礼しました」
 そう言って私は彼の前から立ち去る。一目惚れだったのに、いや、だからかも知れない。私はそれ以上彼に思いを押しつけることができなかった。
 少し離れた所に行って、ハンカチで目頭を押さえる。ちょっとだけアイメイクがハンカチに移った。
 彼に初めて会ったのは、今日と同じような、ロリータ服を好む人が集まる、アクセサリーなどの即売会イベントでのことだ。自作だというすてきなネックコルセットを台の上に並べ、興味を持った女の子たちに朗らかに、そして紳士的に対応しているのを見て、思わず心奪われたのだ。
 とは言え、実際に彼と会うのはこれで二回目。端から見たらそんな突然の告白、受けられるはずがないと言われるかも知れないけど、イベントでしか会えないだろう彼に気持ちを伝える数少ないチャンスなのだ。積極的になるしかない。まぁ、結局玉砕したわけではあるのだけど。
 今日のイベントは、彼にフラれただけでなく、お気に入りの作家さんの新作も売り切れで買えなかった。もう散々だ。そう思って、イベント終了時刻までまだ時間はあったけれども、落ち込んだ気持ちで会場を出た。

 家に帰り、お風呂に入ったあと部屋で落ち込んでいると、弟が私の部屋に来てこう言った。
「姉ちゃん、その様子だとまたフラれたみたいだな」
 にやっと笑う弟の顔を見てカチンとくる。
「あんたには関係ないでしょ!
もー、なんであんたはこういう時すぐ来るの!」
「傷心のお姉様を見るためですよ~」
 ほんとうに頭にくる! 私は不満の声を上げながら、今日のイベントに持って行ったくまのぬいぐるみバッグで弟のことを殴る。
「まって、まって姉ちゃん、くまさんはやめて中身が痛い」
「余計なこというあんたが悪いんでしょ!」
「そんな事言って、鞄に入れた化粧品とか大丈夫? ケース的な意味で」
 くまさんバッグで弟を数回殴り、弟の言葉にはっとする。そういえば、お気に入りのブランドのコンパクトを入れていたんだった。これが壊れたら私も困る。
 ふてくされてくまさんバッグを抱え直すと、弟がそそくさと部屋から出て行く。ほんとうにからかいに来ただけなんだ、あいつは。
 これだから子供は嫌なんだ。やっぱり恋人にするなら、落ち着いた大人の人が良い。そう、今日告白してフラれたあの人も、聞いてはいないけれども私よりだいぶ年上のようだった。なんとなくそれは、雰囲気でわかる。
 またあの人のことを思い出して少し悲しくなって、それを振り払うようにスマホを出してイベントの情報を確認した。どうやら来月もロリータさん向けのイベントがあって、お気に入りの作家さんもそれに向けて新作を作っているようだった。
「よし、また行こう」
 作家さんの新作は絶対に欲しい。またイベントに行ったら彼に会って気まずい思いをするかも知れないなんて言う考えは、作家さんの過去作品を見ているうちにどこかへと行ってしまった。

 そして翌日、学校の昼休みに友人に彼の話をした。
「ああ、その人ね。結局どうだったの?」
「……フラれた」
「ですよねー」
 なんで友人はそんな風に納得するんだろう。少しムッとしていると、友人がこう訊ねてきた。
「ところで、その人そんなにイケメンだったの? 年上だという情報しかない」
「ん? 写真あるから見せようか」
 私は何か意外なことを言っただろうか、驚いたような顔をする友人に、スマホを取りだして写真を見せる。ゴシック調のスーツを着て、背筋を伸ばして姿勢良く立っている彼の写真を見て、友人はもの凄く納得したような顔をする。
「わかる。めちゃくちゃ好みそうな人だというのが画面越しに伝わってくる」
「そこまで」
「だって、執事喫茶とか好きでしょ」
「おわかりいただけているようでなにより」
 でも、この人にはフラれちゃったんだよな。この写真も削除しようかな。そんな事を考えながらスマホに表示されている写真を見る。いや、消さないでおこう。イケメンの写真はいくらあっても困らない。
 そんな事をしていると、友人は自分の彼氏自慢をはじめた。放課後は駅まで一緒に帰ってるだとか、たまに一緒に買い物に行くだとか、ケンカをする事も有るけどそれでも好きとか、そんなことだ。
 私も、あの人とそんな仲になりたかったな……

 そして翌月、私はまたロリータ服に身を包んでイベントに参加した。家を出るのがちょっと遅れて、イベント開始してからしばらく経っての到着だ。そんなことだったので、お気に入りの作家さんの新作は既に売り切れていて、既に残念な気分になる。
 会場内を見渡す。会場は人は多いけれどもそんなに広くはないので、目のいい私ならその場から周りを見るだけで大体どの様になっているのかがわかる。
 目の端に、あの時の彼が目に入る。横にはすてきなドレスを着た女の人がいた。思わず目を逸らして他の作家さんのブースに目をやる。お気に入りの作家さんばかりに気を取られていたけれど、それ以外にもすてきなアクセサリーや帽子やバッグを作って持って来ている人が沢山いる。お目当てのものが買えなかったのは残念だけれど、すぐに帰るのも入場料がもったいないし、とりあえずひとまわりしてみようと、あの彼がいない方の通路を歩いて、じっくりと台の上を見る。
 どれも丁寧に作られている物ばかりだけれども、どうにもピンと来る物がない。こればっかりは一期一会といった趣もあるので、無理に買うのもよくないだろう。そう思っていたら、ぱっとあざやかな赤が目に入った。それは黒いワイヤーネットにかけられている、トップに十字架の付いているY字ネックレスだった。
「か……かわいい~」
 ついそう呟いてそのブースに近づくと、売り子とおぼしき人が顔を上げてにこりと微笑んだ。その人は黒いスーツに赤いネクタイ、それにシルクハットを身につけた、きっと私よりもだいぶ年上であろう男の人だった。
「どうぞ、お手に取ってご覧下さい」
 穏やかな声でそう言われて、私は目に入った赤いネックレスを手に取る。すると、売り子さんが鏡を差し出してくれたので、首元にネックレスを当てて似合うかどうか見る。
 物静かに対応してくれている彼に、おずおずと訊ねる。
「あの、これ、似合いますか?」
 すると彼は、一瞬真面目な顔をして私の顔と手、それとネックレスを見比べ、またふわりと笑ってこう答えた。
「そうですね、見た感じ肌の色とも合っていると思います。
実際に着けてみると、顔周りも明るくなってお似合いになると思います」
 丁寧に対応してくれる彼を見て、胸が高鳴ってくる。ああ、これはまたきっと、私はこの人を好きになったんだと直感する。すこし頬が熱くなっているけれど、それに気づかれないように、私はそのネックレスを購入する。それから、彼にこう言った。
「あの、すてきなお召し物ですけれど、写真を撮らせていただいて良いですか?」
 その言葉に、彼は少し驚いてからはにかんで答える。
「はい、構いませんよ。ただ、ネットとかにはあげないでいただきたいのですが……」
「あ、それはわかってます。
それじゃあ向こうの方で」
 ブースの中から出た彼と撮影スペースに行き、数枚写真を撮らせてもらう。この時にはもう、お目当ての作家さんの新作を買えなかったことも、気にならなくなっていた。

 イベント翌日、また学校の昼休みに友人とお弁当を食べながら、昨日出会った男の人の話をする。すごくすてきな人で、あの人に次会うときまでにどういう告白をしようか考えないと。と言うことを喋っていたら、友人が呆れたような顔をする。
「さすがに切り替え早すぎない?
前の人にフラれてまだ一ヶ月だよ?」
「出会いに早いもなにもないもん」
 そんなやりとりをしていると、友人が今度はどんな人なんだというので、スマホを取りだして写真を見せる。背筋を伸ばし、シルクハットに手をやっているあの人の写真だ。それを見て友人は微妙な顔をする。
「前から思ってたんだけど、他人の写真をこんなバシバシ撮れるイベントってなんなの……?」
「ロリータさんやゴシックさんは写真残してなんぼだから撮影スペースがあるんだよね」
「うわ私の知らない世界だ」
 そう呟いた友人が、写真をじっと見て私に訊ねる。
「ところで、この人また随分年上じゃない?」
「そうっぽいんだよね。やっぱり大人の男の人は落ち着いてて良いよね!」
「あんたは年下と同年代にどんな確執があるの」
 友人の言葉に、弟のことを思い出す。だって、同年代や年下なんて、子供っぽくて、乙女心もわからないし、それならそう言うのがわかってそうな大人の方が絶対良いと私は思うのだ。
 でも、それは口には出せない。同い年の彼氏を付き合ってる友人を不快にさせたくないからだ。
「私は年が近い方が良いけどな」
 友人がそう言う。なんでなのかと訊ねると、こう返ってきた。
「話も合うし、身の丈ってものがあるでしょ」
 そういうものだろうか。釈然とはしなかったけど、気がつけば違う話題に話は移っていた。

 学校が終わり放課後、今日発売の雑誌を買おうと本屋さんに行くと、目を引く人がいた。その人は着物に袴姿の男の人。なぜか女性向けファッション誌の棚の前に立って雑誌を見ている。
 なんで男の人があんな所に? そう思って本棚の影からじっと見てると、顔に見え覚えがあった。昨日のイベントで会った彼だ!
 それに気づいた私は思わず緊張してしまい、その場から動けなくなる。声を掛けたいけど、制服姿の私を見て私のことだとわかるだろうか。それがわからなかった。
 よく見ると、彼が見ている雑誌は私が買おうと思っているロリータさん向けのファッション誌だった。あの人も同じ雑誌を読んでいるんだと思うと妙に嬉しくなる。
 昨日のシルクハット姿もかっこよかったけど、着物に袴もすごくかっこいい。昨日の姿とのギャップに、私はまたやられてしまったのだった。

 本屋での出会いは、運命を感じた。きっとこれから彼と何度も会えるんだと、家に帰った私は上機嫌で、次のイベントに着ていく服を選ぶ。まだちょっと気が早い気はするけれど、絶対にかわいくなって彼の目の前にいって、それで告白して、んふふ……
 そんな事をしていると、部屋のドアを薄く開けて弟が私のことを見ていた。
「姉ちゃん……?」
 不審な物を見るような顔の弟に、ノックをしてから開けろと枕を投げつけた。

 そして数ヶ月後、久しぶりにロリータさん向けの即売会イベントにやって来た。今日はあの彼に告白するんだと、数日前から肌の調子を整えて、メイクもバッチリかわいく決めて、それでまたすこし出遅れたけど、主な目的は彼に会って告白すること。だからきっと大丈夫!
 会場に入り、中を見渡す。前回のイベントの時に、また次も参加すると彼は言っていたので、探せばいるはずだ。そうして奥まで見渡して、見つけた。お客さんの対応のために立ち上がった彼が目に入ったのだ。
 お客さんの対応が終わるのを待ってから、彼のいるブースへと行く。それから、にっこりと笑って声を掛けた。
「こんにちは。前回もお邪魔したんですけれど、覚えていますか?」
 すると彼は、私が首から下げている赤いネックレスを見て、ぱっと笑顔になる。
「はい、そちらのネックレスをお買いあげになったんですよね。
やっぱりよくお似合いです。よかった」
 それから少し雑談をして、私はこう切り出した。
「ところで、どうしてもあなたに伝えたいことがあって」
「はい、なんでしょう?」
 穏やかな表情をする彼をじっと見つめて、頬が熱くなるのを感じながら言う。
「この前会ったときからあなたのことが頭から離れなくて。それで、よかったらお付き合いしてくれませんか?」
 すると、彼は驚いた顔をして周囲を見渡す。それから少し下を向いて考える素振りを見せて、私にこう返した。
「すいません、あの、多分あなたと僕ではすごく年が離れてると思うし、そんなに親しくないのにお付き合いって言うのはその……ごめんなさい」
 私はさらに食い下がる。
「これから親しくなってって言うのは、だめですか?」
「えっと、その、ごめんなさい」
 やっぱりだめだった。昨日までは行けると思ってたのに。
 またいつかのように目頭が熱くなる。涙が零れる前に、彼にごめんなさいといってその場を離れて、ハンカチを当てる。アイメイクがハンカチに少し移った。
 もうイベントを楽しめるような気分ではないと思ったけど、このまま帰っても惨めなだけだ。だから、私はお気に入りの作家さんのブースに行って、おしゃべりをして買い物をする。今回はなんとか、新作を買うことができた。

 複雑な気持ちで電車に揺られ、家に帰り着く。家について、着替えもメイクを落とすこともしないでベッドに座り込んで落ち込んでいると、誰かが部屋のドアをノックした。
「姉ちゃん、帰ってきた?」
 弟だ。こんな時に、なんであいつはすぐに来るんだろう。返事をしないでいると、弟がドアを開けて入ってくる。それから、私の隣に座ってこう言った。
「姉ちゃん、またフラれたんだろ」
 からかうつもりなのかと思って弟の方を睨むと、いつもみたいにヘラヘラした表情じゃなかった。真面目な顔をして、私の肩を掴んで言葉を続ける。
「姉ちゃんはさ、いつもずっと年上の人ばっかり好きになって心配だったけど、でも姉ちゃんは男を見る目があるよ」
 どういうことだろう。私はその、年上の人に受け入れられたことなんてないのに。
 弟がさらに言う。
「まともな大人の男だったら、姉ちゃんみたいな子供と付き合おうなんて思わないもんなんだよ。子供と付き合いたがる男なんてダメなやつばっかりだ。
だから、姉ちゃんが好きになった人はみんな、ちゃんとした人なんだよ」
 ここまで言われて、私は驚いた。弟が、普段は私をからかってばかりの弟が、こんな事を考えてくれてたなんて思っても見なかったのだ。
「メイク、落としなよ」
 弟の言葉に黙って頷く。
 フラれたのはつらいけど、私が好きになった人達は間違ったことをしてなかったんだと思うとひどく安心した。
 今日は着飾って、メイクをしていっぱい背伸びをした。でも、暫くはその必要がないのだから、元通りの私の戻ろう。ベッドから立ち上がって、バニティボックスからメイク落としシートを取りだした。