「じゃあ今日は解散で。みんな帰る?」
「あ、俺、宿題やってから帰ります。ここでやるの結構捗(はかど)りそうなんで」

 桜さんの呼びかけに手を挙げ、残ることに。颯士さんが「葉介、気を付けて帰れよ!」と肩を叩き、女子2人に続いて部室を出ていった。

 窓の外では、夕陽が落ち始めようとしている。もう少ししたら、紫と黒の混じった夜が、上からオレンジを塗り潰していくのだろう。

「よし、今のうちに……」

 さっき目をつけておいた、棚に積まれたCDプレイヤーと効果音CDを取り、長テーブルに置いて「雑踏」と書かれたケースをパカッと開ける。
 プレイヤーを触ったことはほとんどないけど、母が使っているのを見ていたので何となく使い方は分かる。

「まずは街の音から……」

 一番最初、ヒロインの佳澄と相手の和志が待ち合わせた後に、デートのように街を歩く。そこにピッタリの音を探す。

 いきなり脚本の詳細まで解釈できるようにはなれない。でも音声なら、自分の身近にあるものだから、取っつきやすいように思えた。


 ガヤガヤガヤガヤ……


 ザッザッザッザッザッ……


 ザワザワザワザワ……


「うう、ん……ん……?」
 昨日と変わらず、どれも似たような音だ。ピッタリなものを選ぶのは難しい。やはり技量が必要なのだろうか。

 街を歩く、か。そもそも街って設定しか分からないのに……ん? あれ? そもそもどんな街なんだ?

「確か脚本には……」

 慌てて紙を捲る。そこにまだ、具体的な駅の描写はない。でも、ヒントがあった。

「山……山……っ!」

 なぞなぞの答えを閃いた幼稚園児みたいに小さく叫ぶ。後半で山に行くってことは、ここはそんなに都心じゃない。もっと簡単に行ける、郊外の街だ。

 郊外……引っ越す前の家の近くにあった宮ノ橋駅、結構大きかったよな? 映画館もあるから中高生がデートで使ってたし、あんなイメージか?
 あと、この前大きな書店に行った花張(はなはり)駅も雑貨屋とか多かったし、この舞台っぽい感じだな。


「よし、もう一度」

 トラックを始めの曲に合わせて、再生ボタンを押す。それぞれの駅の様子が記憶に残っているわけじゃないけど、思い浮かべながら聴けば、何か見えてくるかもしれない。


 ガヤガヤガヤガヤ……


 これは多分違う。少し賑やかすぎる。都心のイメージの音だ。


 ザッザッザッザッザッ……


 近い……けど、なんだろう、歩く音しかしない。佳澄と和志がいるのは、中高生がたくさんいる休日の街。もっと何か、何か違う音がするはず。


 ザワザワザワザワ……

 これだ! 今のところ一番これが近い。
 信号が青になったときのカッコウの擬音や、何かよく分からない機械音が遠くで響いている。

「……あ…………」

 音を聴きながら目を瞑ると、(おぼろ)げに映像が浮かんでくる。郊外の大きな駅、駅前のバスターミナルを抜けて大通りを歩く佳澄と和志。2人で笑いながら歩いている、その顔までぼんやり見えてきた。

 この音が正解なのか、確証はない、でも、颯士さんも月居も、そして桜さんも、きっとこんな風に想像を積み重ねていったはず。


 昨日、月居が言っていた。

『こういうものに答えはないわ。でも、脚本に潜れば、自分の中でちゃんと理由をつけられる』

 ああ、脚本に潜るって、こういうことか。自分の中で理屈を整理しながら噛み砕いて、時には体験と重ね合わせて、この「きっと見抜けない」の世界を本物に近づけていく。

 難しい作業だ。難しいけど、自分が新しい世界を創り出している気がして、ものすごく楽しい。


 愛理も、こんな作業をしたのかな。
 セミの音や街の音、たくさん聞いてこんがらがったこともあるのかな。

 悔しい、悔しい。今なら幾らでも話せるのに。


「……よし、次はセミ、やってみるかな」

 首を振って回想を振り落とし、脚本を捲る。黒字のテキストに彩られた世界にどぷんと入り、そこで流れる音に耳をすませる。