「勉強も、習いごとも、お稽古も、この夏は一度も休まないってお父さまに誓ったの。だからせめて一日だけ、私の好きなように過ごさせてほしいって……なのに、それでもダメだって言われるんだもの……もう嫌になるわ……」
さっきまでの激しい調子ではなく、淡々と不満を呟く椿ちゃんと手を繋ぎ、私は山道を歩いていた。
二人であの場所にいるうちにすっかり日が暮れてしまい、いったいどうやって家へ帰ったらいいのかと焦った私に、何を困ることがあるのかと椿ちゃんが手をさし伸べたのだ。
「日が暮れたら、月明かりで歩けばいいのよ……月がない夜なら、星明りという手もあるわ」
彼女の言うとおり、頭上から私たちの行く末を照らす月は、私が知っているそれよりもかなり明るいように感じた。
私よりも山歩きに慣れているという椿ちゃんと手を繋いでいれば、尚更安心だ。
「ええっ? 来る時は森を抜ける道から来たの!? あれは動物しか通らない獣道よ。人間が登る道じゃないわ……人間はこちら側から登るのよ」
椿ちゃんに教えてもらった帰り道は、確かに私が行きに通った道よりもなだらかで、周りが見えなくなるほど背の高い樹木もなかった。
空が隠れることもなく、おかげでずっと月明かりの中、歩き続けられる。
(仕方ない。だってうちの家が獣道沿いにあるんだもの……ハナちゃんのせいじゃない。うん)
上之社へ行くことを勧めてくれたハナちゃんに罪はないと、心の中でくり返しながら、私は歩き続けた。
いったんこの道を麓まで下りて、またいつもの道を登るのは時間がかかるだろうが、真っ暗な森の中を進むよりかえって早いはずだと思うことにする。
幸か不幸か父は、仕事小屋を出て住居部分へ帰ってくることがほぼないので、私の帰りが多少遅くなっても、気づきはしないだろう。
「高校を卒業したら東京へ行きたいって野望は、まあ今はもう言わないでおくから……せめてこの夏に、一日隣街へ遊びに行きたいって希望くらい、叶えてくれたっていいのに……」
椿ちゃんはぶつぶつと呟きながら、私と繋いだ手を大きく振る。
「まあ、どうせ私には……一緒に行く友だちもいないけどね……」
照れたように笑いかけられた瞬間、私は椿ちゃんと繋いだ手を高々と掲げた。
私のほうが背が高いので、彼女は腕を吊り上げられて、つま先立ちのような格好になる。
「え? 何?」
焦る椿ちゃんに、私は笑いかけた。
「じゃあ私と一緒に行こう!」
「……え?」
それは彼女にとって、とても思いがけない提案だったらしく、かなり驚いた顔を向けられる。
その表情が面白くて、私は頬が綻ぶ。
「今日出会ったばかりだけど、私も秋からは聖鐘女学院に通うし、一足先に『友だち』ってことでどうかな? それで……『友だち』の私と一緒に、隣街へ遊びに行く……それが椿ちゃんのやりたいことなんだよね?」
私の言葉を聞きながら、彼女の表情はみるみるうちに笑顔へと変わった。
「行く! 行く行く!」
「お家の人には黙って行くことになるけど、買いものしたりお茶したりするぐらいだよね? ちょっと行ってすぐに帰ってくれば大丈夫じゃないかな」
この町へ来る時に電車で通り過ぎた、いかにも地方の少し栄えた街というふうの隣県を思い返しながら、私は提案する。
椿ちゃんは目をきらきらさせて、私の手を両手で握りしめた。
「ありがとう和奏! 明日10時に、駅で待ってるね!」
「うん、10時ね、わかった」
麓に着いて道がわかれてからも、椿ちゃんは何度も私をふり返り、嬉しそうに手を振りながら帰っていった。
私も嬉しかった。
新しい町で新しい友だちができたこと、この夏と、そのあとに控えている秋からの新学期を、どうやら一人きりで過ごさずに済みそうなことには、上之社へ行ったらと勧めてくれたハナちゃんと、そこで出会った椿ちゃんに、感謝してもしきれない思いだった。
さっきまでの激しい調子ではなく、淡々と不満を呟く椿ちゃんと手を繋ぎ、私は山道を歩いていた。
二人であの場所にいるうちにすっかり日が暮れてしまい、いったいどうやって家へ帰ったらいいのかと焦った私に、何を困ることがあるのかと椿ちゃんが手をさし伸べたのだ。
「日が暮れたら、月明かりで歩けばいいのよ……月がない夜なら、星明りという手もあるわ」
彼女の言うとおり、頭上から私たちの行く末を照らす月は、私が知っているそれよりもかなり明るいように感じた。
私よりも山歩きに慣れているという椿ちゃんと手を繋いでいれば、尚更安心だ。
「ええっ? 来る時は森を抜ける道から来たの!? あれは動物しか通らない獣道よ。人間が登る道じゃないわ……人間はこちら側から登るのよ」
椿ちゃんに教えてもらった帰り道は、確かに私が行きに通った道よりもなだらかで、周りが見えなくなるほど背の高い樹木もなかった。
空が隠れることもなく、おかげでずっと月明かりの中、歩き続けられる。
(仕方ない。だってうちの家が獣道沿いにあるんだもの……ハナちゃんのせいじゃない。うん)
上之社へ行くことを勧めてくれたハナちゃんに罪はないと、心の中でくり返しながら、私は歩き続けた。
いったんこの道を麓まで下りて、またいつもの道を登るのは時間がかかるだろうが、真っ暗な森の中を進むよりかえって早いはずだと思うことにする。
幸か不幸か父は、仕事小屋を出て住居部分へ帰ってくることがほぼないので、私の帰りが多少遅くなっても、気づきはしないだろう。
「高校を卒業したら東京へ行きたいって野望は、まあ今はもう言わないでおくから……せめてこの夏に、一日隣街へ遊びに行きたいって希望くらい、叶えてくれたっていいのに……」
椿ちゃんはぶつぶつと呟きながら、私と繋いだ手を大きく振る。
「まあ、どうせ私には……一緒に行く友だちもいないけどね……」
照れたように笑いかけられた瞬間、私は椿ちゃんと繋いだ手を高々と掲げた。
私のほうが背が高いので、彼女は腕を吊り上げられて、つま先立ちのような格好になる。
「え? 何?」
焦る椿ちゃんに、私は笑いかけた。
「じゃあ私と一緒に行こう!」
「……え?」
それは彼女にとって、とても思いがけない提案だったらしく、かなり驚いた顔を向けられる。
その表情が面白くて、私は頬が綻ぶ。
「今日出会ったばかりだけど、私も秋からは聖鐘女学院に通うし、一足先に『友だち』ってことでどうかな? それで……『友だち』の私と一緒に、隣街へ遊びに行く……それが椿ちゃんのやりたいことなんだよね?」
私の言葉を聞きながら、彼女の表情はみるみるうちに笑顔へと変わった。
「行く! 行く行く!」
「お家の人には黙って行くことになるけど、買いものしたりお茶したりするぐらいだよね? ちょっと行ってすぐに帰ってくれば大丈夫じゃないかな」
この町へ来る時に電車で通り過ぎた、いかにも地方の少し栄えた街というふうの隣県を思い返しながら、私は提案する。
椿ちゃんは目をきらきらさせて、私の手を両手で握りしめた。
「ありがとう和奏! 明日10時に、駅で待ってるね!」
「うん、10時ね、わかった」
麓に着いて道がわかれてからも、椿ちゃんは何度も私をふり返り、嬉しそうに手を振りながら帰っていった。
私も嬉しかった。
新しい町で新しい友だちができたこと、この夏と、そのあとに控えている秋からの新学期を、どうやら一人きりで過ごさずに済みそうなことには、上之社へ行ったらと勧めてくれたハナちゃんと、そこで出会った椿ちゃんに、感謝してもしきれない思いだった。