(おかげで夕方までお腹が減りそうにはないけど……かえって気持ち悪い……)
 私は右手でお腹をさすりながら、左手では花束を抱えている。
 椿ちゃんと誠さんのお墓に供えるためのお花だった。

 父は右手に、水桶を下げている。
 お墓を掃除して水で清め、新しい花を飾ってから、線香を備えるのがひととおりの墓参りの作法であると、私も何かのテレビ番組で見たことはあったが、実際におこなうのはこれが初めてだ。

 父の両親である椿ちゃんと誠さんのお墓は、今日お参りするのが初めてだし、母の両親はまだ健在で、大都会の真ん中で元気に暮らしている。

 どきどきしながら墓地を進んでいると、正面から私と同じくらいの年齢の女の子が歩いてきた。
「え……」
 私が思わず歩みを止めてしまったのは、それがどこからどう見ても椿ちゃんにしか見えかったからだ。
 背中まである真っ黒なストレートの髪も、白い頬も、大きな瞳も、彼女は椿ちゃんそのものにしか見えなかった。
(椿ちゃん……?)

 穴の開くほど見つめ続ける私の視線に気がついたのか、その子もふとこちらへ目を向ける。
(目があっても椿ちゃんにしか見えない!)

 心の中で叫ぶ私を余所に、隣で父が呑気な声を発した。
「あれ? 時間をずらしたつもりだったのに……かちあったか?」

 私のことはただじっと見ていた女の子が父に視線を移すと表情を厳しくする。
「和奏、ほら。お前のお友だちだろ? 『成宮』の(みやび)……」
「雅……ちゃん……?」
 私はその名前を噛みしめながら、改めて彼女へ視線を向けた。

 私とは違いちゃんとした黒の喪服のワンピースを着た彼女は、まるで日本人形のように可愛らしい。
 かなりの小柄だった椿ちゃんより、少しだけ背は高いようだが、その他は何も変わらない。
 まるで型で抜いたかのように、顏も体型も椿ちゃんにそっくりだ。

「話して来ていいぞ」
 父が肘でつつくので、私は花束を父に押しつけ、彼女へ向かって歩き始めた。

(えーっと……雅ちゃん……雅ちゃん……)
 まちがえて『椿ちゃん』と呼びかけてしまわないように、何度も声に出さず練習した。

 もともと二学期が始まったら、私は同じ聖鐘女学院の二年生だという彼女を即座に探し出し、とあるお願いをするつもりだった。
 それが予定より半月ほど早まったと思えば、かえって好都合だ。

(授業の進み具合を学校が始まる前に教えてもらえるかもしれないし、椿ちゃんみたいに遊びにも誘ってもらえるかもしれないし)
 期待する気持ちが大きすぎて、私はすごい勢いで彼女の前へ迫ってしまったかもしれない。

「な、なに……?」
 声まで椿ちゃんにそっくりな雅ちゃんは、私の迫力に怯んで後退りした。

「雅ちゃん! ちょっと来て!」
 私は彼女の腕を掴み、彼女が今歩いてきたほうへ少し戻る。
 父から距離を置かなければと思ったのだったが、彼女は抵抗することもなく私についてきた。

 突き当りのお墓の前で、私は彼女の腕を放し、父からは見えないように背を向けて、顏の前で両手をあわせる。
「成宮雅ちゃん! どうか私とお友だちになってください!」
「え……?」

 父との『成宮のお嬢さん』の認識の差を埋めるため、私は現在の『成宮のお嬢さん』である雅ちゃんに会ったら、真っ先にこれを頼むと以前から決めていた。

 そんな私の決意など知るはずもない雅ちゃんは、とても怪訝な目をする。
「あなたは……誰?」
 どうやら外見は椿ちゃんにそっくりでも、中身のほうはかなり違っているようだ。
 どちらかといえば行動派だった椿ちゃんとは逆に、雅ちゃんは慎重派のようだと私は脳裏に刻んだ。

 なるべく彼女の警戒を解くように、懸命に言葉を連ねる。
「私は和奏! 青井和奏! 二学期から聖鐘女学院の二年に転入するんだけど……どうしてもあなたと友だちになりたいの!」
「私と……友だちに……?」

 ようやく私の訴えを理解してくれた雅ちゃんは、表情を緩め、それから花が色づくようにぱあっと、真っ赤に頬を染めた。
(うわぁ……)

 女同士の私から見ても、その照れ方は尋常ではなく可愛らしく、つられて私まで頬が熱くなる。
(表情がくるくる変わって可愛かった椿ちゃんとはまったく違うけど……これはこれで、雅ちゃんもとっても可愛い!)

 恥ずかしそうに頬を片手で押さえ、俯いた雅ちゃんは、私にそっと反対の手をさし出す。
「私でよければ……」

 その手をすかさず両手で握り、私は上下に大きくぶんぶんと振った。
「ありがとう! 本当にありがとう!」

 これで父に嘘を吐いたり、ごまかしたりしなくて済むという安堵の思いより、大人しくて控えめそうだがとっても可愛い雅ちゃんと友だちになると約束した喜びのほうが、私の中では完全に勝っていた。

『よかったね、和奏ちゃん』
『仲良くね、雅』

 風に乗ってどこからか、椿ちゃんと誠さんの声が聞こえた気がした。
 よく見れば、すぐ目の前にあるのは、二人が眠る『成宮』家の立派な墓標。

「おおーい、もう俺も行ってもいいかー?」
 大きな声で呼びかけてくる父も到着したら、これまでお参りできなかったぶんも綺麗に掃除して、たくさん椿ちゃんと誠さんと話をしようと私は心に決めていた。

(これからもきっと、話したいことはどんどんたまるだろうから……たびたび話しに来るね!)
 隣に立つ雅ちゃんと顔を見あわせて笑う私に、椿ちゃんが声援を送ってくれたような気がした。

『がんばれ和奏! 私はいつだって見守っているよ!』

 気温はとても高いのに、頬を撫でる風は爽やかな――八月の昼前の空耳だった。