山道を下った私が目にしたのは、多くの人でごった返す髪振神社の境内だった。
 初めて見た時は感動した光景だったが、二度目ともなると単純にそうはいかない。
 参道も、そこへ向かう小道も、色とりどりの浴衣に身を包んだ老若男女で埋め尽くされている風景の中に、すぐさま私自身も飛びこんだ。

 二の鳥居の前ではすでに誠さんが、椿ちゃんと私を待っていた。
 前回は私がそうしていたように、背中を鳥居に預けて立つ誠さんに、私は息を切らしながら駆け寄る。
「お、お待たせしました……!」

 まるで前回の百合さんのようだと、自分でも思ったのだったが、誠さんの反応もほぼ同じだった。
「和奏ちゃん? いったいどこから走ってきたの……大丈夫? ちょっとお水もらってくるね」

 百合さんにそうしたように、ひとまず私の喉を潤すための水を探しに行ってくれようとするので、私は彼の浴衣の袖を引いて制止する。
「いえ……大丈夫ですから!」

 弾みで彼の浴衣の袖口から、何か箱のようなものが落ちた。
「あ!」
 
 誠さんは慌てて拾い、必死に懐に隠そうとするが、残念ながら私はそれが何なのかをすでによく知っている。
(『うてな』に着いて浴衣姿になった途端、どこかへ消えちゃったけど……よかった。ちゃんと誠さんのところにあった!)

 私は大喜びで、その箱がしまわれた誠さんの懐を凝視した。
「……見た?」
 恐る恐る訊ねてくる誠さんに、「見ていません」と嘘を吐いてあげることは、やはり今度もできない。
 なるべく早く、そのプレゼントを椿ちゃんに渡してあげてほしいというのが、私の本音だ。

「見ました! すみません!」
 勢いよく謝って、誠さんに「あー! なんで和奏ちゃんには、ことごとく見つかっちゃうんだ! 椿本人には全然伝わらないのに!」と嘆かせる時間も与えなかった。

「見ちゃったんでもう、早く椿ちゃんに持っていってあげてください!」
「え?」

 誠さんが驚くのも当然だ。
 私の言っていることは前後の脈絡もなく、まったくもって支離滅裂だ。
 自分でもそう思う。

 誠さんも同じことを思ったらしく、笑いながら私に問いかける。
「椿はここに来ないの?」

「あー……」
 やはりその説明を省いてことを進めるのは無理だと、私は覚悟を決めた。

「椿ちゃんは来ません。お父さんから祭りへ行く許可が出なかったそうです。一日かけてずっと頼んだけど……もう浴衣だって着てたけど……部屋から出るなっていつものように言い渡されて……」

 本当は百合さんが私たち二人に伝えるはずだった内容を、私が誠さんに語っていいのかとも思ったが、すでに一回椿ちゃんと会い、もう知ってしまっているのだから仕方がない。

(あとで一生懸命走ってくる百合さんには悪いけど……私が先にちゃんと伝えておきましたからね!)
 私は心の中で百合さんに手をあわせた。

 その殊勝な顔を、誠さんがどう解釈したのかはわからないが、優しい声をかけられる。
「やっぱり無理だったか……こうなるかもしれないとは思ってたから、和奏ちゃんがそんな顔しないでよ」

 それから前回と同じように、椿ちゃんへの想いをぽつぽつと語ってくれた。

「僕は『成宮』の遠縁で、そのせいもあって小さい頃から、あの家には時々出入りしてたんだ……椿の遊び相手として呼んでもらえていたのは、かろうじて『成宮』の血筋だってことと、椿と一番年が近かったから以外の理由はないだろうな……」

「そうなんですか?」
 前回と同じ言葉を返しながらも、私は納得しない思いが大きい。

「ああ。何よりやっぱり『成宮』は特別だからね……その跡取りで一人娘の椿に、近づける者は厳選されるし、僕は運がよかったんだよ……」
 誠さんの話を聞きながら我慢できず、つい本音が口から出てしまった。

「そんなことないと思います!」
「え……?」
 驚いた顔の誠さんに、私は言葉をぶつける。
 
 中には前回の彼の話から仕入れた情報も含まれていたが、細かなことにはもう目をつむることにした。

「誠さんはなんとか椿ちゃんとつりあう人間になろうと、猛勉強して都会の大学へ行ったんですよね? 来年の春には法律関係の仕事も始めるし、資格試験も受けるんですよね? だったら単なる運なんかじゃなく、これからの人生で椿ちゃんの隣にいるための努力を、精一杯やってる人です!」

 私のすごい剣幕に、一瞬呆気に取られていた誠さんだったが、すぐに目を細めて笑い始めた。

「ははは、ありがとう……そんなふうに言ってもらえると嬉しいよ。誰に聞いたの? 椿?」
「う……はい……」

 椿ちゃんのせいにしてしまってよかったのかという思いはあったが、他に答えようがなく、私は曖昧にごまかした。

「……だから、自分は今すぐではなくても近いうちに必ず、『成宮』のお嬢さまに見合う人間になるので! と宣言して誓いを立てれば……椿ちゃんのお父さんだって他に誰かを探すより、誠さんなら、きっと……」

 話すうちに椿ちゃんのお父さんの迫力を思い出してしまい、私の言葉にはだんだん自信がなくなってきたのだが、逆に誠さんの表情は明るくなり始めた。

「許して……くださるかな?」
 期待に満ちた目で見つめられると、それを裏切ることができず、私は頷くしかない。

「はい……きっと……」
 最終的には申し訳なさに俯いてしまった私の頭を、誠さんは軽く撫でた。

「ありがとう、和奏ちゃん。勇気が出たよ」
 そういうふうに扱われても、変に緊張したり驚いたりせずしっくりとくるのは、彼が自分の祖父なのだと知ってしまった今となっては、もう何の疑問もない。

「じゃあその勇気を持って、懐の中のプレゼントを渡しに、今すぐ椿ちゃんのところへ行ってください」
 軽く背中を押し出した私に、誠さんは驚いた顔を向けた。

「椿のところへ? でも……」
 そのあとに続く言葉は、今『成宮』の家へ行っても会わせてもらえないだろうという心配だとわかり、私はすぐに神社の背後にそびえる山を指した。

「椿ちゃんなら今、『秘密の場所』に居ます。誠さんなら行き方わかりますよね?」
「ああ……」

 頷いた彼の背を、私は両手で押した。
「早く行かないと、帰りが遅くなって椿ちゃんが怒られちゃいます。だから全力で走っていってください。プレゼントを渡したら、椿ちゃんをちゃんとお屋敷まで送っていってあげてくださいね」

 その間には、祭りのトリを飾る花火も上がるだろうと思った。
 お屋敷へこっそりと戻るために急ぎながら、椿ちゃんがあの田んぼ道で、誠さんと二人で花火を見上げることが出来たら、それはどんなにロマンチックだろう――。
 その光景を想像して、私は自分のことのように胸をときめかせる。

「わかった。じゃあ行ってくるね。和奏ちゃん」
 鷹揚に手を振っている誠さんを、私は懸命に言葉で急かす。
「いいから急いで! 急いで行ってください!」
「わかった!」

 笑顔で答えると、本当に全力で山道を上るほうへ走っていった誠さんを見送り、私はほっと胸を撫で下ろした。
(よかった……この先はもう私には確かめることができないけど……きっとうまくいくはず……あの二人ならうまくいってくれるはず……)

 私の目から見ても、可愛らしいとしか言いようのない感情を向けあっている二人が、自分の祖父母の若い頃の姿だという事実を、本当に面白く思いながら、私はようやく一息ついた。

 と、その時――。
 私が立っている場所へ向かい、懸命に駆けてくる人影が見える。
(あ……)

 人波を必死にかきわけ、足をもつれさせながら走ってくる、小豆色の着物に白いエプロンを付け、髪を首のうしろでお団子にまとめた若い女性のシルエット――。
(百合さん! ううん……ハナちゃん!)

 息を切らせて駆けつけるはずの彼女のため、何か飲みものを確保しておかなければと、私は周囲を見回した。