「和奏ちゃん……一人……?」
 浴衣に身を包んだ誠さんが私に声をかけてきたのは、彼とその場所で会うことを約束していた、十九時きっかりだった。

 一時間前に椿ちゃんとは合流し、彼が来る前にあの長い髪を編んでアップにしてあげる約束をしていた。
 仕上げに誠さんが椿ちゃんにプレゼントした髪飾りを飾り、いつも以上に綺麗になった椿ちゃんのもとへ誠さんが到着したら、私は二人からそっと離れ、一人で燈籠を見てまわるつもりだった。

 その予定の何もかもがうまくいかず、泣きたい気持ちの私に、誠さんの優しい声が拍車をかける。
「やっぱり無理だったか……こうなるかもしれないとは思ってたから、和奏ちゃんがそんな顔しないでよ」

「…………」
 何も言えず、俯いた私の隣に立ち、誠さんは黙ったまま、ただ傍にいてくれた。

 ずらりと並ぶ燈籠の列に左右から挟まれた参道を、多くの人が拝殿へ向かって進み、同じように多くの人が、お参りを済ませて帰ってくる。
 その列から取り残されたように、鳥居の前にずっと立っていることが、私は次第に申し訳なくなった。

「「あの……!」」
 決意して発した声が、誠さんとぴったり重なってしまい、私たちは顔を見あわせて笑った。
 それで少し、気持ちが明るくなった。

「和奏ちゃんはどうする? まだここで椿を待つ? 僕は待つつもりだけど、和奏ちゃんはお参りしたり、燈籠を見に行ったりしても……」
 私が言おうと思っていたのとほぼ同じことを、誠さんも考えていたと知り、いっそうの勇気をもらう。

「私は……ちょっと椿ちゃんの家へ行って、様子を見てこようかと思います」
「え? 椿の家に? それはちょっと……」
 私の申し出はよほど突拍子もなかったらしく、驚いた誠さんは、浴衣の袖口から何か箱のようなものを落とした。

「あ!」
 慌てて拾い、懐に隠すが、私はしっかりと見てしまった。
 赤いリボンがかけられたその箱に、『椿へ』と書かれたメッセージカードが添えられていたことを――。

「……見た?」
 恐る恐る訊ねてくる誠さんに「見ていません」と嘘を吐いてあげたほうがこの場合親切なことはよくわかっているが、すでに笑いがこみ上げてしまっているので、もうごまかしようがない。

「見ました……すみません……」
 せめて吹き出さないようにと、懸命にこらえて答えると、誠さんは頭を抱えてその場にしゃがみこんだ。

「あー! なんで和奏ちゃんには、ことごとく見つかっちゃうんだ! 椿本人には全然伝わらないのに!」
 こと椿ちゃんのこととなると、普段の落ち着いた雰囲気が微塵もなくなってしまい、慌てふためく誠さんが面白すぎて、やっぱり私は笑わずにはいられない。

「大丈夫ですよ。私の口から言ったりしませんから」
「そこは信用してるけど……情けないな……あー、自分が情けない……」
 誠さんは照れくさそうに立ち上がり、それからぽつぽつと椿ちゃんへの想いを語ってくれた。



「僕は『成宮』の遠縁で、そのせいもあって小さな頃から、あの家には時々出入りしてたんだ……椿の遊び相手として呼んでもらえていたのは、かろうじて『成宮』の血筋だってことと、椿と一番年が近かったから以外の理由はないだろうけどね……」
「そうなんですか?」
「ああ。何よりやっぱり『成宮』は特別だから……その跡取りで一人娘の椿に、近づける者は厳選されるし、僕は運がよかっただけだよ……」
「そう……なんだ……」

 ずいぶんと時代錯誤な話だと思いながらも、それを非難したり、異を唱えたりすることは私にもできなかった。
 あのお屋敷と、椿ちゃんのお父さんを目の当たりにしたせいかもしれない。

「なんとか椿とつりあう人間になれないかと、猛勉強して都会の大学へ行ったけど、『成宮』のお嬢さまに何かを告げられる人間になるには、やっぱりまだまだ時間が足りないな……」
 誠さんは懐からさっきの小箱を出し、寂しそうな目で見つめる。

「来年の春には法律関係の仕事も始めるし、資格試験も受けるけど、なんとか認めてもらえる人間になるには、もうしばらくかかる……その間に椿は、『成宮』を継ぐのにふさわしい男と見合いして、結婚してるだろう……」
「そんな! だって椿ちゃんは……!」

 私は反論の声を上げたが、誠さんにきっぱりと首を振られた。
「いいんだ。それは僕だって、椿だって……子どもの頃からよくわかっていることなんだから」

 あの立派な『成宮』に生まれたから、椿ちゃんは本人の気持ちに関係なく、将来のことが決まってしまうというのだろうか――私には、やっぱりそれが納得いかず、大きな声を上げる。
「でも!」

 その時、私たちが立っている場所へ向かい、懸命に駆けてくる人影が見えた。
(あれ……?)

 人波を必死にかきわけ、足をもつれさせながら走ってくる。
 若い女性のように見えたので、一瞬椿ちゃんかもと思ったが、そうではない。
 小豆色の着物に白いエプロンを付け、髪を首のうしろでお団子にまとめたあの人は――。
(百合さん?)

 私が首を傾げた時、ちょうど私たちの姿が見えたらしく、その人が大きく伸び上がって手を振った。
「誠さま! 和奏お嬢さま!」

(いや、私は椿ちゃんと友だちなだけで、『お嬢さま』なんて呼ばれるような人間じゃ……)
 初対面の時に百合さんが言っていたのと同じような文言が、私の頭には浮かんでいた。