父の仕事小屋は、庭を左手に見ながら敷地を一番奥まで進んだ突き当りにある。
焼き物を焼く窯と、焼き上がったものに絵を描くための部屋にわかれており、靴のまま行き来することができた。
屋根はあっても壁がなく、外から丸見えの窯のほうには姿がなかったので、部屋のほうにいるのだろうと思う。
父は作業中にはラジオを流していることが多いので、聞こえるだろうかと訝りながらも、入り口で呼びかけてみた。
「お父さーん?」
返事がなかったので、中を覗く。
壁際にも部屋の中央にも、空いているスペースがないほどに置かれたいくつものテーブルの上には、様々な工程の焼きものが、ところ狭しと並べられている。
焼き上がったばかりのもの、地塗りが施されたもの、絵付けが終わったもの、上塗りされてあとは乾燥するのを待つだけのもの――。
それぞれがテーブルを分けられているわけではなく、雑多に混在しているのが父らしい。
父本人は陶器の中に埋もれるようにして、部屋の左奥に置かれた椅子に座っていた。
思ったとおりラジオがかなりの音量で流れているので、私の声は父に届かなかったらしい。
忙しく作業しているふうではないのを確かめて、私はもう一度呼びかけた。
「お父さん」
父が弾かれたようにこちらをふり返った。
私の姿を見てすぐに椅子を立ち、歩み寄ってくる。
「どうした? 和奏」
その様子には、昨夜の緊迫した表情の片鱗も残っていない。
鷹揚で朴訥といった雰囲気の、いつもどおりの父だ。
私はほっと胸を撫で下ろした。
「ハナちゃんが、西瓜を切ってきてくれたから……」
父は私が手にしたお盆を見て、頬を緩める。
私と同じように少し緊張していたのではないかと思った。
(お父さんも昨日のこと、気にしていたのかもしれない……)
そう思うと、これまでより少し歩み寄ってみようかという気持ちが湧いた。
「私も一緒にここで食べていい?」
「ああ」
父は頷いて、周囲を見回す。
どのテーブルも焼きものでいっぱいだと気づいたようで、困ったようにさっきまで自分が座っていた椅子のあるほうを指した。
「あっちでいいか? ちらかっててすまんな」
「ううん、仕事の部屋だもん。当たり前だよ」
父の仕事小屋を入り口から覗いてみたことはこれまでにもあるが、中まで入るのは初めてで、私はどきどきしながら足を踏み入れた。
他のテーブルと違って焼きものが置かれていることはなく、本や写真や紙や色鉛筆が、重なりながら広げられている奥のテーブルは、どうやら父が焼きものの柄を考える時に使っているスペースのようだった。
描きかけの草花の絵の束を、父は雑に掴んで本の山の上に乗せる。
「ここでいいか?」
「うん」
私は西瓜の乗ったお盆をそのテーブルの上に置いた。
父がそれまで使っていた椅子を勧められるので、私がそこへ座ると、父は木枠の箱をどこからか持ってきて、縦に置いて座る。
向きあう格好で一緒に西瓜を食べながら、私は仕事小屋の中をもの珍しく見回していた。
(どうしよう……)
昨夜のことについて話したいのだが、なんと切り出していいのかわからない。
父も同じらしく、ちらちらと時々私の様子をうかがいながら、黙って西瓜を食べている。
(もう食べ終わっちゃうよ……)
困った思いで何気なく視線を横向けた時、机として使われているテーブルの上に、思いもよらないものを発見した。
(え? あれって……)
テーブルの正面には大きめのコルクボードが立てられ、焼きものの絵柄の参考にするらしい植物の写真が何枚も貼られているのだが、その中に私の写真があった。
(私……?)
真新しい制服を着て、桜の木の下で笑ってポーズを決めている写真。
おそらく中学校の入学式で、母が撮ってくれた写真だ。
(そういえばお父さんへの手紙に入れたんだった……)
ぼんやりとそんなことを考えながら、西瓜を食べ続けている私の視線が、どこへ向いているのかに気がついたらしく、父がはっと立ち上がった。
「和奏! それは……!」
なぜだか大慌てしながら、私とテーブルの間に割って入る。
まるで私に、あの写真を見せまいとするかのように――。
あまり大きくはない父の体を、避けて私がテーブルを見ようとすると、父もそちらへ体を動かす。
逆に動くと、父も逆に――。
何度かそれをくり返した末に、私はこらえきれなくなって笑い出した。
「あはは……大丈夫だよ、お父さん。私、嫌だなんて思ってないから……」
父は驚いたように私の顔を見て、それからきまり悪そうに指で頬を掻いた。
「そうか? だったらいいんだが……高校生にもなったら、『キモイ』とか言われるんじゃないかと思って……」
真剣な顔でそんなことを言いながら箱に座り直すので、私の笑いはますます止まらなくなる。
「そんなこと言わないよ! あはは……お父さん、そんなこと気にしてたの?」
「ああ……」
父は手にしていた西瓜をお盆に置き、首からかけていたタオルで手を拭いてから、写真が貼られたコルクボードを裏返した。
そこには小学生くらいからつい最近までの私の写真が、満面に貼られていた。
「――――!」
私が思わず言葉を失ったのは、母と住んでいたマンションのリビングに飾られていたコルクボードのことを思い出したからだ。
父から送られてくるこの家や髪振町の写真を、母は丁寧に並べて貼っていた。
決してコルクボード一面の自分の写真にたじろいだわけではなかったのだが、父は探るように私の顔を見る。
「やっぱり……『ドン引き』とか思ったか?」
山の中の一軒家で焼きものを焼くという、いかにも世俗とはかけ離れた生活をしているのに、いったいどこで父はそんな若者言葉を覚えるのだろう。
真面目な印象と真逆すぎな言葉が父の口から出てくることに、私はこらえきらずにやっぱり吹き出した。
「そんなこと思わないよー、あはは」
「そうか?」
私の前に置かれた箱に座り直して、父はもう一度西瓜へ手を伸ばしたが、その表情は嬉しそうだった。
焼き物を焼く窯と、焼き上がったものに絵を描くための部屋にわかれており、靴のまま行き来することができた。
屋根はあっても壁がなく、外から丸見えの窯のほうには姿がなかったので、部屋のほうにいるのだろうと思う。
父は作業中にはラジオを流していることが多いので、聞こえるだろうかと訝りながらも、入り口で呼びかけてみた。
「お父さーん?」
返事がなかったので、中を覗く。
壁際にも部屋の中央にも、空いているスペースがないほどに置かれたいくつものテーブルの上には、様々な工程の焼きものが、ところ狭しと並べられている。
焼き上がったばかりのもの、地塗りが施されたもの、絵付けが終わったもの、上塗りされてあとは乾燥するのを待つだけのもの――。
それぞれがテーブルを分けられているわけではなく、雑多に混在しているのが父らしい。
父本人は陶器の中に埋もれるようにして、部屋の左奥に置かれた椅子に座っていた。
思ったとおりラジオがかなりの音量で流れているので、私の声は父に届かなかったらしい。
忙しく作業しているふうではないのを確かめて、私はもう一度呼びかけた。
「お父さん」
父が弾かれたようにこちらをふり返った。
私の姿を見てすぐに椅子を立ち、歩み寄ってくる。
「どうした? 和奏」
その様子には、昨夜の緊迫した表情の片鱗も残っていない。
鷹揚で朴訥といった雰囲気の、いつもどおりの父だ。
私はほっと胸を撫で下ろした。
「ハナちゃんが、西瓜を切ってきてくれたから……」
父は私が手にしたお盆を見て、頬を緩める。
私と同じように少し緊張していたのではないかと思った。
(お父さんも昨日のこと、気にしていたのかもしれない……)
そう思うと、これまでより少し歩み寄ってみようかという気持ちが湧いた。
「私も一緒にここで食べていい?」
「ああ」
父は頷いて、周囲を見回す。
どのテーブルも焼きものでいっぱいだと気づいたようで、困ったようにさっきまで自分が座っていた椅子のあるほうを指した。
「あっちでいいか? ちらかっててすまんな」
「ううん、仕事の部屋だもん。当たり前だよ」
父の仕事小屋を入り口から覗いてみたことはこれまでにもあるが、中まで入るのは初めてで、私はどきどきしながら足を踏み入れた。
他のテーブルと違って焼きものが置かれていることはなく、本や写真や紙や色鉛筆が、重なりながら広げられている奥のテーブルは、どうやら父が焼きものの柄を考える時に使っているスペースのようだった。
描きかけの草花の絵の束を、父は雑に掴んで本の山の上に乗せる。
「ここでいいか?」
「うん」
私は西瓜の乗ったお盆をそのテーブルの上に置いた。
父がそれまで使っていた椅子を勧められるので、私がそこへ座ると、父は木枠の箱をどこからか持ってきて、縦に置いて座る。
向きあう格好で一緒に西瓜を食べながら、私は仕事小屋の中をもの珍しく見回していた。
(どうしよう……)
昨夜のことについて話したいのだが、なんと切り出していいのかわからない。
父も同じらしく、ちらちらと時々私の様子をうかがいながら、黙って西瓜を食べている。
(もう食べ終わっちゃうよ……)
困った思いで何気なく視線を横向けた時、机として使われているテーブルの上に、思いもよらないものを発見した。
(え? あれって……)
テーブルの正面には大きめのコルクボードが立てられ、焼きものの絵柄の参考にするらしい植物の写真が何枚も貼られているのだが、その中に私の写真があった。
(私……?)
真新しい制服を着て、桜の木の下で笑ってポーズを決めている写真。
おそらく中学校の入学式で、母が撮ってくれた写真だ。
(そういえばお父さんへの手紙に入れたんだった……)
ぼんやりとそんなことを考えながら、西瓜を食べ続けている私の視線が、どこへ向いているのかに気がついたらしく、父がはっと立ち上がった。
「和奏! それは……!」
なぜだか大慌てしながら、私とテーブルの間に割って入る。
まるで私に、あの写真を見せまいとするかのように――。
あまり大きくはない父の体を、避けて私がテーブルを見ようとすると、父もそちらへ体を動かす。
逆に動くと、父も逆に――。
何度かそれをくり返した末に、私はこらえきれなくなって笑い出した。
「あはは……大丈夫だよ、お父さん。私、嫌だなんて思ってないから……」
父は驚いたように私の顔を見て、それからきまり悪そうに指で頬を掻いた。
「そうか? だったらいいんだが……高校生にもなったら、『キモイ』とか言われるんじゃないかと思って……」
真剣な顔でそんなことを言いながら箱に座り直すので、私の笑いはますます止まらなくなる。
「そんなこと言わないよ! あはは……お父さん、そんなこと気にしてたの?」
「ああ……」
父は手にしていた西瓜をお盆に置き、首からかけていたタオルで手を拭いてから、写真が貼られたコルクボードを裏返した。
そこには小学生くらいからつい最近までの私の写真が、満面に貼られていた。
「――――!」
私が思わず言葉を失ったのは、母と住んでいたマンションのリビングに飾られていたコルクボードのことを思い出したからだ。
父から送られてくるこの家や髪振町の写真を、母は丁寧に並べて貼っていた。
決してコルクボード一面の自分の写真にたじろいだわけではなかったのだが、父は探るように私の顔を見る。
「やっぱり……『ドン引き』とか思ったか?」
山の中の一軒家で焼きものを焼くという、いかにも世俗とはかけ離れた生活をしているのに、いったいどこで父はそんな若者言葉を覚えるのだろう。
真面目な印象と真逆すぎな言葉が父の口から出てくることに、私はこらえきらずにやっぱり吹き出した。
「そんなこと思わないよー、あはは」
「そうか?」
私の前に置かれた箱に座り直して、父はもう一度西瓜へ手を伸ばしたが、その表情は嬉しそうだった。