町中ではなく山の中の駅なので、人通りもなく、建物もない。
 緩い勾配になっているその道を、登ろうか下ろうか迷った末、下ることにする。
(人が住んでるところへ出たら、コンビニ……とは言わないけど、さすがに商店ぐらいはあるんじゃないかな……)

 かすかな希望を抱いて下り始めたのだったが、少し行ったところで、畑の中で作業をしている人影が見えた。
「こんにちは」

 都会に住んでいる時は、ご近所の人にぐらいしか挨拶の声をかけることはしなかったが、ここでは誰にでも自分から積極的にしたほうがいいと、ハナちゃんが教えてくれた。
『悪い人なんぞおらんから、誰とでも顔見知りになっとったほうがええ。困った時、きっと助けてくれるから』

 ハナちゃんと同じくらいの年齢のお婆さんは、私の声にふり返り、ぺこりと頭を下げてくれた。
「はい、こんにちは」

 私はほっとして、畑に歩み寄る。
「近くに自動販売機はありませんか? 列車に乗ってたんだけど、友だちが、頭が痛くなっちゃって……」

「自動販売機……?」
 ゆっくりと首を傾げるお婆さんの仕草から、どうやらないようだと私は判断した。

「何か冷たい飲みものが売ってそうなお店でも……」
 その問いかけにはすぐに、首を横に振る仕草で答えられる。
「近くにはないねえ」
「そうですか……」
 ならばやはり、坂の下にあると思われる集落までこの道を下るしかないかと、坂道を見下ろす私を、お婆さんが手招きする。
「サイダーでよけりゃ持ってきちょるけえ、こっちおいで」
「え……いいんですか?」

 農作業の途中の休憩で飲もうと持参したのだろうに、申し訳ないという思いが一瞬頭を過ぎったが、椿ちゃんの辛そうな様子を思い出し、私はお婆さんの好意に甘えることにした。
「すみません……ありがとうございます」
「いいよ、いいよ」

 畑の奥のほうは山の岩肌に面しており、小さな川が流れていた。
 そこに浸けて冷やしてあるらしい網の中から、お婆さんは瓶を取り出す。
(わあっ……)
 缶ではなく瓶入りのジュースに、私は少し感動を覚えた。

 お婆さんは腰から下げていた金具で、器用に瓶の蓋を開けると、私に手渡してくれる。
「早く持っていっちゃれ」
「ありがとうございます!」
 私はジュース分のお金を払おうとしたが、いらないと何度も断られるので、代わりに丁寧に頭を下げて帰ることにした。
「本当にありがとうございます! 助かります!」

『年寄りは、若い人に喜んでもらえたら、それだけで嬉しいけえ』
というのも、ハナちゃんの言葉だ。
『助けてもらって嬉しかったら、自分も誰かが困っている時に助ける。相手は他の誰かでいい。そうして助け合いになる』

 都会では縁を持つことのなかった『恩返し』の輪の中に、自分も組みこまれたことを実感して、使命感のようなものと同時に、照れくさい嬉しさがこみ上げた。