さて。

 さすがに大名家では守りが固いと見たのか、秀吉の女漁りの標的は公卿の娘や、その侍女に向けられ始めた。

 はじめに目をつけられたのは清原家の小侍従という女官であったが、これは小侍従がキリシタンで貞操が固いと施薬院から報告が上がると秀吉は諦めた。

 すると。

 御所の女官である勾当内侍(こうとうのないし)に次は目をつけた。

 しかし。

 これは武家伝奏の今出川(いまでがわ)晴季(はるすえ)の知るところとなり、

「そればかりはなりませぬ」

 と強く諌められ、これもまた諦めざるを得なかった。

 そこへ。

「近衛左大臣さまの姫君さまに美しい方がおわすとの由にございます」

 と、施薬院からの言上があった。

「近衛左大臣か」

「左様にございます」

 近衛左大臣、という名を聞いて、秀吉の顔はにわかにかきくもった。