こうなるとおさまらないのは秀吉の腹の虫で、
「すぐさま近衛左大臣を呼べ!」
と怒鳴り付け、三成は差配に走った。
「あの左大臣め、よりによって替え玉なんぞ寄越しよって」
秀吉の怒りはおさまらなかったのか、祈祷した僧を八つ当たりのようにその場で捕縛し、
「そこな坊主を引っ立てい!」
と牢へと拘引を命じた。
面目をつぶされた以上に、秀吉はまるで信尹に小馬鹿にされたように受け取ったらしく、
「かくなる上は近衛家を取りつぶしてくれよう」
などと、怒りに任せて口走っていた。
「近衛家は藤原鎌足公以来の名家にて、改易ばかりはどうかお考え直し下さいますよう、ひらに」
と忠興が手をついたが、
「これは山崎の戦の折、世話になった越中どのの頼みといえども聞けぬ」
と言い、護摩壇の始末を命じて奥へ戻った。