今、通学している最中。
家を出て駅へ向かって歩いているところ。
歩いてはいるのだけど。
そのスピードがものすごく遅い。
今日、学校で過ごすことを考えると。
気持ちがとても重く、心が締め付けられる。
そして身体も。
足だけではなく。
全身に広がるように、だんだんと動かなくなってくる。
まるで全身に鉛を付けられたみたいに。
全身、鉛で支配されている足どりは。
いつもとは違い。
一歩一歩がとても重く。
なかなか前へ進むことができない。
私の周りを歩いている人たちが。
どんどん私のことを追い越していく。
それでも今の私は。
歩く速度を早めることはできなかった。
……学校……行きたくない……。
学校……休みたい……。
無理に歩いている私の頭の中は。
そのことでいっぱいだった。
一人で教室の中で過ごす……。
それは……。
できるだけ避けたいこと。
だって……。
そうじゃないと……。
思い出してしまう……。
あの日のことを……。
……このまま。
どこかに逃げてしまおうか……。
「あぶない‼」
……⁉
突然のことでびっくりしてしまった私は。
頭の中が真っ白になった。
ただ一つ、はっきりとわかっていること。
それは一人の男の子が私の腕を掴んで。
私のことを引き寄せたということ。
引き寄せられた反動で。
私は男の子の胸の中に飛び込むかたちになってしまった。
そんな私は。
頭の中が真っ白なのと緊張で。
すっかり固まってしまった。
「ねぇ、大丈夫?」
……‼
どうすればいいのかわからなくて。
固まったまま男の子の胸の中にいると。
男の子が私に声をかけた。
「あっ‼ ごめんなさい‼」
私は慌てて男の子から離れた。
「早まらないで‼」
え……。
「何があったのかはわからないけど、
人生そんな簡単に捨てちゃダメだよ‼」
えっ⁉ えっ⁉ えっ⁉ ちょっと……‼
「あっ、あの……」
「俺でよければ話くらい、いくらでも聞くから」
え……えぇぇーっ⁉
「あっ、あの……違います……‼」
「え?」
「私……あの……
そんな……こと……してません……」
「そうなの?」
「はい……」
「そっかぁ、よかったぁ。
俺、てっきり……」
……?
「てっきり……?」
「だって君、信号赤なのに、そのまま車道に出て行こうとしたから」
「え……?」
「『え?』って、
もしかして信号が赤だったこと気付いてなかったの?」
信号……赤だったの……?
全然気付かなかった。
「……はい……」
私、いろいろ考え込んでいて……。
だから信号が赤だったということにも気付けなかった……?
「とにかく無事でよかった」
そう言った男の子の表情は。
ほっとした様子だった。
私は男の子に心から感謝をした。
あっ、そうだ。
まだ、お礼を言っていなかった。
「あっ、あの、
助けてくださってありがとうございました」
「わざわざお礼なんていいよ。
あの状況で、ほっておける人はいないから。
……それより……」
……?
「同じ学年なのに、なんで丁寧な言葉で話してるの?」
「え……」
同じ学年……?
私はその男の子の服装を見た。
男の子の制服。
私が通っている高校の制服だ。
それと同時に。
男の子がしているネクタイも目に入った。
男の子がしているネクタイの色は青色。
そして私のリボンの色も青色。
同じ青色だから。
私と男の子は同じ高校二年生。
「同じ学年なんだから『です』・『ます』は抜きでいこうよ」
男の子はそう言った。
「そうですね……あっ、じゃなくて、そうだね」
まだ、ぎこちないけれど。
私も丁寧語は抜きで話すことにした。
「ところで、どうして信号が赤だったのに車道に出たの?」
男の子は不思議そうにそう訊いた。
「あ……えっと……
ちょっと考え事してて……」
そう返答するしかなかった。
まさか。
『学校に行きたくないということで頭の中がいっぱいになっていた』
なんて、言えるわけがない。
「そうなんだ。
でも考え事も、ほどほどにしないと。
また今みたいに危険なことになってしまうから」
男の子は心配そうにそう言ってくれた。
「うん、そうだね、ありがとう」
確かに男の子の言う通り。
考え事もほどほどにしないと。
また危険なことになってしまうかもしれない。
気をつけなければ。
改めてそう思った。
「じゃあ」
私のことを心配してくれた後。
男の子は『じゃあ』と言った。
『じゃあ行くね』という意味だと思って。
私も『じゃあね』と言おうと思った、ら……。
「今日は俺と一緒に学校に行こう。
また、さっきみたいなことになると危ないから」
え……えぇぇーっ‼
一緒に行く⁉
学校に⁉
そっ……それは……っ。
「だ……大丈夫だよっ。
すぐに同じことなんて起きないと思うからっ。
それに初めて話した人に一緒に通学してもらうなんて悪いからっ」
なんて言ったけれど。
本当は、そうではなくて。
心の中では必死だった。
どうしたら男の子と一緒に通学しなくて済むのかを。
男の子と一緒に通学したら。
絶対に学校に行かなければいけなくなってしまうから。
「……あのさ……
違っていたら、ごめんね。
もしかしてだけど……」
もしかして……なに……?
「学校に行くことを拒んでる?」
……‼
突かれた……‼
核心を……‼
って。
私、そんなにもわかりやすい態度をとっていたのかな⁉
「もしかして、赤信号に気付かずに車道に出てしまうまで考え事をしていたことと関係あるの?」
……‼
すっ……鋭い……‼
「もし、そうなら……」
もし、そうなら……?
「何か悩みがあるなら俺に話してよ。
話しか聞けないかもしれないけど、
話すことによって少しは気が楽になるかもしれない」
男の子は親切に言ってくれている。
けれど。
話せるわけがない。
本当のことなんて。
「そうだ、学校、休んじゃおう。
それで君の話を聞く」
『大丈夫』
そう返答しようと思った。
のだけど。
突然、男の子がそう言ったから。
驚き過ぎて言葉が出てこない。
確かに私自身は学校を休みたい気持ちではあるけれど。
まさか男の子から、そう言われるなんて。
男の子が言った言葉に、どう対応すればいいのか。
わからなくて頭の中が上手く働かない。
どうしよう。
こういうときは、どう対応すれば……。
「じゃあ、行こう」
まだ何も返事をしていないのに。
男の子は私の腕を掴み。
駅とは反対の方向へ歩き出した。
しばらく歩いていると。
「よし、ここに入ろう」
男の子がそう言って入ったところ。
そこは公園。
男の子は私の腕を掴んだまま公園の中を歩いて行く。
そのとき、ふと思った。
男の子が私の腕を掴んで歩き出してしまったからとはいえ。
話したばかりの人にそのままついて歩いている。
それは、何という大胆な行動なのだろう。
いつもの私なら考えられない行動。
人と接することが苦手な私が……。
というか、人と話すことを得意としている人だって、そんな行動は考えにくい。
それなのに。
今日の私は一体どうしたのだろう。
どうした……?
ううん、違う。
私がこんな行動をとっているのは。
今日はどうしても学校に行きたくない。
そんな気持ちからくるものだと思う。
とはいえ。
やっぱり、いつもの私とは何かが違う。
なんで今日はこんなにも……。
「あっ、ここ空いてる。ここ座ろ」
男の子が示した方を見ると、ベンチがあった。
男の子は私の腕を掴んでいた手を離してベンチに座った。
「君も座りなよ」
男の子はそう言って、男の子が座っている隣の空いたスペースを手でポンポンとした。
男の子にそう言われ、男の子の隣に座った。
「あっ、そういえば名前まだ言ってなかったね」
男の子の隣に座ったすぐ後、男の子がそう言った。
「俺、青野真宙。よろしく」
青野真宙……。
この男の子が青野真宙くん。
私も名前は知っている。
青野真宙くん。
同じ学年の中で彼の名前を知らない人は、ほとんどいないと思う。
彼のことで周りからよく聞こえてくる言葉は。
美少年・爽やか・頭が良い・スポーツ万能・明るい・楽しい・ムードメーカー……。
これだけ条件が揃っていれば。
人気にならないはずがない。
特に女子たち。
女子たちにとって、青野くんはアイドル的存在。
目を輝かせて青野くんの話をしている。
だから私も自動的に青野くんの名前だけは知っていた。
たった今。
アイドル的存在の青野真宙くんが私の隣に座っている。
青野くんの顔もはっきりと見える。
周りの人たちが話していた通り。
すごく美少年。
目も鼻も口も、すべて完璧。
まるで絵に描いたような美しさ。
これは、わかる。
こんなにも美し過ぎる男の子が同じ学年にいたら、ウキウキしたりドキドキしたりしてしまう。
実際に私も今、青野くんのことを見ていて……。
……‼
え……⁉
ちょっと待って……。
私……。
青野くんにドキドキしている……⁉
「ねぇ」
……‼
青野くんに声をかけられて我に返った。
「君の名前はなんていうの?」
青野くんにそう訊かれて。
そうだ、まだ自分の名前を言っていなかった。
そのことに気付いた。
「あっ、えっと、
私は、麻倉希空。
こちらこそよろしくね」
少し慌てながらになってしまったけれど。
なんとか自分の名前を青野くんに伝えた。
つもりだったのに。
「…………」
青野くんの反応は。
ピンときていない様子に見えた。
ひょっとしたら私の声が小さ過ぎて、よく聞こえなかったのかもしれない。
もう一度、青野くんに名前を伝えよう。
と思ったら。
「えっ‼」
……っ⁉
青野くんが突然驚いたような声を出した。
私は、その声に驚き過ぎて声が出なかった。
「今、『麻倉希空』って言った?」
……?
言ったけど……。
「……? うん……?」
何が何だか。
わけがわからない。
そう思ったまま、そう返事をした。
「君があの麻倉希空さんっ⁉」
『あの』って……?
青野くん、それは一体どういう……?
「実は俺、去年の文化祭のときから君の名前は知っていたんだ」
「えっ⁉」
昨年の文化祭のときから……⁉
どういうこと⁉
「去年の文化祭のとき、各クラスから五人ずつ、
上手に描かれている絵がフリールームに展示されてたでしょ。
それで俺は見に行ったんだ。
みんなの上手な絵を見てみたくてさ」
青野くんはそう話し始めた。
「やっぱり思った通り。
みんな、すごく上手くてさ。
俺、感動しちゃって」
そう話している青野くんの目はキラキラと輝いていた。
「どの絵も感動した。
……だけど」
だけど……?
「その中でも一つ、特に心を打たれた絵があったんだ」
心を……打たれた……?
「その絵を見て感動したのはもちろんのこと、
なんてい言えばいいのか、気持ちが晴れやかになるというのか、
とにかく一言では言い表すことができない、そんな絵だった」
青野くんがそんな気持ちになった絵。
それは、どんな絵なのだろう。
そして誰が描いたのだろう。
「そんな絵を描いたのは誰なんだろう。
俺、すごく気になっちゃって。
だから俺、すぐに見たんだ。
絵の下に貼られている名前を」
それで、その絵を描いた人の名前は……?