今、私と真宙くんは何も話してはいない。
静かに、そして穏やかに時が流れている。
そんな中、上を見た。
視界に入ったのは、美しい緑が広がった世界。
そこに風が吹けば、美しい緑の葉がやさしく揺れる。
そのときに葉っぱ同士が触れ合って生まれた音。
それは、まるでやさしい歌声が聞こえてくるような。
そんな感覚を覚える。
その歌声が。
とても穏やかで。
とても美しく感じた。
私は、その歌声に夢中になっていた。
「なんかさ、いいよね」
そのとき。
真宙くんがそう言った。
「みんなが学校にいるときに、
それ以外の場所で、こうしてのんびりとくつろいでるのって、
なんか特別な時間を過ごしてるみたいで」
あ……。
真宙くんの言葉で気付いたことがあった。
なんで真宙くんは『学校を休もう』と言ってくれたのだろう。
真宙くんも私と同じで学校を休みたかったのかな。
……って。
……‼
もしかして……。
私のため……?
私が今日、学校を休みたいと思っていたから。
真宙くんはそれを察して合わせてくれた……?
……って。
そんなわけはないよね。
私とは今日、話したばかりなのに。
そんなことあるわけがない。
って、前からの知り合いや友達でも。
休みたい人に合わせるなんて。
そんなこと……ないよね……。
「そういえば、希空ちゃん」
そう思っていると、真宙くんが声をかけた。
話は絵のことに。
真宙くんは「絵を描くことは好きなの?」と訊いた。
「好きだよ」と返答すると。
真宙くんは「美術部には入ってるの?」と訊いた。
私は人と接することが苦手。
だから美術部に入らなかったことを言った。
すると真宙くんは「驚いた」と言った。
真宙くんのその言葉にキョトンとしていると。
真宙くんは「初めて話す俺にも話せてるし、一緒に公園にもいるから」と言った。
確かに真宙くんの言う通りだと思った。
だから「今日はどうしてだろう……。
いつもの私はこんな感じじゃないから」と言った、ら。
真宙くんは「嬉しいよ‼」と言った。
真宙くんのその言葉に驚いた。
どうして嬉しいのだろう、と。
そう思っていると「それって俺に心を開いてくれているということだよね‼
それがすごく嬉しいんだ‼」と真宙くんはそう言ってすごく喜んでいた。
私が真宙くんに話せていることが。
真宙くんにとって、そんなにも嬉しいことだなんて……。
そんな真宙くんにとても驚いた。
って。
あれ……?
ちょっと待って。
私、真宙くんに心を開いているの……?
自分では全く気付いていなかった。
でも確かに。
いつもの私なら。
慣れていない人や初めて話す人と、こんなふうに一緒にいることなんてできない。
じゃあ、やっぱり真宙くんの言う通り。
私は真宙くんに少しだけ心を開いている……?
「本当に嬉しいな。
希空ちゃん、これからもよろしくね」
満面の笑みの真宙くん。
その笑みは純粋な子供のよう。
そんな真宙くんの笑みを見ると。
「こちらこそよろしくね」
照れながらではあるけれど。
少しだけ笑顔になれた。
「そういえば希空ちゃん、連絡先教えてよ」
真宙くんがそう言って。
私と真宙くんは連絡先を交換した。
そのあとも私と真宙くんは美しい緑が見守るこの空間で癒されながらくつろいでいた。
そのとき思っていた。
今日は真宙くんのおかげで本当に助かったなと。
それに今日は金曜日。
明日から二日間休みになるし、ちょうどよかった。
来週の月曜日から普通に登校すればいい。
こう思えるのも真宙くんのおかげ。
真宙くん、本当にありがとう。
そう思いながら美しい緑の葉を見続けていた。
真宙くんと一緒に学校を休んだ翌日の土曜日。
今日は、四週間に一度の通院の日。
通院と言っても身体のことでではない。
傍からはわかりにくい心の中のことで。
私は中学一年生の頃から心療内科に通院している。
中学一年生の頃、私は精神的に限界だった。
そのとき私は、お母さんと一緒に心療内科に行った。
そうして診察してもらった。
そうしたら、だいぶ気持ちが楽になった気がした。
そして自分が抱えている悩みや苦しみと少しだけ向き合える気がした。
診察結果。
『うつ病』
うつ病も心療内科に通い続け、治療を受けているうちに。
少しずつではあるけれど回復の方向へ向かっている。
でも完治しているわけではないので、これからも慎重に治療をしていこうと思う。
今日の診察は終わった。
受付で薬をもらって会計を済ませた。
その帰り。
雨じゃなければ必ず寄るところがある。
昨日、真宙くんと一緒に行った、あの公園。
あの公園は時々一人で行っている。
ベンチに座って、お気に入りの音楽を聴く。
今、公園に着いてベンチに座ったところ。
いつものようにイヤホンをして、あの曲を聴く。
その曲は、私の大好きな曲。
その曲を聴くと、元気が出てくる。
ただ、この曲を歌っている歌手。
その歌手の顔を私は知らない。
私は、じゃない。
みんな、その歌手の顔を知らない。
その歌手は表には出てこない顔出しNGの歌手。
だから、みんなその歌手の顔を知らない。
だけど、その歌手とその歌手が歌っている曲は、とても人気。
今までに出した曲は必ずトップ3にランクインしている。
それもそのはず。
その歌手の歌声は、とても透き通ったように美しい。
そして抜群の歌唱力。
それだけ揃っていれば十分なのだけど。
この歌手は、それだけではない。
それ以外にも人の心を惹きつける魅力をもっている。
現に私も、この歌手の魅力に惹きつけられている一人だから。
お気に入りの場所。
そこで、お気に入りの曲を聴いている。
それは私にとって癒しの時間。
そして心が和らぐ時間。
そんな気持ちに浸りながら上を見た。
今日も美しい緑の葉たちが風に乗ってやさしく揺れている。
そんな緑の葉たちを見ながら、お気に入りの歌手が歌っているお気に入りの曲を聴いている。
それは、とても美しい時間。
そんな時間を私は大切にしたい。
……って。
ん……?
誰かが私の方に来る。
そんな気配がした。
気になった私は気配がする方に顔を向けた。
「あ……っ‼」
驚きのあまり、それ以上、声が出なかった。
「希空ちゃん」
そこには真宙くんがいたから。
「嬉しいな、昨日に続いて今日も希空ちゃんに会えるなんて」
真宙くんは満面の笑みを浮かべてそう言った。
「……真宙くん、どうしてここに……?」
驚きの気持ちが治まらないまま、真宙くんにそう訊いた。
「散歩だよ」
「散歩……?」
「うん、散歩。
俺、時々この公園に散歩しに来るんだ。
運動不足解消も兼ねて」
真宙くんも時々この公園に来てるんだ……。
「そうなんだ。
私も時々この公園に来るんだ」
「えっ、そうなのっ?
すごい偶然っ。
なんか、すごく嬉しいっ」
真宙くんは純粋な子供のような笑顔でそう言った。
そんな真宙くんを見ていると。
少しだけ照れくさくなった。
「そういえば、希空ちゃん、何を聴いてるの?」
私が手にしているイヤホンを見た真宙くんはそう訊いた。
真宙くんに声をかけられたとき、すぐにイヤホンを外していた。
真宙くんと話している間、イヤホンはずっと手に持ったままだった。
「俺にもちょっと聴かせて」
真宙くんは私の隣に座った。
そして私が手にしているイヤホンを一つ手に取り、そのまま耳につけた。
「この歌、誰が歌ってるの?」
真宙くんの質問。
それを聞いて驚いてしまった。
私たちの世代で知らない人がいるなんて思わなかったから。
この歌手は。
若い世代、特に中高生にとても人気。
なので真宙くんが知らないなんて意外だと思った。
「曲名は?」
続いて真宙くんはそう訊いた。
真宙くんの質問に順番に答えていく。
「名前は『blue sky』。曲名は『青の世界』」
私は『blue sky』の曲の中でも。
『青の世界』という曲が一番好き。
他にもヒット曲を出しているけれど。
『青の世界』は『blue sky』の曲の中でも特にヒットしている曲。
『青の世界』を聴くと元気が出てくるとか励みになるとか、ものすごく評判が良い。
『blue sky』の曲が評判が良いと私も嬉しくなる。
『blue sky』の家族や親戚ではないけれど。
好きな歌手の評判が良いと、とても嬉しい気持ちになる。
「ふ~ん、そうなんだ」
嬉しい気持ちに浸っていると。
真宙くんは淡白な反応でそう言った。
真宙くんのあまりにも淡白な反応に少し驚いてしまった。
真宙くんは本当に『blue sky』の存在を知らないのだと思った。
「なんか、ちょっとびっくり」
「え? びっくり?」
「うん、だってね、『blue sky』って私たちの世代にとても人気なの。
だから真宙くんが『blue sky』のことを知らなくて、
ちょっとびっくりしちゃって」
「そんなんだ」
興味なさそうな真宙くん。
そんな真宙くんのことを見て思った。
真宙くんはいないのかな。
お気に入りの歌手や俳優。
「真宙くんはいる? お気に入りの芸能人とか誰か」
そう思っていたら。
無意識のうちに訊いていた。
……珍しい。
私が積極的に他人に質問をするなんて。
そんな自分に驚いていた。
無意識のうちにとはいえ。
いつもの私なら、なかなか言葉にすることができない。
それなのに今日の私は、すんなりと言葉にすることができている。
それは、私にとって大きな進歩。
……進歩……?
これは進歩なのだろうか……?
本当に誰にでもできるようになったのか……?
……ううん。
できない。
このようにできているのは……たぶん……。
「特にいない、かな」
『う~ん』と少しだけ考えた後。
真宙くんはそう返答した。
「そうなんだ」
『blue sky』だけではなく、他の芸能人にも興味がないみたい。
「希空ちゃんは好きなの? 『blue sky』のこと」
次は真宙くんがそう訊いた。
「うん」
私は『blue sky』のファン。
これからも『blue sky』のことを応援していきたい。
「そうなんだ」
穏やかな笑顔の真宙くん。
それから、しばらく私と真宙くんは一緒にその曲を聴いていた。
『blue sky』の曲を聴きながら、私と真宙くんはのんびりとくつろいでいた。
「希空ちゃん」
そのとき。
真宙くんが私の名前を呼んだ。
「今度、一緒にどこかに出かけない?」
一緒に……。
真宙くんと……。
私は女の子の友達も少ない。
だから一緒に出かけることも少ない。
それなのに。
男の子と一緒に出かける。
しかも二人きりで。
それは。
かなりの勇気がいる。
だけど。
なぜだろう。
真宙くんとなら。
二人で出かけることができそうな気がする。
だから。
「うん」
そう返事をした。
「ありがとう、希空ちゃん」
真宙くんはとても嬉しそうな笑顔でそう言った。
不思議。
人付き合いが苦手なのに。
昨日、話したばかりの真宙くんに『出かけない?』と言われて『うん』と返事をしている私がいる。
真宙くんとならと思っているとはいえ。
そんな積極的な自分に驚いていた。
だけど。
接している時間が全てではないのだと思った。
それよりも大切な何かが、きっとある。
そう思えた。
そう思える何かが真宙くんにはある。
真宙くんには何か不思議な魅力がある。
そう思った。