- 私は、私のこの人生を -
*** Miss Spring ***
千夏も、春ちゃんを気に入ってくれたみたいだ。千夏は幸せそうな顔をして、校舎から続く坂道を下りて行った。彼女が見えなくなるまで見送った後、先に戻っていたアキ達を追って、私も丘に戻った。
春ちゃんが、桜の木に手を付けて、遠くの景色を眺めている。アキはイスに座って、春ちゃんを見つめている。
「秋にこんなに想われてるハルちゃんは……、幸せ者だね」
春ちゃんがそう言った。私が、幸せ?
私……幸せなのかな。事故に遭って、家族全員死んじゃって、幽霊になってアキを苦しめて、泣いてばかりいたけど……。
それでも、私をこんなに想ってくれて、私の死をこんなに悲しんでくれる人がいるのは、幸せなのかもしれない。
生きていた時は気付けなかった、アキの深い愛を知ることが出来たし、猫さんと友達になるという夢みたいな出来事も体験できたし、優しくて暖かい春ちゃんにも会えた。生きていた時は、お父さんもお母さんも優しくしてくれたし、千夏は親友になってくれたし、短かったけど、アキとの素敵な青春を過ごすこともできた。
それに、死んじゃった後も、神様が私をバクレイにしてくれて、綺麗な景色をたくさん見ることができた。
世界は、とても綺麗。夕焼けも、朝日も、星空も。海も、空も、花も木も草も。雲も、風も、人の笑顔も、きなこの黒い瞳も、春ちゃんの奏でる音楽も、みんな、すごく綺麗。
いつの間にか、涙が流れていた。
「私、幸せだ……。幸せだよぉ……」
アキ、春ちゃん、千夏、お父さん、お母さん、きなこ、ありがとう。
忘れてたよ。私、幸せだったんだ。
*** Mr. Autumn ***
「よし、こんなところか」
「ふー、やっと終わったよー」
「ありがとう、春。お疲れ様」
何度か休憩を挟んだが、春のおかげで、無事に絵は完成した。腕時計を見ると、夕方の四時半だ。もう空は茜色に染まり始めている。
「おおっ、結構上手いじゃん。ふーむ……これがハルちゃんかぁ」
「ハルであり、春でもあるな」
「ふふっ、なんか複雑だね」
瓜二つな二人なので、実際絵の中のハルにも春の面影があるのだが、髪の長さなどは記憶の中のハルのものだ。
油絵はまだ乾かないので、慎重にケースに入れて、イーゼルとイスを片付ける。
まだタイムリミットには若干余裕があるが、藤岡のような予想外のイベントに出くわさないとも限らない。早めに動くに越したことはない。
「さて、帰るか」
「えー、もう帰るのー?」
「あんまり遅くなると、電車がなくなるぞ」
「泊っちゃえばいいじゃん。私、秋のおうち見てみたい!」
「だめだ。泊りなんて、僕がおじいさんに殺される」
「大丈夫だって。秋のお父さんとお母さんを見てみたいよー」
春の家庭の事情を知る僕には、彼女の気持ちが少し重く響いた。
「……それは、また今度な」
「え、ホント?」
「ああ、そのうちな」
実際、そう思っていた。そのうち、春を本気で両親に紹介するのも、悪くないかな、と。もちろん、この作戦が成功して、僕が心から前に歩き出すことが出来た後に、春との関係をはっきりさせてからだけど。
「そういう訳で、今日は帰るぞ。僕の故郷なんて、いつでも来れるしな。もたもたしてると警備員に見つかるかもしれない」
「わかったよぅ」
渋る春を連れて、僕は高校を後にし、坂道を下った。高校時代は三年間通い続けた坂道だ。ハルがいた頃は、僕はこの坂を下るのが好きだった。学校が終わり、後は自由が約束された時間。夕焼けの綺麗な光が差し込む中、道を彩る木々を眺めてのんびりと歩いていた。ある時は部活時間でハルと交わした会話を思い出しながら、ある時はハルと並んで歩いたこともあった。ハルの思い出は、この地の至る所に染み込んでいる。
それらの輝く思い出が、心を苦しめるのではなく、ただ懐かしく、愛おしいものに、今の僕には思えた。
ハル、ごめん。ハルを過去に縛り付けて、世界から置き去りにしていたのは、僕自身だったようだ。
幸い、帰り道は顔見知りに会う事はなかった。駅で二人分のチケットを買い、他愛無い話をしながら、春と帰った。これで、展覧会に向けた宿題はひとまず無くなったな。
*** Miss Spring ***
絵を描き終えた二人が、学校を後にして、坂道を下っていく。その少し後ろを、私も歩いた。
私は、この坂道を歩くのが好きだった。春は桜が満開になるし、桜が散っても緑の葉っぱが風に吹かれてサラサラと揺れるのが大好きだった。夏の暑い日も、この坂道は涼しいように感じた。
千夏や他の友達と歩いた事もあったし、アキと一緒に帰った事もあった。
高校生活は、ホントに短かったけど、……楽しかったな。
友達と笑って、好きな人と絵を描いて、お喋りして、ドキドキして。
幸せだったな……。
あの、楽しかった時間は、キラキラ輝いていた時間は、もう戻らない。もう、戻らないけど、でも、今はその運命を受け入れられる。それは諦めとかじゃなくて、何だろう……、大切なような、愛おしいような、そんな気持ち。
私は、私のこの人生を、運命を、愛せる。今なら、そう思える。
その日は、アキと春ちゃんと一緒に電車に乗り、海辺の駅まで春ちゃんを送ったあと、アキのアパートに帰った。
それから、優しい時が流れて、暖かな空気が溢れ、道端の花が咲き、鳥たちが元気に囀り、そして、アキの、私たちの住む町にも───
*** Miss Spring ***
千夏も、春ちゃんを気に入ってくれたみたいだ。千夏は幸せそうな顔をして、校舎から続く坂道を下りて行った。彼女が見えなくなるまで見送った後、先に戻っていたアキ達を追って、私も丘に戻った。
春ちゃんが、桜の木に手を付けて、遠くの景色を眺めている。アキはイスに座って、春ちゃんを見つめている。
「秋にこんなに想われてるハルちゃんは……、幸せ者だね」
春ちゃんがそう言った。私が、幸せ?
私……幸せなのかな。事故に遭って、家族全員死んじゃって、幽霊になってアキを苦しめて、泣いてばかりいたけど……。
それでも、私をこんなに想ってくれて、私の死をこんなに悲しんでくれる人がいるのは、幸せなのかもしれない。
生きていた時は気付けなかった、アキの深い愛を知ることが出来たし、猫さんと友達になるという夢みたいな出来事も体験できたし、優しくて暖かい春ちゃんにも会えた。生きていた時は、お父さんもお母さんも優しくしてくれたし、千夏は親友になってくれたし、短かったけど、アキとの素敵な青春を過ごすこともできた。
それに、死んじゃった後も、神様が私をバクレイにしてくれて、綺麗な景色をたくさん見ることができた。
世界は、とても綺麗。夕焼けも、朝日も、星空も。海も、空も、花も木も草も。雲も、風も、人の笑顔も、きなこの黒い瞳も、春ちゃんの奏でる音楽も、みんな、すごく綺麗。
いつの間にか、涙が流れていた。
「私、幸せだ……。幸せだよぉ……」
アキ、春ちゃん、千夏、お父さん、お母さん、きなこ、ありがとう。
忘れてたよ。私、幸せだったんだ。
*** Mr. Autumn ***
「よし、こんなところか」
「ふー、やっと終わったよー」
「ありがとう、春。お疲れ様」
何度か休憩を挟んだが、春のおかげで、無事に絵は完成した。腕時計を見ると、夕方の四時半だ。もう空は茜色に染まり始めている。
「おおっ、結構上手いじゃん。ふーむ……これがハルちゃんかぁ」
「ハルであり、春でもあるな」
「ふふっ、なんか複雑だね」
瓜二つな二人なので、実際絵の中のハルにも春の面影があるのだが、髪の長さなどは記憶の中のハルのものだ。
油絵はまだ乾かないので、慎重にケースに入れて、イーゼルとイスを片付ける。
まだタイムリミットには若干余裕があるが、藤岡のような予想外のイベントに出くわさないとも限らない。早めに動くに越したことはない。
「さて、帰るか」
「えー、もう帰るのー?」
「あんまり遅くなると、電車がなくなるぞ」
「泊っちゃえばいいじゃん。私、秋のおうち見てみたい!」
「だめだ。泊りなんて、僕がおじいさんに殺される」
「大丈夫だって。秋のお父さんとお母さんを見てみたいよー」
春の家庭の事情を知る僕には、彼女の気持ちが少し重く響いた。
「……それは、また今度な」
「え、ホント?」
「ああ、そのうちな」
実際、そう思っていた。そのうち、春を本気で両親に紹介するのも、悪くないかな、と。もちろん、この作戦が成功して、僕が心から前に歩き出すことが出来た後に、春との関係をはっきりさせてからだけど。
「そういう訳で、今日は帰るぞ。僕の故郷なんて、いつでも来れるしな。もたもたしてると警備員に見つかるかもしれない」
「わかったよぅ」
渋る春を連れて、僕は高校を後にし、坂道を下った。高校時代は三年間通い続けた坂道だ。ハルがいた頃は、僕はこの坂を下るのが好きだった。学校が終わり、後は自由が約束された時間。夕焼けの綺麗な光が差し込む中、道を彩る木々を眺めてのんびりと歩いていた。ある時は部活時間でハルと交わした会話を思い出しながら、ある時はハルと並んで歩いたこともあった。ハルの思い出は、この地の至る所に染み込んでいる。
それらの輝く思い出が、心を苦しめるのではなく、ただ懐かしく、愛おしいものに、今の僕には思えた。
ハル、ごめん。ハルを過去に縛り付けて、世界から置き去りにしていたのは、僕自身だったようだ。
幸い、帰り道は顔見知りに会う事はなかった。駅で二人分のチケットを買い、他愛無い話をしながら、春と帰った。これで、展覧会に向けた宿題はひとまず無くなったな。
*** Miss Spring ***
絵を描き終えた二人が、学校を後にして、坂道を下っていく。その少し後ろを、私も歩いた。
私は、この坂道を歩くのが好きだった。春は桜が満開になるし、桜が散っても緑の葉っぱが風に吹かれてサラサラと揺れるのが大好きだった。夏の暑い日も、この坂道は涼しいように感じた。
千夏や他の友達と歩いた事もあったし、アキと一緒に帰った事もあった。
高校生活は、ホントに短かったけど、……楽しかったな。
友達と笑って、好きな人と絵を描いて、お喋りして、ドキドキして。
幸せだったな……。
あの、楽しかった時間は、キラキラ輝いていた時間は、もう戻らない。もう、戻らないけど、でも、今はその運命を受け入れられる。それは諦めとかじゃなくて、何だろう……、大切なような、愛おしいような、そんな気持ち。
私は、私のこの人生を、運命を、愛せる。今なら、そう思える。
その日は、アキと春ちゃんと一緒に電車に乗り、海辺の駅まで春ちゃんを送ったあと、アキのアパートに帰った。
それから、優しい時が流れて、暖かな空気が溢れ、道端の花が咲き、鳥たちが元気に囀り、そして、アキの、私たちの住む町にも───