「秋樹、こんな難しい小説読むのか?」



ーーある日のこと。

俺を本屋に連れてきた秋樹は、その手に大人でも読むのを躊躇するような難しい小説を持っていた。

滅多に「あれが欲しい、これが欲しい」と言ったりしない秋樹が珍しく「買い物に行きたい」と言うので、意気込んで財布に大金を入れてきたのだが。
まさか本屋とは…と驚いていたところ、更に意外な選択。

思わず聞くと、秋樹は小さく頷いた。

「…興味があるんだ」

「そ、そうか…」

「いいかな」

遠慮がちに差し出され、俺はため息をつく。
いいも何も、こっちは財布に十万、念のために鞄にも十万詰めてきてるんだ。それ以上ならカードだって出すつもりだった。

せっかくのチャンス。本だけでなく、今日はなんだって買ってやるつもりだった。
それを本屋で本一冊だなんて。
なんだか納まりがつかず、勢いそのままに小説のコーナーへ行き、似たようなジャンルやおすすめの小説などをもう四冊ほど選んで手に取る。

「遠慮すんな」

「……」

秋樹は何か言いたげだったがーーやがて嬉しそうに笑った。


「…ありがとう」





ーーー中学生になった秋樹は、周りに比べて随分と大人びていた。

俺も小説は毎月二冊ほど読むようにしているが、秋樹が選んだような難しめの小説は、まだ教科書でしか読んだことがない。
もっと歳を重ねてから読もうと思い楽しみに取っているのだが、秋樹は14歳という若さで興味があるという。

将来は物書きか…?
叔父バカ全開で勝手に未来を想像する。うちの秋樹は本当に多才だ。

頭を優しく撫でると、秋樹は恥ずかしそうに笑った。




秋樹の目当ては買い終わったが、事前に「今時の若者 服 どこで買う」「今時の若者 ゲーム おすすめ」で検索していた俺。

「さぁ、次は服を買うぞ。そろそろお洒落なやつがいるだろ」

「えっ」

申し訳なさそうにする秋樹を連れ回し、店員さんにアドバイスを貰いながら、服や靴などを大量に買った。
姉に似て顔の整っている秋樹は、悔しいくらい何でも似合った。


「秋樹、友達とゲームはしないのか?通信したりするだろ」

「いや…もう充分だよ、おじさん」

次に買おうとしているものを察した秋樹が、大量の紙袋を見ながらそう言うが、持ってきていた金を全て使い切るつもりだった俺に言わせてみれば、全く物足りない量だった。

「じゃぁ、俺とゲームをしよう」

「……」

「学校に同じのを持ってる奴がいたら、そいつとも遊べばいい。な?」

ようやく諦めたのか、秋樹は電器屋へ向かう俺の後ろを無言でついてきた。
どれが良いか迷いに迷い、通信が出来て持ち運べるようなゲームと、有名なソフトを二本選び、二人分買う。




本と衣類とゲーム。
さて次は何を買おうかと考えながら車に戻っていると、秋樹が立ち止まって言った。


「おじさん」


「?」

「ごめん。僕が、欲しいものがあるなんて言ったばっかりに…」


ーー何を謝られているのか分からず首を傾げていると、秋樹は続けた。


「僕、嬉しいよ。たくさん買ってもらえて。でも…こんなにお金使ってもらうの、やっぱり申し訳ないから。
小さい時はよく理解してなかったけど、今なら分かるよ。おじさんが僕を引き取ってくれたこと、本当に感謝してるんだ」

「……」

「だから…あんまり負担になりたくないんだ」

そう言って、苦しそうに紙袋を見つめる秋樹。


「だから、もうこれ以上は…何もいらないよ」


ーーーそんな秋樹に、俺は危うく手にしていたゲーム機を落としかける。
感情が溢れて、秋樹の目を見ることが出来ない。

「子供が…そんなこといちいち、気にしなくていいんだよ」

「……おじさん…」

「負担だって?二度とそんなこと言うな」

たかだか中学生の甥に、遠慮させている自分が情けなかった。
こんなことが言える立派な甥が、誇らしくて仕方がなかった。

色んな気持ちがおり混ざって、何故か腰が抜けそうだった。

「お前はそんなまどろっこしいこと考えたりせず、ただありがとうって受け取ればいい」

「……」

「秋樹…お前はまだ、大人になるには早すぎる」


何て出来た子なんだ。
大事に、大事に育ててきた。やれることは何でもやってあげたかったし、大概のことはそうした。
それが、秋樹には「自分が負担をかけている」ように感じたのかもしれない。

大事にするあまり、失念していたのだ。
必要以上に世話を焼くことが、優しすぎる秋樹にとっては「負担になってしまう」ことを。


自分の押し付けがましい行動を、恥じる。
とぼとぼと車に戻り始めた俺の後ろ姿を、秋樹は慌てて追いかけた。

「ごめんなさい…おじさん」

「…いや……」

自分に対して大きな溜息をついて、俺は荷物を車に詰め込みながら言って聞かせる。

「悪かった…感情的になって。お前は何も悪くないんだよ」

泣きそうな秋樹に、情けない顔で笑いかけた。

「ごめんな、押し付けて」

「…、」

「でも…お前、お小遣いやっても全然使わないし、物も欲しがったりしないだろ?だから、欲しいものがあるって言われて…嬉しかったんだよ」


ーー秋樹が、お小遣いで本を買わずに俺を連れ出したのは。
学校や部活で忙しくなった中で、ほんの少し見せてくれた甘えなのかもしれない。

「お前に何でも買ってやりたいってのは、俺の都合だ。だから…悪かった」

「……」

「さぁ、今日はもう帰ろうか」

荷台を閉めて、運転席に乗り込む。
遅れて助手席に乗った秋樹を、ちらりと見遣った。

随分と大きくなった。
ついこの間までチャイルドシートに乗っていたのに、本当にあっという間だった。



車をゆっくりと発進させる。
すると、秋樹が口を開いた。

「…おじさん」

「ん?」

「僕…オムライスが食べたい」

驚く俺に、笑いかける秋樹。

「いいかな」

「…もちろん、いいに決まってるだろ」

面食らったまま返事をすると、秋樹は静かに続けた。

「…僕が、物を欲しいと思わないのはね。おじさんが、いつだって僕の欲しいものをくれるからだよ」

「……」

「美味しいご飯を作ってくれるし、何かしたら褒めてくれるし、学校の行事には絶対来てくれるし。僕、充分、たくさん貰ってるから」

ーー恥ずかしそうに俯いた姿が、幼い時の姿と重なる。

「だから、満足なんだ」

目頭が熱くなって、車を路肩に停めた。
心配そうに見つめる秋樹に、俺は何とか声を絞り出す。

「あのなぁ…おじさんは、涙もろいんだよ…」

涙を拭きながら、脳裏に映る小さな秋樹の笑顔を見る。

「泣かすなよ…」

こんなに大きくなったなんて、信じられない。
だって未だに、小さい時と同じ笑顔で俺に笑いかけるんだ。
過ぎていく毎日が勿体なくて、仕方ない。

「オムライス…ふわふわのやつ作ってやるからな…」

「うん」





家に帰って、荷物を運び込み、早速オムライスを作り始める。
その間、秋樹はリビングで今日買ってきた本に早速目を通していた。

真剣な眼差し。
俺は写真立てに収まった姉さんを、秋樹の方へ向けてやった。
だからって、どうと言うことはないのだが。


作り終わり、テーブルへスープやサラダと一緒に並べる。

「秋樹、食べるぞ」

大事そうにカバーまでつけている本を置き、秋樹は食卓についた。
向かい合って座り、聞いてみる。

「面白いか?」

少し考えている様子の秋樹は、やがてこくりと頷いた。

「難しい言葉とかは辞書を引かなくちゃいけないけど…面白いよ」

「すごいなぁ、秋樹」

「おじさんは読んだことないの?」

「そりゃ教科書ではあるけどさ…まぁ、俺は死ぬ間際くらいにちゃんと読むよ」

秋樹は少し意外そうにしていたが、それ以上何も言わなかった。



ーー小さい頃。
秋樹が「美味しい」と言ってから、必死こいて改良を重ねてきたオムライス。
始めこそ不格好なものだったが、今は見た目も味も完璧だ。

ふわふわのオムライスを眺めて、秋樹は微笑む。

「やっぱりすごいや、おじさん」

「美味そうだろ」

「うん。本当にすごい」

手を合わせて「いただきます」をした秋樹が、一口食べて目を輝かせた。

「美味しい」

ーーそうそう。この為に作ってんだよなぁ…


残さず平らげた秋樹。

「おじさん、今日はありがとう」

「…こちらこそ、ありがとな」

むず痒いお礼に、頬を掻く。


俺が買った物を大事そうに部屋へ持っていく姿を見て、また目頭が熱くなった。
あれから、もう十年以上経つのか…。
気がついたら泣いていて、戻ってきた秋樹に笑われた。

「おじさん、泣きすぎだよ」

「お前にも、いつかわかるよ…」


なんて、かけがえのない日々。