あの時の驚きは、今でもまざまざと思い出せる。神である雪嗣がわざわざ自分から声をかけた特別な女の子。それは、蒼空にとっては解けない謎であり――それもまた、彼女を魅力的に思わせた一因でもあった。

「なあ、どうして叶海に声をかけたのか教えてくれよ、龍神様」

 蒼空の言葉に、雪嗣はすいと視線を逸らした。

 夜も更けてきて、風が徐々に強くなってきている。ざわざわと大きな音をさせて葉が擦れ、星空を背景に、影のように蠢く木々は生きているようだ。

 しばらく黙っていた雪嗣は、おもむろに眠っている叶海を見つめた。健やかな寝息を立てている叶海に目を細め、次いで蒼空に優しげな視線を向けてこう言った。

「覚えているか。あの頃、俺と叶海と蒼空と――いろんなことをして遊んだな」

「あ? ……ああ。山やら川やら、田舎の子の遊びなんて、どこも似たようなもんだろうが、結構遊んだな……」

 それこそ釣りをしたり、泳いだり、虫を捕ったり。一度、野ウサギを捕ろうとして、納屋から狩猟用の罠を持ち出して、大人に大目玉を食らったこともあった。

「あん時の川村の爺さん、怖かったな! 殺されるかと思ったぜ……」

「俺もお前たちが帰った後、懇々と怒られたよ。監督責任が云々って。和則が幼い頃は、俺がアイツを叱ってたくらいなのに」

「まじか、やべえな……」

「俺もそう思った。氏子に怒られる神なんて前代未聞だ」

 蒼空は、幼かった自分を思い出して、少し恥ずかしくなった。でもそれは決して嫌な感情ではない。子どもだから未熟なのは当たり前で、間違うのも極々自然なことだ。

「それで、今の話と叶海に声をかけたことと関係はあるのか?」

 蒼空が訊ねると、雪嗣が小さく肩を竦めたのがわかった。

「思えば、俺は生まれた時から神だった。幼少期もなにもなく、気が付いたら俺は俺として完成していた。子どもの遊びなんて、永らく生きてきたが知らなかったんだ」

 雪嗣はフッと気の抜けた顔をすると、クスクス笑いながら言った。

「初めは、ただの気まぐれだった。でも、お前たちと初めて一緒に遊んだ時、それがやけに楽しくて。その晩は、興奮して夜も眠れないくらいだったよ。馬鹿みたいだろう。ただの子どもの遊びだ。他愛のないごっこ遊び。でもそれは、俺には初めての体験だったんだ」

 だからやめられなくなったのだ、と雪嗣は少し恥ずかしそうに語った。

 来る日も来る日も、ただの子どもとして野山を駆ける日々。

 当時のことを思い出しているのだろう。雪嗣はうっとりと目を瞑って語る。

「心が躍ったよ。なんでもないことが無性に楽しかった。身体の年齢に心が引きずられていたのかも知れない。簡単に捨てたくないと思うくらいには、お前たちと過ごす日々に夢中になった」

「…………雪嗣」 

 思わず蒼空が名を呼ぶと、雪嗣はおもむろに手を伸ばしてきた。そして、蒼空の頭にポン、と手を乗せると、やや乱暴な手付きで撫でくり回す。

「お、おい。餓鬼じゃねえんだから……」

 蒼空が堪らず抗議の声を上げると、雪嗣はまるで子ども時代を思わせるような無邪気な笑みを浮かべて言った。

「蒼空からすれば不可解だろうな。神の癖に、しかも随分と永いこと生きている癖に、人とは違うものの癖に――俺は、お前たちと同じ子どもでいたかった」