「なんで俺がこんなこと」

 それは龍沖村の龍神、雪嗣だった。

 普段の白衣に袴姿とは違い、白いパーカーにハーフパンツとラフな恰好をしている。足を水に浸けて、流れをせき止めた場所に大きなスイカが浮かんでいるのをぼんやり眺めている姿は、誰が彼を龍神だと思うだろうか。

 そんな雪嗣の様子に叶海はくすりと笑うと、不満でいっぱいらしい彼に声をかけた。

「別にいいでしょ。一緒に遊ぼうよ!」

 ラッシュガードにショートパンツの水着を着て、膝まで水に浸かった叶海は雪嗣へと手を差し伸べた。しかし、雪嗣はどんよりした表情のまま、差し伸べられた手を見つめるばかりで、そこから動くつもりはないようだ。

「子どもじゃあるまいし、川に入ってどうするんだよ」

「まあなあ。俺ら、もう水遊びではしゃぐ歳じゃねえよな」

 雪嗣のローテンションな言葉に追従したのは蒼空だ。彼も、今日ばかりは黒衣に袈裟ではなく、黒いタンクトップにハーフパンツの水着を身につけている。一応、水に入ってもいいように準備はしてきたものの、雪嗣同様に遊ぶつもりはないらしい。

 すると、叶海はぷっくりと頬を膨らませた。

「今日は気晴らしに付き合ってくれるって言ったじゃない! 苦労してた仕事が一段落したんだから、これくらい……」

 すると叶海は、昨日までの自分の状況を思い出して身震いした。

 昨日やっと仕上げた仕事が、これまた難産だったのだ。

「フフ、フフフ。もうちょっとイイ感じでお願いしますってなに。イイ感じってどんな感じ!? 社会人なら主語述語目的語を使ってつまびらかに説明しろ、お前の頭は空っぽか!?」

 苛立ち混じりに水を蹴る。叶海をここ一ヶ月の間悩ませていたのは、アトリエで働いていた時に知り合った人から振られた仕事だった。

 とある企業のパンフレットに使うイメージイラストの作成で、元々の担当が逃げてしまったからと泣きつかれたその仕事は、叶海でさえ逃げたくなるほどクライアントが酷かったのだ。

「お気持ちで直されたら、こっちは溜まったもんじゃない。ええい滅せよ!」

 まるでお腹を空かせた肉食獣のように荒ぶり、叶海が万感の思いを込めて叫ぶと、近くで遊んでいた子どもが逃げていった。

「ママ~。あのおねえちゃん、怖いよ」
「しっ……。見ちゃ駄目よ。人生って色々あるの。放って置いてあげなさい」
「……知らない人に同情された!」

 ――うう。鎮まれ、私……!

 叶海が思わず水の中に座り込むと、雪嗣と蒼空は顔を見合わせて苦笑を零した。

「オイオイ、今日の叶海は荒れてんなあ」

「ここ一ヶ月は目が死んでいたからな……」