雪嗣の言葉に、叶海の肩がぴくりと揺れる。絶え間なく涙を零しながら、イヤイヤと首を振る叶海に、雪嗣はゆっくりと噛みしめるように言った。

「俺は、万が一にでもお前が傷つくのは嫌だ。記憶をなくせば俺への想いもきっとなくなるだろう。心に傷ができたことすら忘れる。だから眠れ。ゆっくり、心穏やかに」

 そして叶海の首筋に顔を埋めて、まるで希うように囁いた。

「お前と出会えて、本当によかった。幸せになれ、叶海。誰よりも幸せに。俺のいない世界でも、いつもみたいに笑っていてくれ」

 叶海は懸命に雪嗣の身体にしがみつくと、声を振り絞るように叫んだ。

「嫌。嫌だ! 私、絶対に忘れない。ううん、たとえ忘れたとしても――また、雪嗣を好きになる。絶対。絶対だよ……!」

 すると、ぶつんと叶海の耳の奥で鈍い音がした。

 その瞬間、叶海の意識が闇に沈み込む。ぐったりと脱力した叶海を横たえた雪嗣は、震える唇を真一文字に引き締めて、再び天を仰いだ。

「叶海。俺はきっと、お前のことが――……」

 小さな村の上空に垂れ込める黒雲から、ちらちらと雪が舞い降り始めている。

 頬を撫でるのは、乾ききった冷たい風だ。肌がひりつくほどに冷え切ったその風は、雪嗣の身体に、そして倒れている叶海へ容赦なく吹き付けた。
 まもなく、龍沖村は白く染まるだろう。

 山々も木々も家も――すべてが凍てつく季節がやってくる。

 長く、冷たく、厳しい冬の訪れである。