クソ狸に散々笑われた後、用済みとばかりに追い出された俺は、美姫と共に教室へ戻った。

「はい、あーん」

「あのなぁ…俺ら今日で初対面だよな?」

「恋人なんだし、それくらい良いじゃん!」

美姫は女の子らしいピンク色に小熊が描かれている弁当箱を使っており、ただいま彼女は絶賛俺にウィンナーを刺したフォークを向けている。

どこからともなく、あいつ、あんな美少女にあーんされているのに嫌々とかありえねえ!というような声が聞こえるが、無視だ無視。

俺だってこの状況を望んでいるわけではないんだ。

「はぁ、いただきます」

ここで駄々をこねても仕方がないので、とりあえずいただくことにする。

「どう?」

「うん、まあ、美味しいよ」

「えへへ〜良かったぁ」

とろけそうな表情を俺に向けてくるが、微塵たりとも可愛いなどと思ってやるものか。
こいつは、こういう顔をしておいて中々に良い性格をしているからな。

会ってから数時間しか経っていないが、その間に彼女が大体どういう人間かが見えてきた俺は、油断しないように少しばかり警戒心を上げておく。

「はいはい、ありがとう。 あとは自分で持ってきた弁当を食べるから」

「ダメだよ! 今度は夏眠が私にあーんする番でしょ?」

「は?」

至極当然なことを言っているような美姫の表情に、俺は固まった。

「ほら! ボーッとしてないで、こうやって」

彼女は俺の手に自分の手を重ねると、勝手に俺の弁当の中にある豚肉を挟んで自分の口に運んだ。

「ん〜!! おいしい! これ誰が作ってるの?!」

「え、あぁ、自分だけど…」

「え、本当に!? 今度私に作ってよ!!」

本来は彼氏が彼女にかけるであろう言葉が、今では真逆になっていることに気づかないほど、俺は彼女の脳内が気になって仕方がなかった。

どうやらこの目の前で幸せそうにしている女の子は、想像以上に厄介なのかも知れない。

「なあ、夏眠、今日みんなで遊びに行くけど、お前も来ないか?」

そう考えていると、坂木が話しかけてきた。

「あ、関上さんも是非きてよ!」

「お誘いありがとう、でも私は夏眠と一緒にいたいから、彼が行くなら私もいくわ」

「俺は興味ない、お前らで楽しんでこい」

どうせ行ったところで話したこともない奴らしかいないので、俺はいつものように断った。
すると、美姫も俺を見てから坂木に向かって軽く肩をすくめた。

「そっかぁ…一回くらい他のやつとも遊んでみれば良いのに」

「まあ、いつかな?」

「おっけー、気が向いたら俺を呼んでくれ、いつでも暇だからな」

「了解、ありがとな」

「ありがとう、坂木くん」

彼が去ると、今度は美姫が俺をじっと見てきた。

「なんだよ」

「行かなくて良いんだ」

「別に良いだろ、俺の自由だし」

「とか言っちゃって、本当は私と一緒にいたいからじゃないの?」

「適当なこと言うな!」

あまりの馴れ馴れしさに、俺は思わず席から立ち上がる。

「ちょっと、夏眠!」

財布だけ持って素早く教室から出ていくと、後ろから聞こえてくる美姫の声を振りほどくように廊下へ飛び出た。

その後は無心で走り続け、とうとう校庭まできた俺は、適当に人に見つからないような場所で寝転がった。

制服が汚れる心配よりも、美姫から逃げられたことに安堵を覚える。

見た目が可愛いと言うことは認めるが、あの積極さはなんだ?

「はぁ」

今日一日の出来事を思い出すと、頭が痛くなる。

そのまま授業には出ないでおこう。

目を瞑ると、いつの間にか寝てしまった俺が次に目覚めたのは、すでに放課後になる数分前だった。

もともと放課後になるまでここにいようと思っていたから、タイミング的には問題ない。

適当に時間をやり過ごすと、ようやく授業終わりのチャイムが鳴り響いた。

しばらくすると校舎内が騒がしくなり、少しずつ制服を着た生徒が校門から出ていくのが見えた。

そろそろ戻ろう。

俺は立ち上がって制服についた汚れを軽く手で叩くと、美姫にばったり会わないよう細心の注意を払って自分の教室へ戻った。

チラッと教室内部を覗き、掃除当番の数人しか残っていないのを確認してから、美姫の机の方へ目をやった。

よし、バッグはもう置いてない、やっと帰ったか。

俺と掃除当番以外は、誰の荷物も教室になかった。

素早く自分の荷物を整理すると、バッグを背負って教室を出た。念のため廊下でも気をつけながら歩き、ようやく校舎から脱出することができた。

「あ、夏眠! 待ったよ〜!」

ギクッ!

校門を出てすぐにかけられた聞き覚えのある声に、俺は肩を震わせた。

まさか…そんなはずは…

自分の願いとは裏腹に、美姫はひょいっと俺の顔を覗くように姿を現した。

「さっきからどこにいたの?」

「いや、ちょっと外の空気を吸ってた…」

「そうなんだ! さ、一緒に帰ろう!」

「え?」

そう言うと同時に、彼女は慣れた手つきで俺の腕に抱きつく。
夏という暑苦しい季節な上、ずっと校庭にいた俺は汗でベタベタしているのにも関わらず、彼女は何事もないようにくっついてきた。

「お、お前の家はどこなんだよ!」

「家? 私の家はあなたの家だよ?」

これまた至極当然なことのように言い放つが、高校一年生の言って良い台詞ではない。

「いや、おかしいって、自分の家に帰れって俺は言ってるんだ」

「だから、私の家は夏眠の家なの!」

「正気か…?」

「何を言ってるの、さっさといこ!」

引き気味な俺に、美姫は積極的に腕を引っ張って歩きはじめる。
だが、俺の家の場所がわからないのか、すぐさま立ち止まって困ったように俺を見た。

「家、案内してよ」

「はぁ、自分の家もわからないのか?」

「教えてくれたら次からわかるよ!」

「じゃあ教えないでおくわ」

ここで教えてしまったら、俺から自分の家が美姫の家であることを認めてしまうことになる。
同じ手に引っかかるものか。

案の定、罠にはまらない俺を見て美姫は不満そうに口を尖らせた。

「別に教えてくれたって良いのに」

「いやだね、じゃ、俺は先にいくから」

悲しそうにションボリする美姫をおいて、俺は一人でに歩き始めた。
すると、数歩あるいた先で彼女がついてきていることに気がつき、俺は怒ったように彼女の方へ振り返った。

「ついてくるな」

「私は自分の家に帰るだけだもん」

相変わらず可愛げもなく口を尖らせている彼女に、俺は思い切って走ることにした。

「あ、待てー!!」

美姫も負けじと走りだし、急いで俺の後を追う。

「待てって言われて待つ奴がいるかっての!」

俺はどんどんスピードを上げていき、やがて彼女の姿が見えなくなってから、適当な場所でタクシーを呼んで帰っていった。

流石に息も絶え絶えな状態でこれ以上歩きたくはない。

やっと巻けたか。

俺は息を整えながら、時折タクシーの中で後ろを振り向いて姿を確認するが、彼女の姿どころか、影ひとつ見当ることはなかった。

そのまま家に着き、制服を脱いで軽くシャワーを浴びると、倒れ込むようにベッドに潜り込んだ。

だが、やっぱりというか、美姫の追跡からそう簡単に逃れるはずがなかった。

次の日の朝、俺は学校へ行く支度をしている時、突如インターホンが鳴ったと思えば、「おはよ〜!」と昨日嫌ほど聞いた声が扉の向こうから聞こえてきた。