*
「お菊さん、やりすぎ!」
『そう? 店を燃やさなかっただけマシよ』
「そうなんだけどね? いやそれも駄目なんだけど!」
帰りの電車の中、普通の人には見えないという狐の姿に戻ったお菊さんは、作間くんの肩でくつろいでいた。人が少ないとはいえ、作間くんの肩に向かって話している図は、周りにしてみれば異様な光景だろう。
「でも菊がそこまでやるとは思ってなかったよ」
『だって妖狐の私に汚い手で触れたのよ? 当然の仕打ちなんだから』
百々目鬼が嗤った瞬間、店長とマネージャーは店の外まで聞こえるほどの悲鳴を上げると、そのまま倒れて気絶してしまった。
叫び声に気付いて、事務所からスタッフが慌ててくると、いつの間にか女性の姿に戻ったお菊さんが駆け寄ってきたスタッフに怯えて作間くんに抱き着いた。
「肩を、急に触られて……っ、ううっ……」
「だ……大丈夫だよ、いくら店長さんの鳩尾に肘がクリーンヒットして、その後ろに来ていたマネージャーさんと玉突き事故になるとは、誰も想像できないよ」
咄嗟にしては随分現実的な作り話だったが、床で倒れている二人の顔や悲鳴からして、偶然起きたことではないと察しながらも、誰も本当のことを問うことはしなかった。
店長とマネージャーはショップスタッフによって事務所の奥へ引きずられていった。
お菊さんの話と先程作間くんが撮影していた動画から、スタッフは深々と頭を下げて二人に謝罪した。更にカフェで使える無料のドリンクチケットを渡すというアフターケアまで行い、会社にも報告すると約束してくれた。
ちなみに間近で見ていた奥山さんは不思議そうな顔をしていた。
いつの間にかお菊さんが妖術で記憶を封じていたらしく、奥山さんは別の作業をしていて現場を見ていないことになっている。
そして何事もなかったように、店を出て電車に乗っているのだが、狐の姿に戻ったお菊さんはやけに作間くんにくっついている。
「菊、もしかしてあの姿になって疲れちゃった?」
『そうね。数年ぶりかしら』
「え? じゃあ、青い着物を着ていたのが、お菊さんの本当の姿? でもきーくんって……」
あの短時間の中で容姿を四回も変えている。彼女を妖怪だと知らない側からしたら目を回してしまいそうだ。
お菊さんは自慢げに鼻を鳴らした。
『妖狐は化かすのが得意なの。本来の姿になって脅かしてやれば、少しは自重するかと思って。……まぁ、学ばない人間もいるからこれくらいしかできなかったけどね』
「これくらいって……どうして? もしかしたらお菊さんのこと悪く言われるかもしれないのに」
『……百々目鬼がどうして最後に人間たちに嗤ったか、貴女にはわかる?』
作間くんの肩から少し体を起こしたお菊さんに問われるが、なんて答えたらいいのかわからない。黙っていると、彼女は口を開いて教えてくれた。
『妖怪は人間によって生み出された存在なのは知っているでしょう?
大昔に流行った疫病も、生贄や人柱の風習も、妖怪や守り神といった、目に見えない存在を人間は作り出した。時に憎み、時には称え敬う。それでも結局、最後はその存在を畏れるのよ。
妖怪にとって、それがだんだん楽しくなってきちゃってね、人間の泣きっ面が見たくて悪戯する妖怪なんてそこら中にいるわ。
百々目鬼はね、嬉しいのよ。
今まで隠れていた自分の存在を知って驚いて、泣き叫んでくれる人間がいることが。……それが、百々目鬼にとっての存在意義みたいなものなんでしょうね。
私も随分人間を見てきたけれど、どれもくだらない人間ばかりだったわ。
土地神だと祀れば何でも頼み、化け物だと誰かが口走れば広がって妖怪を追い出そうとする。
作物が実らないのは、金が手に入らないのは、貧困で不平等な世の中があるのはお前らのせいだと、何かしら理由をつけて傷つけ、手にかけようとする。
……本当、無様でつまらない存在だわ。
……でもね、誰かのせいにしないと感情の逃げ場ができないのが人間だってことは、誰よりも知っているつもり』
それが当然だといって話すお菊さんは、どこか寂しそうに見えた。
確かに本来の姿の彼女と目が合った時、あまりにも綺麗で儚い笑みに息をするのを忘れてしまいそうだった。たった一瞬の、もしかしたら二度と見られない表情に魅入られて、気付かないうちに鬼火の灰になっていたかもしれない。人間はなんて醜くて、貪欲なんだろう。
畏れる存在として生まれた妖怪は、人間をつまらないと嗤う。それでもいくつもの時代を越えて、人間を見てきたからこそ、思ったことなのかもしれない。
気まずくなって視線を逸らすと、お菊さんが小さく笑った。
『何黙っているの? 久野が落ちこむ理由はないじゃない。私が妖狐として、本来の存在意義を表しただけのこと。だから貴女、マネージャーとかいう人間の話に一方的に負けるのよ。コーヒーこぼしたうえ、トーストまで焦がしちゃって……そんな感情の浮き沈みが激しいと、仕事も手に付かなくなるのよ』
……ん?
顔を上げてお菊さんを見る。隣では作間くんも不思議そうな顔をしていた。
どうして彼女が私とマネージャーの会話の内容と、その後のやらかしを知っているんだ?
『何よ、二人してその顔は。あの時より前からずっと、私はお客として店に行ってたのよ』
「……は!?」
お菊さんのカミングアウトに、私も作間くんも目を丸くして驚いた。
『気付いてなかったの? 男にも女にも化けられるんだから、何者にでもなれるわよ』
「ちょっと待って、俺も知らなかったんだけど、いつから……?」
『久野ががしゃどくろに足首を持っていかれそうになった時。ほら、作間が家まで送っていった時、変人に頼まれたのよ。名簿を持っているにしても、商店街から離れた場所で狙われている可能性もあるから、見張れって』
変人……つまり、本谷さんのことだろう。
まさか見守られていたとは思ってもいなくて呆気を取られていると、その表情がおかしかったのか、お菊さんが笑った。
「じゃあ、ヒロさんが呼んでた『きーくん』って、やっぱりお菊さんだったの? 私、最初作間くんと見間違えたんだよ」
まだ本谷さんとしか面識が無かった時に、彼と一緒に入ってきた青年を思い出す。髪色や顔つきこそ違うが、遠目から見たら双子かと思うくらいそっくりだった。
そのことを伝えると、お菊さんと作間くんはどこか気まずそうに目を逸らす。が、すぐにお菊さんが何事も無かったように口を開いた。
『……まあ、作間とずっと一緒にいるんだから似ていてもおかしくはないわ。それに作間以外と行動するときはその男の姿が多いわね』
「そう言えば……俺の時だけ女の子の姿だよね。なんで?」
『そ、それは……』
「いつもの菊も可愛いけど、きーくんの時の姿もかっこよくて好きなのに。俺と一緒に男の姿で歩くのは嫌かな?」
『……そんなこと、聞かないでよ! 馬鹿っ!』
「あだっ!」
不思議そうな顔をして作間くんが問うと、お菊さんは頬を赤らめて彼の頬に尻尾をまわして叩いた。そのまま彼の肩から飛び移って私の腕の中にすっぽり収まると、相当恥ずかしかったのか、頭をぐりぐりと押し付けてくる。
隣で「なんで……?」と頬を抑えながら呟く作間くんにはわからないだろう。
彼女だって立派な女性なのだ。少しくらい可愛いと思われたいに決まっている。
「……作間くん、どんまい」
「だから俺は何をしたの!?」
お菊さんの頭を片手で撫でながら作間くんに哀れみを込めて言うと、更に困惑していた。
「お菊さん、やりすぎ!」
『そう? 店を燃やさなかっただけマシよ』
「そうなんだけどね? いやそれも駄目なんだけど!」
帰りの電車の中、普通の人には見えないという狐の姿に戻ったお菊さんは、作間くんの肩でくつろいでいた。人が少ないとはいえ、作間くんの肩に向かって話している図は、周りにしてみれば異様な光景だろう。
「でも菊がそこまでやるとは思ってなかったよ」
『だって妖狐の私に汚い手で触れたのよ? 当然の仕打ちなんだから』
百々目鬼が嗤った瞬間、店長とマネージャーは店の外まで聞こえるほどの悲鳴を上げると、そのまま倒れて気絶してしまった。
叫び声に気付いて、事務所からスタッフが慌ててくると、いつの間にか女性の姿に戻ったお菊さんが駆け寄ってきたスタッフに怯えて作間くんに抱き着いた。
「肩を、急に触られて……っ、ううっ……」
「だ……大丈夫だよ、いくら店長さんの鳩尾に肘がクリーンヒットして、その後ろに来ていたマネージャーさんと玉突き事故になるとは、誰も想像できないよ」
咄嗟にしては随分現実的な作り話だったが、床で倒れている二人の顔や悲鳴からして、偶然起きたことではないと察しながらも、誰も本当のことを問うことはしなかった。
店長とマネージャーはショップスタッフによって事務所の奥へ引きずられていった。
お菊さんの話と先程作間くんが撮影していた動画から、スタッフは深々と頭を下げて二人に謝罪した。更にカフェで使える無料のドリンクチケットを渡すというアフターケアまで行い、会社にも報告すると約束してくれた。
ちなみに間近で見ていた奥山さんは不思議そうな顔をしていた。
いつの間にかお菊さんが妖術で記憶を封じていたらしく、奥山さんは別の作業をしていて現場を見ていないことになっている。
そして何事もなかったように、店を出て電車に乗っているのだが、狐の姿に戻ったお菊さんはやけに作間くんにくっついている。
「菊、もしかしてあの姿になって疲れちゃった?」
『そうね。数年ぶりかしら』
「え? じゃあ、青い着物を着ていたのが、お菊さんの本当の姿? でもきーくんって……」
あの短時間の中で容姿を四回も変えている。彼女を妖怪だと知らない側からしたら目を回してしまいそうだ。
お菊さんは自慢げに鼻を鳴らした。
『妖狐は化かすのが得意なの。本来の姿になって脅かしてやれば、少しは自重するかと思って。……まぁ、学ばない人間もいるからこれくらいしかできなかったけどね』
「これくらいって……どうして? もしかしたらお菊さんのこと悪く言われるかもしれないのに」
『……百々目鬼がどうして最後に人間たちに嗤ったか、貴女にはわかる?』
作間くんの肩から少し体を起こしたお菊さんに問われるが、なんて答えたらいいのかわからない。黙っていると、彼女は口を開いて教えてくれた。
『妖怪は人間によって生み出された存在なのは知っているでしょう?
大昔に流行った疫病も、生贄や人柱の風習も、妖怪や守り神といった、目に見えない存在を人間は作り出した。時に憎み、時には称え敬う。それでも結局、最後はその存在を畏れるのよ。
妖怪にとって、それがだんだん楽しくなってきちゃってね、人間の泣きっ面が見たくて悪戯する妖怪なんてそこら中にいるわ。
百々目鬼はね、嬉しいのよ。
今まで隠れていた自分の存在を知って驚いて、泣き叫んでくれる人間がいることが。……それが、百々目鬼にとっての存在意義みたいなものなんでしょうね。
私も随分人間を見てきたけれど、どれもくだらない人間ばかりだったわ。
土地神だと祀れば何でも頼み、化け物だと誰かが口走れば広がって妖怪を追い出そうとする。
作物が実らないのは、金が手に入らないのは、貧困で不平等な世の中があるのはお前らのせいだと、何かしら理由をつけて傷つけ、手にかけようとする。
……本当、無様でつまらない存在だわ。
……でもね、誰かのせいにしないと感情の逃げ場ができないのが人間だってことは、誰よりも知っているつもり』
それが当然だといって話すお菊さんは、どこか寂しそうに見えた。
確かに本来の姿の彼女と目が合った時、あまりにも綺麗で儚い笑みに息をするのを忘れてしまいそうだった。たった一瞬の、もしかしたら二度と見られない表情に魅入られて、気付かないうちに鬼火の灰になっていたかもしれない。人間はなんて醜くて、貪欲なんだろう。
畏れる存在として生まれた妖怪は、人間をつまらないと嗤う。それでもいくつもの時代を越えて、人間を見てきたからこそ、思ったことなのかもしれない。
気まずくなって視線を逸らすと、お菊さんが小さく笑った。
『何黙っているの? 久野が落ちこむ理由はないじゃない。私が妖狐として、本来の存在意義を表しただけのこと。だから貴女、マネージャーとかいう人間の話に一方的に負けるのよ。コーヒーこぼしたうえ、トーストまで焦がしちゃって……そんな感情の浮き沈みが激しいと、仕事も手に付かなくなるのよ』
……ん?
顔を上げてお菊さんを見る。隣では作間くんも不思議そうな顔をしていた。
どうして彼女が私とマネージャーの会話の内容と、その後のやらかしを知っているんだ?
『何よ、二人してその顔は。あの時より前からずっと、私はお客として店に行ってたのよ』
「……は!?」
お菊さんのカミングアウトに、私も作間くんも目を丸くして驚いた。
『気付いてなかったの? 男にも女にも化けられるんだから、何者にでもなれるわよ』
「ちょっと待って、俺も知らなかったんだけど、いつから……?」
『久野ががしゃどくろに足首を持っていかれそうになった時。ほら、作間が家まで送っていった時、変人に頼まれたのよ。名簿を持っているにしても、商店街から離れた場所で狙われている可能性もあるから、見張れって』
変人……つまり、本谷さんのことだろう。
まさか見守られていたとは思ってもいなくて呆気を取られていると、その表情がおかしかったのか、お菊さんが笑った。
「じゃあ、ヒロさんが呼んでた『きーくん』って、やっぱりお菊さんだったの? 私、最初作間くんと見間違えたんだよ」
まだ本谷さんとしか面識が無かった時に、彼と一緒に入ってきた青年を思い出す。髪色や顔つきこそ違うが、遠目から見たら双子かと思うくらいそっくりだった。
そのことを伝えると、お菊さんと作間くんはどこか気まずそうに目を逸らす。が、すぐにお菊さんが何事も無かったように口を開いた。
『……まあ、作間とずっと一緒にいるんだから似ていてもおかしくはないわ。それに作間以外と行動するときはその男の姿が多いわね』
「そう言えば……俺の時だけ女の子の姿だよね。なんで?」
『そ、それは……』
「いつもの菊も可愛いけど、きーくんの時の姿もかっこよくて好きなのに。俺と一緒に男の姿で歩くのは嫌かな?」
『……そんなこと、聞かないでよ! 馬鹿っ!』
「あだっ!」
不思議そうな顔をして作間くんが問うと、お菊さんは頬を赤らめて彼の頬に尻尾をまわして叩いた。そのまま彼の肩から飛び移って私の腕の中にすっぽり収まると、相当恥ずかしかったのか、頭をぐりぐりと押し付けてくる。
隣で「なんで……?」と頬を抑えながら呟く作間くんにはわからないだろう。
彼女だって立派な女性なのだ。少しくらい可愛いと思われたいに決まっている。
「……作間くん、どんまい」
「だから俺は何をしたの!?」
お菊さんの頭を片手で撫でながら作間くんに哀れみを込めて言うと、更に困惑していた。