退職することを店のアルバイトに伝えると、残念だという声をかけてくれた。
 中でも事情を知らない子からは「店長と和解してほしかった」とも言われたが、詳しい話はせずに何もできなかったと一言だけ伝えた。

 怒鳴り散らした一件で気まずくなったのか、被らないように組まれたシフトのおかげで店長とはあの日以来会っていない。
 それを利用して、ラテアートの練習として牛乳を一日一本程度は使って良いという曖昧な決まりを内緒で三本以上使わせてもらった。店長の見ていないところで範囲内での使用はセーフ。これも暗黙の了解だ。
 残りわずかの勤務の中でできることをして、私だけが片付けていた掃除の箇所や食材の保存、デザートの作り方諸々を、ほぼ毎日いる原田さん達に伝えた。

 これは奥山さんから聞いた話、石田さんや原田さんが最後までマネージャーに交渉してくれたらしい。この店には久野が必要だって。その認識をしてくれただけで私は嬉しかった。
 最終的には「一部スタッフが『久野を辞めさせたい』と店長に相談しており、不真面目な勤務態度とスタッフへのセクハラ行為が確認できたため会社が了承した」ことになっているらしい。

 ――なんてふざけた話だろう!

 何か正しい話なのかは、もう誰にもわからない。
 私がわかっていることとすれば、店長にプレッシャーを与えてしまった罰として、やってもいない理由で自主退職させられた、ということだけだ。

 退職届は全員が最初に確認する連絡ノートに、「久野さん、書いてください」とメモ書きされた封筒が挟まれて置かれていた。まだ記入していないとはいえ、重要書類は金庫に入れるべきだろう。
 既に覚悟はしていたけどやっぱりどこか納得できなくて、でも今更辞めたくないとも言えないから、封筒から取り出した退職届を一度ぐしゃりと握り潰した。
 退職理由には「店舗による不当解雇」と書いたけど、きっとこれを見て確認の電話を入れる社員はいない。店長の押印も押さずにポストに投函されたくらいなのだから。