『回送電車が通過致します。ホームの黄色い線から下がってください。――』

 地下鉄のホームにアナウンスが流れてくるのが聞こえる。
 横から突っこんでくる衝撃にそのまま倒れ、ガタンガタンと電車が走る音がどんどん近づいてきて、耳元で車輪が線路の上を通過したと共に生ぬるい突風に煽られた。

 しかし、電車に衝突した割には真横に倒れ、頬に冷たいコンクリートが当たる感覚と脇腹に重みがのしかかるだけで、ほとんど痛みを感じない。
 不思議に思ってそっと目を開いてみると、越えたと思っていた黄色の点字ブロックは視界の隅にあって、目の前には衝突するはずの回送電車が通過していた。

 腹部に感じる重みに目を向けると、見慣れた二人――作間くんとお菊さんが重なるようにして私に抱き着いていた。どかそうと体を動かすと、一番密着している作間くんが腹部に回している腕の力を強めた。

「通過するまで動かないで。危ないから」

 苛立ちがこもった低い声に、思わず抜け出そうとする腕を止めた。普段キレない人が怒るのは、鬼よりも怖い。
 視界だけで確認する限り、黄色の点字ブロックを片足が越えたところで横から走ってきた作間くんとお菊さんに抱き突かれてその場に倒れ込んだようだった。
 回送電車だった為にこの駅のホームに停車することはなかったが、汽笛の音が聞こえなくなるまで二人は私にしがみついたままでいた。
 電車が通過して音が遠くなると、二人は顔を上げた。

「……ったく、作間になんてことしてくれてんの!? 手間かけさせるんじゃないわよ!」
「菊、今そんなことどうでもいいから」
「どうでもよくないわ! 私にとって作間が助けたい人間を守るのは当たり前なの。例え死にたがりでも守れるものは守るわよ」
「わかったから。その話は後で聞く。そんな怒鳴り方をしたら久野さんが困るでしょ。……久野さん、大丈夫?」
「…………なんで」

 なんで止めたの?
 目の前で痴話喧嘩を始めた二人に呆気をとられながらも問う。

 考えることに疲れた。自分を否定される声を聞きたくなかった。あわよくばここで自分がいなくなれば、無かったことになるんじゃないかと、都合のいいことが頭をよぎった。

 自分勝手に飛び込んだにも拘わらず、私は死ぬことも電車に轢かれることもできなかった。
 まだ知り合って数日しか経っていない他人同然の彼らは、どうして私なんかを助けた?
 すると作間くんは私を見て小さく息をつく。

「正直、止めなくてもよかったかもね」
「じゃあなんで……っ」
「前もそうだった。ここのホームに入ってくる電車の前に飛び出そうとして、久野さんは点字ブロックを越えた。……いや、片足だけ越えたけど踏み止まった。俺達が間に合わなかったとしても、久野さんは今回も踏み留まったと思うよ」

 作間くんは立ち上がって軽く膝や手を払うと、少し屈んで私の目を見て見透かしたように言う。
 彼はどうして私が前にもホームに飛び込もうとしたのを知っているんだろう。また読んだとでも言うの?

「読んでないよ。そもそも、俺は人の考えていることを察しやすいだけであって、読み取ることなんてできない」
「は……なにそれ、鎌かけたの? そうやって楽しんでたの?」
「でも同じ状況だったことは知ってたよ。このホームで、入ってきた電車の前に飛び込もうとしたのを、実際に目の前で見た」

 作間くんは視線を逸らして言った。

「俺、去年のこの時期に反対側のホームで久野さんを見てたんだよ」