「……間違ってますか」
「ん?」
「アルバイトが社員以上に店のことを考えて、真面目に働くことの何が悪いんですか?」

 もう無理。

 せめて手が出ないようにリュックを強く抱き締めながらも、今まで言いたかったことが喉まで押し上げて、口が勝手に喋り出す。

「お客様もスタッフも店内の様子すら何も考えないでオーダーを流したうえ、間違っていたことに非を認めず、アルバイトがそれをフォローするのが当たり前だと振る舞うのは、社員としてどうなんですか?
 新人の教育だって、基本的に社員の仕事じゃないんですか?
 賞味期限や食材の管理だって中途半端で、掃除も雑に終わらせてやったつもり。
 ……他人の口に入るのが前提にある仕事なのに、どうしてそこまで軽んじて仕事できるのか。
 お金を頂戴しているにも関わらず、カビの生えたもの提供するのに抵抗はないのか。
 衛生責任者として、飲食店の店長としての自覚が圧倒的に欠けていると思います。
 管理の問題は自分の話じゃない? 何とぼけたこと言ってるんですか?
 たかが食材の保存一つで問題が起こらないとでも思っているのなら大間違いです。
 管理をしているのは店長である貴方でしょう?
 どう考えても、これは貴方の勤務態度の話です。随分おめでたい頭で幸せですね」

 店長が口を挟む隙を与える間もなく、遮るように暴言を吐く。これが会社に訴えられても味方がいないのは明白だから、怖いものなんてない。

「マネージャーはこの店を『飲食店として扱っていない』と言っていました。たとえメニューがこれまでと大きく変わろうとも、お客様への対応は今までと変わることはないでしょう。お客様を放って、自分を可哀想だと言ってくれる味方だけに媚びを売って、自分の保身のことしか考えない。これは店として良いことでしょうか」

 違う。そんな他人のどうでもいいことを言いたいんじゃない。

「どうして……」

 声が震える。でも言いたくて言いたくて言いたくて仕方がなかった。

「どうして、真面目に働いた私がなんで、店長とマネージャーの私情だけで、『自主退職』の名目でクビにされなくちゃいけないんですか……っ!」

 ああ、プライバシーもデリカシーもクソもない。
 受けた屈辱を他人が知ることは絶対にないことも、店長に言ったところで何も変わらないのはわかってる。

 わかってるけど、どうして直接言葉にしても気付かない? どうして伝わらない?

 この怒りでさえも嘘に見えるのなら、本当に私が法螺吹きみたいじゃないか!

「……私、飲食店で働く人間として間違ってましたか?」

 殴りたい衝動を押さえつけて、絞り出して問いかけた声は震えていた。
 これ以上言いたくない。黙りたい。ここから立ち去りたい。そう思いながらも、怒りに任せて口は勝手に言葉を紡ぐ。
 お客様が誰もいないとはいえ声を荒げる私に、店長は変わることなくただただ嘲笑っている。先程まで辺りを見回していた無数の赤い目はすべて私に向かっていた。馬鹿にするような見下す目に、本当に自分が惨めに思えてきた。

「それは俺にはわからないよ。仕事に関しては無関心でやってるからね」 

 無関心で接客されてたまるものか。 

「……そうですか、無関心だから、間違ってる知識をペラペラ喋っていても、恥ずかしいと思わないんですね。お客様を侮辱していることに気付かないんですか」
「またそういうこと言うの? 文句ばかり言うならシフト減らすよ?」

 笑いながらも脅迫してくる。充分なパワハラじゃないか。

「すみません。その話、二回目なんですよ。……もう結構です」

 気が付けば私は作間くんとお菊さんを置いて店から飛び出した。
 春先ながらも頬を切る風は冷たくて、苛立つ思考をどうにか抑えながら地下鉄の駅のホームへ向かう。
 点字ブロック前まで行くと、荒い息を整えるために何度か深呼吸をした。肺に入ってくる空気は埃っぽくて、気持ち悪いほど生ぬるかった。
 黄色の線を越えた先には線路があって、これから入ってくる電車のライトが遠くから照らし始めていた。

 ふと、ここで死んでしまえば全部無かったことになるのでは、なんてふざけた考えが頭をよぎる。横目でライトの先を見ると、あと少しで目の前を通る位置まで入ってきていた。すると、手の力が抜けたのか、抱しめるように持っていたリュックをその場に落とした。足は既に、線路に向かっていた。

 ――考えるの、もう疲れたなぁ。

 人はこんな簡単に命を投げ出せるのか。
 呑気に思いながら目を閉じて、ホームに入ってくる電車に合わせて点字ブロックを越えた。