その日の仕事っぷりは最悪だった。
オーダーを間違え、コーヒーをこぼし、注文の入ったトーストを焦がす。普段ならしない失敗を繰り返していろんな人に迷惑をかけてしまった。
まだお客様にかけたりするような事態にはならなかったことと、店長がシフトに入っていなかったことは不幸中の幸いだったかもしれない。
マネージャーは私との面談が終わると、お冷用の紙コップにバッグから取り出したペットボトルに入ったメロンソーダを移し、飲みながらパソコンと向き合っていた。小一時間ほど長居して帰っていったが、当然のように紙コップは置かれたままだった。
ちなみにこのカフェのメニューにはメロンソーダはない。
空元気が目に見えてわかったのか、同じシフトに入っていた奥山さんと原田さんにはすぐバレて、閉店後の閉め作業をしながら、マネージャーとの面談の様子を話した。
話し終えた頃には全ての閉め作業が終わっており、原田さんは呆れた顔をしていた。
「頭下げろって……マジで?」
「会社は社員を守るのが当たり前。……アルバイトは切り捨ててなんぼですね……」
掃除したばかりのカウンター席に座って項垂れる。対面のカウンター内には、原田さんが店で提供できる期限の過ぎたオレンジジュースを注いで出してくれた。
あくまで店で決めた期限であるため、ジュースの味は変わらずフレッシュで甘酸っぱい。むしろ提供しても問題はないくらいだ。
……まぁ、その期限を決めたのはもう辞めてしまった社員やアルバイトの先輩たちで、まとめ直したのは私自身なんだけど。
原田さんは一気にオレンジジュースを飲むと、大きな溜息を吐いた。
「今年に入ってすぐ、マネージャーに店長のことを話したんだ。あの時は話聞いてくれてると思ったんだけど……石田さんが毛嫌いする理由がやっとわかったよ」
「私もわかってはいたつもりだったんですけど……まさかこの店を飲食店として見てなかったとは思わなくて」
会社としては充電バッテリー専門店として立ち上げたのだから、商品を押し売りするのは当たり前のことであって、併設のカフェがおまけだといわれても仕方がないとは思う。
しかし、いつの間にかショップの商品だけ売れてしまえばいいと考えが浮き彫りになっている辺り、会社が作ったコンセプトがどんどんとずれている気がした。
最初はどんな理由で併設のカフェを考えたのかはわからないが、もはやコンセプトがどうのこうのといった話では済まないだろう。
「異動すればって提案された店はどこだったの?」
「ここから近い店舗と、今住んでいるところの逆方向に一店舗ですね。電車で二時間かかります」
「近い店舗って……確かそこも社員とアルバイトが対立していたような……。二時間かかる方の交通費は?」
「どう頑張っても会社から支給される金額の上限は越えますし、ただでさえ今も二千円は自腹なので無理です」
それにあの口ぶりだと他の店と交渉する気もないだろう。どのみちお先真っ暗だ。
「……この際、辞めちゃった方がいいかもしれないね」
事務所の奥から日報を書き終えた奥山さんが出てくる。明日の早番へ向けての連絡ノートを取り出しながら続けた。
「久野はまだ若いし、こんなところじゃ勿体無いよ。そりゃあこの状況は店として不味いけど、このタイミングで辞めてしまった方が久野の為になると思う」
「まぁ、俺らもそろそろですもんね」
苦笑いをしながら原田さんと奥山さんは笑う。
思えば二人は店長の言動に根気強く指摘してくれていた。今まで営業が悪化しなかったのも、二人のおかげであるのは間違いない。この二人が言っていることを疑って、信用できない店長の話を信じてしまいそうになる私はとんだ大馬鹿者だ。
きっとこの二人と石田さんが辞めてしまったら、この店は営業できないだろうな。
オレンジジュースを一気に飲んで席から立つと、出入り口が開いたベルが鳴った。看板を店内に淹れたときに鍵を閉め忘れたのだろうか。
誰かが入ってきたようで原田さんが駆け寄っていく。
「大変申し訳ございません、本日は営業終了しておりまして……」
「すみません、久野さんはもう帰られましたか?」
私の名前が呼ばれた気がして出入り口を見ると、原田さんの前には目元のクマがくっきりと残る作間くんと、青のニット帽を被った見知らぬ黒髪の美少女が立っていた。
作間くんは私に気付くと、軽く手を振って笑った。
「え、なんでここに?」
「なんでって、今日は飲みに行く約束でしょ? 忘れてた?」
そんな約束したっけ?
商店街を案内されて山田書店でおはぎを食べて以来会っていなければ、せっかく交換した連絡先は宝の持ち腐れ状態のはずだ。
すると、隣で拗ねた顔をしていた美少女が痺れを切らして温かそうな紺のコートと白いワンピースの裾を翻して私の方へ来ると、軽く胸倉を掴んで小声で言う。
「貴女が心配だからって作間が来てあげたのよ? 少しは察しなさいよ!」
「お……おきぐっ!?」
可愛らしい顔つきながらも毒を吐く口調。どこかで聞いたことのある彼女の声は、妖狐のお菊さんそっくりだ。まさかと思って声を上げると、彼女は顔をしかめて私の額をはじいた。
私、ちゃんとおでこあるよね? 穴とか空いてないよね?
「いったぁ……何もデコピンしなくたって……」
「驚きすぎよ。こんなに近くで叫ばれたら私の鼓膜が破れちゃうじゃない」
「だって……ええ……?」
同じくらいの背丈で睨みつける彼女の目と声でお菊さん本人だと確信する。
そう言えば牡丹くんも未空ちゃんも人間に化けていたのだから、お菊さんも同様だろう。
「えーと……久野の知り合い?」
放置状態の原田さんと奥山さんがきょとんとしている。どう説明しようかと口を開こうとすると、作間くんが代わりに答えてくれた。
「久野さんとは家の近くのお店で知り合ったんです。ここで働いていることも最近知って、一度来てみたかったんですけど、課題に追われて結局この時間になってしまって。元々今日は飲もうって約束してたのでお迎えに来ちゃいました」
唐突にごめんね、と爽やかな笑顔で押し通す彼に、原田さん達は納得せざるを得ない。
……それよりも隣でじっと見てくるお菊さんの目が怖い。
「だったら久野、早く着替えておいでよ。カギ閉めるのは俺らでやっておくからさ」
「あ、はい。ありがとうございます」
「ちんたらしてんじゃないわよ!」
「はい!」
原田さんと奥山さんにお礼を言って事務所へ入る。
作間くんが心配してたってことは、妖怪絡みを気にしてくれていたのかな。帰り支度を整えて事務所から出ると、既に二人と打ち解けている作間くんがいた。
「へぇ、二人とも森丘大学に通っているんだ?」
「そうなんです。まさか久野さんがこんな近くで働いているなんて思ってなくて」
「でも久野って酒飲めなかったよね?」
「いつもノンアルコールを頼んでますよ。そこのバーの店長、レパートリーが多いんです。菊もたまに無茶ぶりするけど、大体注文通りのものが出てくるんですよ」
「そうね、唯一出てこなかったのはきつねうどんくらいかしら」
「うどん……?」
なぜバーでうどんが出てくる? と首を傾げる二人に作間くんが苦笑いを浮かべる。初めて会った時もいなり寿司を強請っていたから、ただ油揚げが食べたいだけなのかもしれない。
後ろからそろっと顔を出すと、お菊さんがすぐ気付いて威嚇するように睨まれた。
「おっそい!」
「ご、ごめんなさい……」
「菊、そんなに怒らないの。それじゃ――」
行こうか、と作間くんが言いかけて止めると、突然店の出入り口を凝視した。急に雰囲気が変わったかと思えば、お菊さんも私を隠すように前に立つ。
オーダーを間違え、コーヒーをこぼし、注文の入ったトーストを焦がす。普段ならしない失敗を繰り返していろんな人に迷惑をかけてしまった。
まだお客様にかけたりするような事態にはならなかったことと、店長がシフトに入っていなかったことは不幸中の幸いだったかもしれない。
マネージャーは私との面談が終わると、お冷用の紙コップにバッグから取り出したペットボトルに入ったメロンソーダを移し、飲みながらパソコンと向き合っていた。小一時間ほど長居して帰っていったが、当然のように紙コップは置かれたままだった。
ちなみにこのカフェのメニューにはメロンソーダはない。
空元気が目に見えてわかったのか、同じシフトに入っていた奥山さんと原田さんにはすぐバレて、閉店後の閉め作業をしながら、マネージャーとの面談の様子を話した。
話し終えた頃には全ての閉め作業が終わっており、原田さんは呆れた顔をしていた。
「頭下げろって……マジで?」
「会社は社員を守るのが当たり前。……アルバイトは切り捨ててなんぼですね……」
掃除したばかりのカウンター席に座って項垂れる。対面のカウンター内には、原田さんが店で提供できる期限の過ぎたオレンジジュースを注いで出してくれた。
あくまで店で決めた期限であるため、ジュースの味は変わらずフレッシュで甘酸っぱい。むしろ提供しても問題はないくらいだ。
……まぁ、その期限を決めたのはもう辞めてしまった社員やアルバイトの先輩たちで、まとめ直したのは私自身なんだけど。
原田さんは一気にオレンジジュースを飲むと、大きな溜息を吐いた。
「今年に入ってすぐ、マネージャーに店長のことを話したんだ。あの時は話聞いてくれてると思ったんだけど……石田さんが毛嫌いする理由がやっとわかったよ」
「私もわかってはいたつもりだったんですけど……まさかこの店を飲食店として見てなかったとは思わなくて」
会社としては充電バッテリー専門店として立ち上げたのだから、商品を押し売りするのは当たり前のことであって、併設のカフェがおまけだといわれても仕方がないとは思う。
しかし、いつの間にかショップの商品だけ売れてしまえばいいと考えが浮き彫りになっている辺り、会社が作ったコンセプトがどんどんとずれている気がした。
最初はどんな理由で併設のカフェを考えたのかはわからないが、もはやコンセプトがどうのこうのといった話では済まないだろう。
「異動すればって提案された店はどこだったの?」
「ここから近い店舗と、今住んでいるところの逆方向に一店舗ですね。電車で二時間かかります」
「近い店舗って……確かそこも社員とアルバイトが対立していたような……。二時間かかる方の交通費は?」
「どう頑張っても会社から支給される金額の上限は越えますし、ただでさえ今も二千円は自腹なので無理です」
それにあの口ぶりだと他の店と交渉する気もないだろう。どのみちお先真っ暗だ。
「……この際、辞めちゃった方がいいかもしれないね」
事務所の奥から日報を書き終えた奥山さんが出てくる。明日の早番へ向けての連絡ノートを取り出しながら続けた。
「久野はまだ若いし、こんなところじゃ勿体無いよ。そりゃあこの状況は店として不味いけど、このタイミングで辞めてしまった方が久野の為になると思う」
「まぁ、俺らもそろそろですもんね」
苦笑いをしながら原田さんと奥山さんは笑う。
思えば二人は店長の言動に根気強く指摘してくれていた。今まで営業が悪化しなかったのも、二人のおかげであるのは間違いない。この二人が言っていることを疑って、信用できない店長の話を信じてしまいそうになる私はとんだ大馬鹿者だ。
きっとこの二人と石田さんが辞めてしまったら、この店は営業できないだろうな。
オレンジジュースを一気に飲んで席から立つと、出入り口が開いたベルが鳴った。看板を店内に淹れたときに鍵を閉め忘れたのだろうか。
誰かが入ってきたようで原田さんが駆け寄っていく。
「大変申し訳ございません、本日は営業終了しておりまして……」
「すみません、久野さんはもう帰られましたか?」
私の名前が呼ばれた気がして出入り口を見ると、原田さんの前には目元のクマがくっきりと残る作間くんと、青のニット帽を被った見知らぬ黒髪の美少女が立っていた。
作間くんは私に気付くと、軽く手を振って笑った。
「え、なんでここに?」
「なんでって、今日は飲みに行く約束でしょ? 忘れてた?」
そんな約束したっけ?
商店街を案内されて山田書店でおはぎを食べて以来会っていなければ、せっかく交換した連絡先は宝の持ち腐れ状態のはずだ。
すると、隣で拗ねた顔をしていた美少女が痺れを切らして温かそうな紺のコートと白いワンピースの裾を翻して私の方へ来ると、軽く胸倉を掴んで小声で言う。
「貴女が心配だからって作間が来てあげたのよ? 少しは察しなさいよ!」
「お……おきぐっ!?」
可愛らしい顔つきながらも毒を吐く口調。どこかで聞いたことのある彼女の声は、妖狐のお菊さんそっくりだ。まさかと思って声を上げると、彼女は顔をしかめて私の額をはじいた。
私、ちゃんとおでこあるよね? 穴とか空いてないよね?
「いったぁ……何もデコピンしなくたって……」
「驚きすぎよ。こんなに近くで叫ばれたら私の鼓膜が破れちゃうじゃない」
「だって……ええ……?」
同じくらいの背丈で睨みつける彼女の目と声でお菊さん本人だと確信する。
そう言えば牡丹くんも未空ちゃんも人間に化けていたのだから、お菊さんも同様だろう。
「えーと……久野の知り合い?」
放置状態の原田さんと奥山さんがきょとんとしている。どう説明しようかと口を開こうとすると、作間くんが代わりに答えてくれた。
「久野さんとは家の近くのお店で知り合ったんです。ここで働いていることも最近知って、一度来てみたかったんですけど、課題に追われて結局この時間になってしまって。元々今日は飲もうって約束してたのでお迎えに来ちゃいました」
唐突にごめんね、と爽やかな笑顔で押し通す彼に、原田さん達は納得せざるを得ない。
……それよりも隣でじっと見てくるお菊さんの目が怖い。
「だったら久野、早く着替えておいでよ。カギ閉めるのは俺らでやっておくからさ」
「あ、はい。ありがとうございます」
「ちんたらしてんじゃないわよ!」
「はい!」
原田さんと奥山さんにお礼を言って事務所へ入る。
作間くんが心配してたってことは、妖怪絡みを気にしてくれていたのかな。帰り支度を整えて事務所から出ると、既に二人と打ち解けている作間くんがいた。
「へぇ、二人とも森丘大学に通っているんだ?」
「そうなんです。まさか久野さんがこんな近くで働いているなんて思ってなくて」
「でも久野って酒飲めなかったよね?」
「いつもノンアルコールを頼んでますよ。そこのバーの店長、レパートリーが多いんです。菊もたまに無茶ぶりするけど、大体注文通りのものが出てくるんですよ」
「そうね、唯一出てこなかったのはきつねうどんくらいかしら」
「うどん……?」
なぜバーでうどんが出てくる? と首を傾げる二人に作間くんが苦笑いを浮かべる。初めて会った時もいなり寿司を強請っていたから、ただ油揚げが食べたいだけなのかもしれない。
後ろからそろっと顔を出すと、お菊さんがすぐ気付いて威嚇するように睨まれた。
「おっそい!」
「ご、ごめんなさい……」
「菊、そんなに怒らないの。それじゃ――」
行こうか、と作間くんが言いかけて止めると、突然店の出入り口を凝視した。急に雰囲気が変わったかと思えば、お菊さんも私を隠すように前に立つ。