*
あの後、何事もなく「喫茶ララ」を出て山田書店へ向かうと、待ってましたと言わんばかりに本谷さんが急須と茶筒をちゃぶ台の上に用意していた。
勿論、扉を開けた途端にお菊さんが作間くんに飛びついた途端、頬擦りしたのは言うまでもない。
鬼火が私の鼻先をかすめたのも、彼と再会したから気持ちが高ぶってしまっただけだ。
「豆太のおはぎが美味しいのはね、丁寧に小豆を洗ってくれるからなんだよ。それを丹精込めて炊いた小豆のふっくら加減といったら、もうたまらなくてねぇ……! ぬらりひょんがいた頃におはぎがあったかはわからないけど、小豆洗いの小豆は彼も好んで食べていたんだよ」
「本谷さん、詳しいですね」
「ぬらりひょんが居た頃に書かれたであろう日記から抜粋したのさ。大抵のことは読んで覚えているんだよ」
作間くんが淹れてくれた煎茶と、パックから洒落た小皿へ移した豆太くんのおはぎを本谷さんの前に置く。艶々としたおはぎにうっとりと見惚れている。
書店の奥は本谷さんの生活スペースになっている。初めてここに来た時もこの部屋に通されたっけ。
五畳半の和室には簡易台所があり、食器棚には三つの小皿と湯呑が置かれている。作間くん曰く、滅多に人が訪れないため三人分あれば足りるらしい。本谷さんと作間くん、お菊さんの分は小皿に、私の分はパックから貰おう。
おはぎを小皿へ移しながら、気になっていたことを本谷さんに問う。
「そう言えば、今日会った妖怪たちが【しぐれさま】がどうのって言ってたんですけど、誰のことですか?」
「……ああ、それはぬらりひょんの名前だよ。人間に紛れるときに名乗っていたらしくてね。実際どこまで本当かはわからないけど、領地の妖怪たちは皆【しぐれさま】と呼んで慕っていたんだ。ほら、ここの商店街の名前は『しぐれ商店街』だろう?」
……そういえばそうだった。
商店街の入り口にかけられたアーチには、しっかりと「しぐれ」商店街と書かれていたっけ。
苦笑いを浮かべながら小皿におはぎを三人分取り分けて、その一つを本谷さんの前に置くと、彼は手を合わせてから箸で器用におはぎを挟み、一口で頬張った。二、三回ほど噛み締めると、なぜかすぐさま緩んだ頬に手を添えて抑えている。その表情は幸福感で満ち溢れていた。
「んーっ! 相変わらず豆太の小豆は美味しいねぇ。頬っぺたが落ちるとは、まさにこのことさ! あと百個は食べられる自信があるよ!」
「炭水化物の摂り過ぎでドクターストップかかっちゃいますよ?」
「そんな冷たいこと言わないでよー。美味しいものはいくらあっても足りないのさ!」
名言っぽいのが出たのを横目に、私は作間くんとお菊さんの近くにおはぎを置く。
「俺、パックに入ってるの貰うよ?」
「いいの! おはぎを買ってくれたのは作間くんだし、私がパックから貰うよ」
『ねぇ』
ほぼ強引に作間くんに小皿に乗ったおはぎを押し付けていると、お菊さんが肩に乗ったまま私を睨みつけて言う。
『私、後で食べるからそのパックごと残しておいてくれる?』
「え? でも出来立ての方が美味しいって」
『狐の姿で食べるのは大変なのよ。だから貴女はそっちの皿に乗っている方を食べなさい。私の分はそのパックのまま放っておいて。あ、間違っても冷蔵庫に入れちゃ駄目よ!』
拗ねた口ぶりでお菊さんは言うと、作間くんの肩から降りて店の外へ出て行ってしまう。
何か気に障ることをしてしまっただろうかと心当たりを探すけど、どれが原因なのかわからない。するとまた作間くんがクスクスと笑って教えてくれた。
「菊は毛に小豆が付くとなかなか取れないから、いつも人間の姿になって食べるんだよ。きっとまだ久野さんに慣れてないから、恥ずかしくて化けられないんだと思う。気にしなくて大丈夫だよ」
「もうっ! お菊ちゃんは人見知り激しいんだからっ!」
「本谷さん、その喋り方ちょっと気持ち悪い」
関節はどこに行ったと問いたくなるくらいクネクネと動く本谷さんに辛辣な一言が刺さる。体育座りして落ち込む姿を見ても、可哀想と思えないのはなんでだろう。
それを気にすることなく、作間くんは続けた。
「確かに菊は人見知りだけど、あんなに突っかかるのは仲良くなりたいっていうアピールなんだよ。今頃、皿でも買いに行ったんじゃないかな」
「皿……?」
ちゃぶ台の上に置かれた小皿と湯呑に目を向ける。もしかしてパックごと残してって、私が小皿を使わずに食べようとしてたから?
「その小皿も湯呑も、ここにある食器はすべて菊が選んだんだ。良いセンスしてるでしょ?」
淹れたての煎茶を私の前に置いて、小皿に乗ったおはぎと並べる。
蛍光灯の光が当たって、小豆の艶が光るおはぎに、少しざらついた質感とぼんやりした色の味を出した白い小皿、添えられた黒文字。握り拳サイズのおはぎには少し食べ辛そうだが、無駄に協調しない、落ち着いた空間を一皿で醸し出している。
「……妖怪って、不思議ですね」
全く別の生き物やその文化に好奇心を抱いて、何年も前からずっとこの土地で共存している。まだ見た目が人間に近いからといっても、お菊さんみたいに狐の姿だったり、がしゃどくろや鬼のような人間が恐ろしいと思う虚像の姿になる妖怪だっている。
それでも仲良くなりたい、一緒に暮らしたいと思い合える関係が存在していることが、私の目の前で起こっている。。
――それが例え、ぬらりひょんの指示に従っているとしても。
「食べないの?」
本谷さんがお箸をカチカチと音を立てながら私のおはぎに狙いを定めている。私は慌てて小皿を手に取ると、黒文字で一口サイズに切り分けてそのまま口へ運ぶ。
ふっくらとした小豆は丁度良い甘さで、絶妙な柔らかさのもち米との相性が抜群だった。
「……美味しい」
頬っぺたが落ちそうになって思わず手を頬に添えると、二人はどこか嬉しそうに笑った。
あの後、何事もなく「喫茶ララ」を出て山田書店へ向かうと、待ってましたと言わんばかりに本谷さんが急須と茶筒をちゃぶ台の上に用意していた。
勿論、扉を開けた途端にお菊さんが作間くんに飛びついた途端、頬擦りしたのは言うまでもない。
鬼火が私の鼻先をかすめたのも、彼と再会したから気持ちが高ぶってしまっただけだ。
「豆太のおはぎが美味しいのはね、丁寧に小豆を洗ってくれるからなんだよ。それを丹精込めて炊いた小豆のふっくら加減といったら、もうたまらなくてねぇ……! ぬらりひょんがいた頃におはぎがあったかはわからないけど、小豆洗いの小豆は彼も好んで食べていたんだよ」
「本谷さん、詳しいですね」
「ぬらりひょんが居た頃に書かれたであろう日記から抜粋したのさ。大抵のことは読んで覚えているんだよ」
作間くんが淹れてくれた煎茶と、パックから洒落た小皿へ移した豆太くんのおはぎを本谷さんの前に置く。艶々としたおはぎにうっとりと見惚れている。
書店の奥は本谷さんの生活スペースになっている。初めてここに来た時もこの部屋に通されたっけ。
五畳半の和室には簡易台所があり、食器棚には三つの小皿と湯呑が置かれている。作間くん曰く、滅多に人が訪れないため三人分あれば足りるらしい。本谷さんと作間くん、お菊さんの分は小皿に、私の分はパックから貰おう。
おはぎを小皿へ移しながら、気になっていたことを本谷さんに問う。
「そう言えば、今日会った妖怪たちが【しぐれさま】がどうのって言ってたんですけど、誰のことですか?」
「……ああ、それはぬらりひょんの名前だよ。人間に紛れるときに名乗っていたらしくてね。実際どこまで本当かはわからないけど、領地の妖怪たちは皆【しぐれさま】と呼んで慕っていたんだ。ほら、ここの商店街の名前は『しぐれ商店街』だろう?」
……そういえばそうだった。
商店街の入り口にかけられたアーチには、しっかりと「しぐれ」商店街と書かれていたっけ。
苦笑いを浮かべながら小皿におはぎを三人分取り分けて、その一つを本谷さんの前に置くと、彼は手を合わせてから箸で器用におはぎを挟み、一口で頬張った。二、三回ほど噛み締めると、なぜかすぐさま緩んだ頬に手を添えて抑えている。その表情は幸福感で満ち溢れていた。
「んーっ! 相変わらず豆太の小豆は美味しいねぇ。頬っぺたが落ちるとは、まさにこのことさ! あと百個は食べられる自信があるよ!」
「炭水化物の摂り過ぎでドクターストップかかっちゃいますよ?」
「そんな冷たいこと言わないでよー。美味しいものはいくらあっても足りないのさ!」
名言っぽいのが出たのを横目に、私は作間くんとお菊さんの近くにおはぎを置く。
「俺、パックに入ってるの貰うよ?」
「いいの! おはぎを買ってくれたのは作間くんだし、私がパックから貰うよ」
『ねぇ』
ほぼ強引に作間くんに小皿に乗ったおはぎを押し付けていると、お菊さんが肩に乗ったまま私を睨みつけて言う。
『私、後で食べるからそのパックごと残しておいてくれる?』
「え? でも出来立ての方が美味しいって」
『狐の姿で食べるのは大変なのよ。だから貴女はそっちの皿に乗っている方を食べなさい。私の分はそのパックのまま放っておいて。あ、間違っても冷蔵庫に入れちゃ駄目よ!』
拗ねた口ぶりでお菊さんは言うと、作間くんの肩から降りて店の外へ出て行ってしまう。
何か気に障ることをしてしまっただろうかと心当たりを探すけど、どれが原因なのかわからない。するとまた作間くんがクスクスと笑って教えてくれた。
「菊は毛に小豆が付くとなかなか取れないから、いつも人間の姿になって食べるんだよ。きっとまだ久野さんに慣れてないから、恥ずかしくて化けられないんだと思う。気にしなくて大丈夫だよ」
「もうっ! お菊ちゃんは人見知り激しいんだからっ!」
「本谷さん、その喋り方ちょっと気持ち悪い」
関節はどこに行ったと問いたくなるくらいクネクネと動く本谷さんに辛辣な一言が刺さる。体育座りして落ち込む姿を見ても、可哀想と思えないのはなんでだろう。
それを気にすることなく、作間くんは続けた。
「確かに菊は人見知りだけど、あんなに突っかかるのは仲良くなりたいっていうアピールなんだよ。今頃、皿でも買いに行ったんじゃないかな」
「皿……?」
ちゃぶ台の上に置かれた小皿と湯呑に目を向ける。もしかしてパックごと残してって、私が小皿を使わずに食べようとしてたから?
「その小皿も湯呑も、ここにある食器はすべて菊が選んだんだ。良いセンスしてるでしょ?」
淹れたての煎茶を私の前に置いて、小皿に乗ったおはぎと並べる。
蛍光灯の光が当たって、小豆の艶が光るおはぎに、少しざらついた質感とぼんやりした色の味を出した白い小皿、添えられた黒文字。握り拳サイズのおはぎには少し食べ辛そうだが、無駄に協調しない、落ち着いた空間を一皿で醸し出している。
「……妖怪って、不思議ですね」
全く別の生き物やその文化に好奇心を抱いて、何年も前からずっとこの土地で共存している。まだ見た目が人間に近いからといっても、お菊さんみたいに狐の姿だったり、がしゃどくろや鬼のような人間が恐ろしいと思う虚像の姿になる妖怪だっている。
それでも仲良くなりたい、一緒に暮らしたいと思い合える関係が存在していることが、私の目の前で起こっている。。
――それが例え、ぬらりひょんの指示に従っているとしても。
「食べないの?」
本谷さんがお箸をカチカチと音を立てながら私のおはぎに狙いを定めている。私は慌てて小皿を手に取ると、黒文字で一口サイズに切り分けてそのまま口へ運ぶ。
ふっくらとした小豆は丁度良い甘さで、絶妙な柔らかさのもち米との相性が抜群だった。
「……美味しい」
頬っぺたが落ちそうになって思わず手を頬に添えると、二人はどこか嬉しそうに笑った。