更に商店街の奥へ入っていくと、作間くんがある店の前で足を止める。
「久野さん、ここ来たことある?」
「ここら辺に住み始めてすぐに一度来た気がする……」
「曖昧だね。でもそっか、それだと清音とは会ってないのか」
「誰?」
「俺の従兄弟のねーちゃん」
レトロな建物に「喫茶ララ」と書かれたプレートのドアを開くと、一気に煙草の匂いが溢れた。若干肌寒い店内には、煙草をくわえて読書をする年配のお客さんが二、三人いる程度で、特に音楽が流れているわけでもなく、ゆったりとした時間が流れていた。
カウンターでグラスを拭いていた色白の青年が顔を上げると、一瞬驚いた表情をしながらも笑みを浮かべた。
「いらっしゃいませ。……あれ、珍しい。お菊さん以外を連れてくるなんて」
「美代子さんにも言われたよ。清音いる?」
「呼んできますね。お好きな席へどうぞ」
そう言って色白の彼がカウンターの奥へ行くと、作間くんが近くのテーブル席に座った。促されて対面側の椅子に座ると、なんとなく声を潜めて彼に問う。
「ねぇ、ここにも妖怪がいるの?」
「そうだけど……そんなに小声にならなくても大丈夫だよ」
「そう言われてもねぇ……」
この空間で普段通りの声量で話せる内容じゃないくらいわかってよ。
黙ったまま悪態をつくと、作間くんが鼻で哂う。
「……また読んだでしょ?」
「だって久野さんわかりやすいんだもん」
だもん、じゃないよ。全く。
「そうよそうよ。どうせ店内には見えないだけで妖怪だらけなんだから。聞こえても問題ないって」
「問題ないって言われても一応……ん?」
真横から聞こえた声は、明らかに作間くんのものではなく女の子の声だ。目を向けると、三つ編みに結った黒髪に、真っ黒なスカートに身を包んだ女の子が立っていた。
私をジロジロと品定めてから、ニッコリ笑って言う。
「初めまして、人間さん。郵便屋の未空ちゃんでーすっ!」
「ゆ……ゆうびん、や?」
「名簿がまた人を連れてきたって噂を聞いてはいたんだけど……うん、キミは残念さんだね。いやぁ、これまた随分不憫な人間を連れてきたね。本当に名簿は【しぐれさま】そっくりだ!」
待って、意味がわからない。
初対面の女の子にこんなにはっきりと「残念」だの「不憫」だの言われたの初めてだよ。
どこから突っ込んで良いのかわからなくて固まっていると、彼女は更に続けた。
「でもキミ、いつも夜遅くに帰ってくる子だよね? 早く帰った時は『鈴々』にも立ち寄って、ヒロさんと話しているのを何度か見かけたことがあるよ。お酒飲めないのに、結構長い時間居座ってるけど、やっぱり空間に酔っちゃうの? そうそう、名簿とはどこで出会ったの? いろんな人間さんに聞いてまわってるからさ、未空に教えてちょーだいっ?」
「え、えっと……?」
自分では処理しきれないと察して作間くんに助けを求めると、彼はニッコリと笑っているだけで手を貸してくれそうにない。というより、随分楽しんでいるようにも見える。
そして目を離した隙に、いつの間にか彼女の顔が数センチというところまで迫っていた。
「ねーえ。聞いてる? 人間さーん?」
「ちょっ……近い! 作間くん止めて! さっさと、早く!」
「はいはい。未空、そこまでにしてあげて」
ようやく作間くんが重い腰を上げて、彼女を引き剥がして近くの席に座らせた。不貞腐れた顔で浮いた足をプラプラと揺らす。
「今日は休み? 郵便の仕事だって聞いてたんだけど」
「仕事だったよ? 未空ちゃんはお仕事が早いからさ、今日の分は午前中に終わらせを散歩して『ララ』に寄ったの。そしたら作間くんが新しい人間さんと一緒にいるし? 思わず声をかけちゃった」
彼女――未空ちゃんはてへっと笑いながら頭を軽く叩いた。この子は一体何者なんだろう、と苦い顔をしている私に、作間くんが教えてくれた。
「未空は【烏天狗】の妖怪だよ。日中は郵便局で働いてて、夜中は遠い地域の領主との連絡係をしてるんだ」
あ、さっき言ってたことは本当だったんだ。
申し訳なく思ってそっと彼女を見ると、どや顔で返してくる。
「ねぇ、人間さん? 未空の正体を知ったんだから、質問答えて?」
「知ったっていうか教えてもらったというか」
「交換条件。こんな可愛い見た目だからって、人を攫っちゃう妖怪なんだから」
早くして、と先程と打って変わった鋭い目で睨んでくる。と言っても、名簿が勝手にアパートの郵便受けに入っていたのだから、どんな経緯で名簿がやってきたのかがわからない。
そのことを伝えると、未空ちゃんは眉を顰めた。
「郵便受けに突っ込まれていて、ご丁寧に紙袋に入れられてた? 初めましてのパターンだね」
「そう……なの?」
「そう。大体道で拾ったとか、家の本棚にいつの間にかあったとか。あと書店で見つけたって人間さんもいたかな。彼らもキミみたいに、何かに苦しんでたよ」
初めて聞いた、名簿に導かれた人間の話。本谷さんから「名簿自身がぬらりひょん」だと話は聞いていたものの、まるで人を選んでいるように思えてならない。
そういえば作間くんは特殊だって言ってたような。
「作間くんのときも、違ったの?」
「え? 俺は……実は俺、名簿については商店街に来てから知ったんだ。だからわからないや」
申し訳なさそうに言うと、彼はどこか遠くを見つめた。なぜかこの話題に触れてはいけない気がして、私も目を逸らした。
「ごめんね! 巧、お待たせ!」
するとカウンターの奥からポニーテールの女性が出てきた。振り返った作間くん……ではなく、テーブルの上に置いたポリ袋を見つけると、目を光らせてカウンターから飛び出してきた。
「それおはぎ? 豆太のおはぎよね?」
「美代子さんから預かってきたよ」
「うわっ! 嬉しいーっ!」
ポニーテールの彼女は、袋からパックに入ったおはぎを持ち上げて嬉しそうに目を輝かせた。
「今日は食べれないと思ってたからめっちゃ嬉しい! ありがとう! ……そっちの袋は?」
「あげないよ。俺達の分なんだから」
「おれたち……?」
もう一つのポリ袋を見ると、彼女は作間くんと私を交互に見る。次第に口元が緩み始めたところで、作間くんが釘を刺した。
「想像しているところ悪いけど、俺には菊だけだから」
「もーっ! 言う前に答えるのやめてよね!」
しかも惚気ないでよ、と拗ねると、彼女は私を見て慌てて姿勢を正した。
「初めまして! この喫茶店の店長代理やってます、三森清音です。清音って呼んでね。巧がいつもお世話になってます」
「いえ、こちらこそ……。初めまして、久野です」
「久野ちゃんね。まさか巧がお菊ちゃん以外の女の子を連れてくるなんて、ビックリしちゃった!」
フフッと笑う清音さん。見た感じ私と同い年くらいだけど、はきはきとした話し方からして、私より年上だろう。
というか作間くん、お菊さんを連れ回しすぎじゃない?
「久野さん、それじゃあ俺がナンパ男みたいじゃん」
「また勝手に読んだ……。本谷さんと一緒にいた時点で変な人の部類にしか見えないよ」
「変な人と軽いのは別だって」
「巧、本谷さんと同類なのウケる!」
不服そうな顔をする作間くんを横目に、清音さんは近くに座っていた未空ちゃんと一緒にケタケタと笑う。
「……って、清音さんは本谷さんやお菊さんを知っているんですか?」
「知ってるもなにも、牡丹の友達だもの。よくコーヒーフロート飲みに来るし」
「ぼたん?」
「あ、僕のことです……」
清音さんの後ろで控え目に手を上げる色白の彼が言う。
「彼が牡丹。一昨年くらいから商店街に戻ってきて、働いてもらっているの」
初めまして、と牡丹くんはギリギリ聞こえる声の大きさで言う。
「戻ってきて、というのは? どこかで修行されていたんですか?」
「いえ、一種の里帰りみたいなものです。僕の生まれは雪山でも、家と呼べるのは【しぐれさま】の商店街だけですから」
牡丹くんはそう言ってどこか誇らしげに笑った。「雪山」というワードに首を傾げると、悟った作間くんが教えてくれた。
「牡丹は【雪女】の末裔なんだよ。だから雪山に里帰りしていたってワケ」
「雪女、というより雪男ね。ややこしいけど、性別なんて関係ないわ。牡丹は牡丹。この喫茶店で働くエースなの!」
清音さんが牡丹くんの肩に手を置いて自信満々に言い切ると、彼も嬉しそうに頬を赤らめた。肌が白いから、赤が映えて見える。先程の豆太君に比べるととても大人しい。
……というより人見知りなのかもしれない。
「牡丹くんも未空ちゃんも、どう見ても人間にしか見えないんですけど……」
「そりゃあ、人間に化けているからね。私が真っ黒な烏の姿で商店街を出歩いているのを想像してみて? 動物保護センターに行くより前に射殺されてちゃうよ!」
「確かに、未空さんの姿だとそうなってしまうかもしれませんが……。僕の場合は本来の姿で仕事をしていると、周りにいる皆さんが凍えさせてしまうので……」
「初出勤の日はすごかったのよ。お客さんに持っていくお冷、全部凍らせちゃったんだから!」
歩く冷凍庫か?
「ところで、お菊ちゃんのおはぎも買ってるなら早く持って行った方がいいんじゃない? 久野ちゃんと一緒だってわかって拗ねてるわよ」
ほら、と言って清音さんが窓の外を指さすと、あの夜見た青白い鬼火が一つ、店の中を覗くように浮かんでいた。
夕方とはいえ商店街は人間が賑わっているだろうに、そんな堂々と出てきて大丈夫だろうか。
「流石お菊ちゃん。簡単に浮気はさせてくれないわね」
「だから違うって。久野さんに商店街の妖怪たちを紹介してたんだよ」
「へぇー? お菊のこと放っておいて? 未空だったら嫌だなぁー」
「放ってない。今日は本谷さんのところで用事があるって言ってたし。俺も大学行ってたんだよ」
「はいはい、従兄弟がレディーファーストがお上手で何よりだわ」
「絶対二人とも思ってないだろ……!」
作間くんが不服そうな顔をしながらも、清音さんと未空ちゃんは楽しそうにからかう。傍から見れば姉二人に絡まれる弟のようだ。
そこから二、三歩離れた場所で牡丹くんがオロオロと落ち着かない様子で見ていた。
「えっと……牡丹くん、大丈夫?」
「は、はい。この光景は見慣れてはいますが……殴り合いにならないか、いつもいつも心配なんです。清音さんも未空さんも加減を知りませんし、ああ見えて作間さんは口が悪いですから」
「口が悪い? 作間くんが?」
「ええ。以前、他所から来た【大かむろ】が商店街の人を驚かそうとしたがありまして、あまりにも暴力的だったので、作間さんが『てめぇらいい加減にしねぇとその面剥がすぞゴルァ!』って怒鳴ったんです。……耳を疑いました。彼の後ろにはお菊さんの鬼火が燃え盛っていたこともあって、妖怪はすぐ退散していきましたが、あの時ばかりは彼も人間なんだな、と関心したものです」
遠い目で懐かしそうに牡丹くんは言う。見た目からして穏やかそうな作間くんからそんな言葉が出てくるとは想像できない。
私が苦笑いを浮かべると、牡丹くんは何を思ったのか、慌てて小さく握り拳を構えていた。
「久野さん、でしたね。心配はご無用です。これ以上長引く場合は僕が仲介人として間に入って止める役割になっています。万が一喧嘩になるようでしたら、店内全てを氷漬けにしてでも止めますのでご安心ください」
切羽詰まって喧嘩を力ずくで止める前に、まずは平和的な解決を目指そう?
真剣な眼差しで決意を伝えてくれる牡丹くんを横目に、私はそろそろヒートアップしそうな彼らの間に入った。