ビルの灯りが目立つ三月初めの夜八時。電車は帰宅ラッシュでほぼ満員だった。
 私は周囲の目などお構いなしに、目元を袖で拭って詰まった鼻をすすりながら、最寄り駅に着いた電車から流れにまかせて降りる。辛うじて取り出した交通系ICカードをかざして改札の外に出ると、街灯の明かりに導かれて大通りを歩いて商店街のアーチをくぐった。
 人気が少なくなった商店街の大半の店がシャッターを下ろす中で、こじんまりとしたカジュアルバー「鈴々(りんりん)」に入った。
 背負っていたリュックを足元に降ろすと、ぶっきらぼうにカクテルを一杯注文する。カウンターから顔の覗かせた店主――通称ヒロさんは珍しいと驚いて二度見してきた。

久野(くの)ちゃん、酒弱かったよね? ……って、なんか目が真っ赤だけど……どうしたの?」
「……ちょーっとだけお酒が飲みたいんです」

 不貞腐れたように答えると、ヒロさんは「しょうがないなぁ」と呟いて手際よく作ったティーロワイヤルを私の前に置いた。
 透明の耐熱マグカップに淡いオレンジ色のホットティ―に小さな赤いバラが一輪浮かべられ、ほんのりとグランマニエの香りが漂う。気持ち熱めに作ってくれるのは、私が体質的にアルコールが弱いのを知っているからだ。

「ちょっと熱いだろうけど、久野ちゃんの軽く酔う程度なら丁度いいんじゃないかな」
「……ありがとうございます」

 何度か表面を息を吹いて冷ましながら一口含む。アルコールの飛んだグランマニエの香りが広がって、ほんのり甘みがついたディンブラの紅茶が喉を通ると、無意識に小さな溜息が出た。

「落ち着いた?」
「はい……」
「それで、どうしたのさ?」

 ヒロさんはカウンターから身を乗り出して心配そうに聞いてくる。
 これ以上溜め込むべきじゃない。私は躊躇うことなく、はっきりとした口調で言った。

「今日、店長からクビを宣告されました」