教室に足を踏み入れたとたん、巻いていたざわめきがかき消えた。
 テレビの電源を切るようにぷつんと途切れた音。何人かのクラスメイトが私を見て、すぐに視線をらした。

 それは私も同じこと。うつむいたまま、自分の席へ向かう。

 無音だったのは一瞬で、波のようにさわさわと声はまた生まれる。さっきよりも小さなささやき声が私を責めているよう。

 クラスメイトにしてみれば当然のこと。昼休みになり、ようやく登校した私に良い印象なんてゼロだろう。

 こういうことにも、もう慣れた。

 このクラスでの立ち位置は、日々不安定になっている。誰もが私をうとましく思っている。
 たぶん半分は本当で、半分は被害妄想(もうそう)みたいなもの。

 窓側のいちばんうしろの席に座れば、生ぬるい風が髪をらせた。右ひじをつき、机に刻まれた落書きを見るともなしに見る。
 季節は確実に進み、今月から夏服に変わった。気温も、春と初夏の間を行ったり来たりしている。

 この高校に入学して、二カ月が過ぎたことになる。
 もう二カ月、とは思えない。まだたった二カ月。あまりにも時間は遅く過ぎていく。
 校庭では制服姿でサッカーをしている男子たちの声が宙にあがり、空に溶けていく。

 お昼、食べてないな……。

 ぼんやり考えていると、前の席の椅子がガタンと鳴った。明日香(あすか)が腰をおろすのが視界のはしに映る。
 明日香は、体を椅子ごとこちらに向け、下から顔をのぞきこんでくる。

「夏が来るね」

 ショートカットで小柄な明日香は、まだ中学生に見える。
 童顔であることを本人は気にしているので、最近では口に出さないようにしているけど。

「夏?」

 ようやく顔をあげると、明日香は横顔で空を見ていた。

「ニュースでやってたの。今日から梅雨(つゆ)入りだってさ。それが終われば本格的に夏が来るよ」
 明日香の視線につられて私も目線だけ上に向けてみる。
 まだ青く、とても梅雨入りしているとは思えないほどの天気。寝不足の目には、厳しいほどのまぶしさで光っている。

 嫌な顔をして前を向くと、明日香は大きな目を細めてうれしそうに笑っている。カモメみたいで私の好きな笑み。

「あたし、夏が好きだから楽しみなんだ」

 瞳をキラキラさせている明日香は昔からかわいい。モテるはずなのに、私なんかに(かま)ってばかりのせいで浮いた話のひとつもない。

「夏なんてだるいだけじゃん」
「出た。亜弥(あや)の『だるい』って口癖(くちぐせ)

 おかしそうに笑う明日香は、遅刻してくる私を責めたりはしない。
 代わりに、こんなふうに季節や天気の話をはじめにしてくる。それがありがたくもあり、罪悪感を育てることにもなる。

 きっと贅沢(ぜいたく)な悩みだろうな。

 なにか答えるべきなのはわかっていても、いつだって言葉はため息に変わってしまう。
 そんな私に明日香はクスクスと笑った。

「また寝不足なの? 昨日も〝夜の街見学〟に行ってたんでしょー」
「まあ、ね」
「亜弥は夜の街が本当に好きなんだね」

 声を(ひそ)める明日香に、ため息を追加する。