毎日はたくさんの音であふれている。

 車のエンジン音や自転車のブレーキ音、鳥のさえずり、コンビニの扉が開く電子音。
 学校へ向かって歩いているだけでも、無数の音が生まれては途切れ、消えていく。

 またなにか聞こえる。
 これは上空を急ぐ飛行機の音だ。

 子供のころは意識しなかったのに、この数年は音に敏感(びんかん)になっている。
 理由はわかっている。
 ずっと下を見ているせいで、耳の情報にばかり集中してしまうから。

 人の顔を見られない、とか、潔癖症(けっぺきしょう)だと言われたこともある。そんな簡単な言葉で片づけられたくないし、的外(まとはず)れだと思っている。


 ただ、めんどくさいだけ。それに尽きる。


 もちろん必要があれば誰かと話をしたり、周りを見たりすることもあるけれど、基本はうつむいているのが、私の通常の姿勢。
 たとえば今立っている交差点でも、信号とにらめっこなんてしない。初夏の風が揺らす制服のスカートの先をぼんやりと見ているだけ。

 六月になってもまだ制服に慣れないなんて、私くらいだろうな……。

『かごめかごめ』のメロディがスピーカーから割れ気味(ぎみ)で響く。
 信号が青になった合図に歩き出す。
 今日は(くも)っているのか、昼だというのに横断歩道の白線はいつもより暗く見えた。
 目立ちたなくないけれど、こんな時間に登校している生徒はほかに見当たらない。

 交差点を越えると、かすかにチャイムの音が聞こえた。四時間目が終わったらしい。ここから学校までの距離はあまりにも短い。 
 チャイムのを耳にしながら、校門へ進む。

 このまま、いつまでもたどり着かなければいいのに。

 めんどくさい。だるい。つまらない。

 ため息の音は、いつだってどの音よりも大きい。