「お前……」

 憎々(にくにく)しげにゆがんだ顔。ゆらりと立ちあがった男は、両手をボクサーのように構えた。

 このままではケンカがはじまってしまう……。

 自分のせいでこうなっているのに、壁際に逃げることしかできない。
 彼は余裕そうな顔で少し長い髪をかきあげた。こんなときなのに、街灯に光る髪が美しく見えた。

「この動画、拡散(かくさん)しちゃうよ」

 そう言った彼の手にはなにもなかった。
 構えのポーズをやめずに男性が「は?」と威勢(いせい)よく問う。

「これこれ」

 彼が胸に入っているシルバーのペンを取り出すと、ヒラヒラとさせた。

「は、お前なに言ってんの。おい、かかって来いよ。やってやるよ!」

 興奮した様子の男に、そのときはじめて彼が薄く笑みを浮かべた。

「これ、隠しカメラってやつ。このあたり物騒(ぶっそう)だからさ、いつも入れてんの」
「なっ……」
「声をかけたあたりからずっと録画してた。この動画、ネットにアップされたら困るんじゃね? 奥さんや子供が見たらさ、きっと泣くよ?」
「か、返せよ!」

 詰め寄った男を足払いすると、またしても男は地面に音を立てて沈んだ。

 うめいている男の横で中腰になると、
「いいから大人しく帰りなよ。それとも未成年ナントカで逮捕されたい? ネットじゃなくて警察に被害届出してもいいけど?」
 やさしい口調で彼はささやくように言った。

「でも、動画が……」

 さすがに酔いが醒めたのだろう、男が気弱な声になっている。

「このまま帰るなら動画は消しておくから。ほら、行きな」
「う……」

 起きあがった男がカバンを持つと、逃げるように小道を駆けていく。

 助かった……。
 心臓がバクバク鳴っていて、全速力で走ったあとみたい。

 息を整えながら彼に顔を向けると、
「ああいう酔っぱらい多いんだよな。不景気の影響かな」
 涼しげな顔をしている。

 もう一度、広い通りに目をやってから、視線を戻した私は思わず息を呑んでいた。

 彼がにらむように私を見ていたからだ。

「お礼は?」

 そう彼は言った。