「駅前にいたの。覚えてる?」

 小さくうなずく。あの夜の私はとても幸せだった。

「大きなトラックがね、歩道に突っこんで来たんだって……」
「トラック……」

 覚えている。まぶしい光が脳裏に映し出されると同時に背中がゾクゾクした。でも聞かなくちゃ……。ちゃんと聞かなくちゃ。

「リョウは……?」

 明日香はその言葉がキーワードであるかのようにうつむく。また、同じ反応だ。
 あのとき、リョウに襲いかかったトラックのブレーキ音が耳に残る。まるで私にさようならを告げるように。

 ……違う。

 私はたしかに伊予さんの声を聞き、走り出したはず。

 この手は……リョウをつかめたの?
 強く引っ張ることができたの?
 リョウを助けることができたの?

「集中治療室にいるって」
「……!」
「リョウくん、ひどく体を打っていて、意識が戻らないんだって。骨折もしてて、まだどうなるかわからないって……」
「そんな……」

 めまいが思考を混乱させた。

「リョウが……?」
「家族しか会わせてもらえなくって、だから詳しいことはわからないの。でも、予断を許さない状況なんだって――」
「そんな……」

 握られた手に力が入った。明日香は泣かないように歯を食いしばっている。

「こんなとき、なにを言ってあげたらいいのかわからない。ひどいことかもしれないけど、あたし、亜弥は無事だとわかって……本当によかった」

 でも、リョウが。リョウがここにいない。

「これも夢ならいいのに」
「亜弥……」
「あの夜、リョウが私を好きだと言ってくれたの。やっと気持ちが届いたんだよ。それなのに……こんなのってひどいよ」

 ざぶん。海の中にいるみたい。揺れる視界では明日香の顔も、リョウの姿も探せない。

「そうだったんだね。ひどいよね、本当にひどいよね……」

 同じように泣いてくれる明日香。さっきより部屋は夕焼け色を濃くし、長い影が差しこんでいる。
 明日香の説明では、お父さんは入院に必要なものを取りに行っているとのこと。私はもう一度脳の検査を受けるそうだ。

 看護師さんに言われ、明日香が帰った。ストレッチャーに移され検査室へ行く。CT検査が終わると、病室にはお父さんと見知らぬ男性がいた。その男性は警察の人だと名乗った。

 事故の状況を説明しても、お父さんの励ましにうなずいても、ずっとひとりぼっちで海の底にいるような気分のままだった。


 心が死んでしまったように、なにも感じなかった。