バッと立ちあがった伊予さんがウロウロとリビングを歩き出す。

「どうしよう、あー、どうすればええんや」
「ちゃんと言ってよ。そこまで言って内緒はないよ。私だって、言いたくないこと言ったじゃん」
「でも……」

 どうしたというのだろう。いつもの伊予さんらしくない。散々歩き回ったあと、荒い呼吸をしていた伊予さんが、意を決したように顔をあげた。

「もう……亜弥ちゃんは十分苦しんだと思う」

 唇が震えている。かすれた声を直すように伊予さんは咳ばらいをひとつした。

「だから、これ以上傷ついてほしくないねん」
「どういうこと? わからないよ」

 椅子から立ちあがろうとする私を、伊予さんは右手を前に出して止めた。そのままで聞け、ってこと……?

「約束してほしいねん。絶対に危ないことはしない、って」
「え……」

 懇願するような目に、気圧されて「わかった」とうなずく。

「絶対やで。ほんまに、絶対やからな」
「わかったって。それより――」
「そのうえで、この言葉を覚えててほしい。『強く引っ張って』」

 突然の言葉に思わず固まってしまう。今、なんて言ったのだろう……。

「じゃあ、ウチ帰る」
「え、待って。今のどういう意味?」
「またな」

 けれど伊予さんはもう振り返らずに急いで出て行ってしまう。バタバタと駆ける音に続いて玄関のドアが閉まった。

 ひとり取り残された台所で、私は唖然(あぜん)としたまま動けない。
 麦茶の容器が汗をかき、テーブルに輪ジミを作っている。

 今のは、どういう意味だったんだろう……。



 * * *