「亜弥ちゃんの口から聞かせてほしいねん」

 あまりにまっすぐに私を見る小さな瞳が私を促す。記憶の中にいるお母さんは楽しそうにはちきれんばかりの笑顔。ころころと笑う声が懐かしい。

「お母さんはいつも笑ってた。幼稚園のころ、家族で梨狩りに行ったときね、すごい量の梨をお母さんが剥いてくれたの。『はい、食べてね』って梨を差し出したときの笑顔を覚えてる」

 枯れ葉が絨毯(じゅうたん)みたいに地面を覆っていた。
 遠くの山がカラフルに染まり、秋のなかで私たちはたしかに幸せだった。

「あと、ね。私が書いた似顔絵をすごく褒めてくれた。冷蔵庫にずっと貼ってて、だんだんそれが恥ずかしくなって……。でも、お母さんは絶対に剥がしてくれなかった」

 伊予さんが冷蔵庫から麦茶を出してくれた。

「ありがと」

 記憶の蓋を閉じようとしたとき、苦いものが喉にこみあがってくるのを感じた。

「小学校にあがったとき……」

 気づけば話し出していた。

「お母さんはもう入院してたの。悪い病気だってお父さんが言ってた。お母さんに会いたくて泣いても、すぐには会えなかった。私が泣くとお父さんが悲しい顔をしてた」
「そうか……。もう、ええで」
「病院は……苦手。消毒液のにおいがするから。でも、お母さんはいつも笑っていて、家にいたときよりやさしかった。私がどんなわがままを言ってもニコニコしていて。きっと――」

 視界が潤んでも、記憶の再生は止まらない。

「お母さんはきっと、もう長くないって知ってたんだと思う。だから、最後まで笑っている顔を見せたくて……」
「亜弥ちゃん」
「なのに、私はワガママばっかり言って困らせてた。私は――」

 ダメだ。言葉にならない。
 隣の席に着いた伊予さんが肩を抱いてくれた。ぽろぽろこぼれる涙は、まるで海の底にいるみたい。

「気がついたら病院に行かなくなってたの」 

 私はただお母さんに甘えたかった。だけどいつしか言えなくなっていった。病院に漂うにおいが嫌いで、それがまるで私たちを区切る壁みたいに思っていたんだ。

 喉がカラカラに乾いている。こげ茶色の液体を飲むと、あの夏の記憶が一気に頭に浮かんだ。まるで封じこめた記憶を呼び覚ますよう。

「教室で先生に呼ばれたの。難しい顔をして、すごく静かな声で私の名前を呼んでいた。すぐになにが起きたのかはわかった。でも、わからないふりで職員室の電話に出た。電話の相手は看護師さんで――」
「もうええよ。ごめんな、もうわかったから」